ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2019年9月号 お気に入り五行歌

 こんにちは、ひげっちです。
 
 新型コロナウイルス (COVID-19)の影響が日常生活を侵食している今日この頃です。学校に行けない、行きつけのお店に行けない、いつものあいつらに会えない、プロ野球もJリーグも見られない日々にストレスを感じている方も多いと思います。
 
 人々が集う歌会も各地で中止になっていますが、紙上歌会やオンライン歌会などの取り組みも行われているようです。私もここぞとばかりに各地の紙上歌会に参加表明をしました。利用できるものは全部利用して、楽しく愉快に引きこもりたいものです。
 
 どうか、詩歌をやっている方々も、いい歌いっぱい読んで、いい歌いっぱい書いて、乗り切って参りましょう。乗り越えた先で、また笑い合えることを信じております。
 
 前置きが長くなりましたが、2019年9月号のお気に入り五行歌を紹介します。
 
 
 
納得のいく
たった
ひとつの
ことを
しよう
 
詩流久
88p.
 読んでいるこちらの背筋を正されるような、気持ちの良いお歌。日常を生きていると、時に簡単に答えの出ない複雑な問題に直面することもあるが、そんな時でも作者はきっと「自分が納得できるかどうか」を基準にスパッと判断を下されるのでは。格好良さに憧れてしまうと同時に、見習いたいと思わされる。
 
 
小さくて
大きな事業
伴侶を愛し
生涯
守り抜くこと
 
吾木香 俊
119p.
 未婚の私にはとっては、平伏すしかないお歌。パートナーを大切にすることを、「事業」と表現されたのが斬新で惹かれた。大切な伴侶と添い遂げることは、結婚した誰もが目指すところではあろうが、時に多くの困難がつきまとうことでもあろう。「事業」という言葉を決して大げさと感じさせない説得力が、このお歌にはある。
 
 
ぼくはみかん
はこのなか
みんなだんだん腐っていく
でもぼくは
ぜったい腐らないぞ
 
北里英昭
125p.
 一読するとユーモラスで可愛らしいお歌であるが、単なるみかんのお歌では無いだろう。社会詠であると読ませていただいた。みかん箱はモラルの低下した現代日本のメタファーであり、みかんはそこに住む人々のことを指しているのではないか。こんな時代でも、周りに影響されて腐ってなるものか、という作者(みかん)の心意気が伝わってくる。
 
 
心の真芯に
沁み込んで
鈴を鳴らすような
歌が
ある
 
高樹郷子
138p.
 歌とは、楽曲のことか、詩歌のことかは断定できないが、とにかく惹かれてしまうお歌。完璧と言っていいほどの完成度ではないか。まず、使われている言葉が悉く美しい。1~3行目の「心の真芯」や「鈴を鳴らす」という表現がお見事。4、5行目の思い切ったまとめ方もビシッと決まっている。文句の付けようがない名作。
 
 
愚かだと
誰もが解っていて
戦争は
なくならない
私も誰かを嫌っている
 
酒井映子
140p.
 なんと言ってもこれは5行目に尽きるだろう。告白じみた本音を堂々と詠まれているところに感心する。綺麗事や建前に依ることなく、人間と自身の本質を鋭く見つめる作者の視点は見事としか言いようがない。聞き心地の良い言葉ばかりを並べた方が、他人には好かれるかもしれないが、そもそも他人に好かれようとして詩作をしているのではない、という気概と覚悟が伝わってくるお歌だ。
 
 
もうすぐ
残照も消えて
黒い海は
波音だけ
吐く
 
パンとあこがれ
145p.
 日暮れ時の海辺の情景が浮かぶ。簡潔な言葉で情景描写をしているだけなのに、不思議と心に響く。「残照」「黒い海」といった言葉がどことなく寂しげなイメージを想起させるためだろうか。作者は元々海のそばに住んでいる方なのか、旅先の海なのか。作者はお一人で海を見ているのか、誰かと黙って海を見つめているのか。情報量が少ないために、かえって色々と想像が膨らむ。
 
 
豊かさ 貧しさ
恥じるのなら前者
たいがいは
自分以外の汗で
造られたものだから
 
村岡 遊
146p.
 自分の中に漠然とあった想いを、よくぞ巧く言語化してくださったというお歌。筆者は一人暮らしをしていた大学生時代はそれなりに貧乏だったが、幸いなことに食べるのに困るような本当の貧しさというものを体験したことは無い。日本という比較的豊かな国の、比較的豊かな家庭に生まれ、比較的豊かな生活をしてきた。それら全ては自分の力で獲得したものでは無く、単なる幸運によるものと言っていい。そうした「用意された豊かさ」に対する、罪悪感やコンプレックスのようなものを一時期よく感じていたものだ。もちろん自分自身で苦労して掴んだ豊かさは誇るべきであろうが、人の価値は「何をしてもらったか」ではなく、「何をしてあげられたか」で決まるのではないか。
 
 
絶交した
小姑と
和解する
夢を見た
不吉だ
 
島田綺友
158p.
 これも5行目が見事なお歌。4行目まで読み進めると、読んでいる方は「夢が正夢になるのかな」などと淡い期待を抱くが、それを一発で打ち砕くまとめ方が切れ味抜群。小姑さんのことを絶対に許さないという固い決意が伝わる。お二人の間に何があったのか想像が掻き立てられてしまう。酒井さんのお歌と同じく、決して自分のことを美化しない点に惹かれる。
 
 
こてんぱに
された帰り道
満月は
慰めてくれないから
一番苦いビールを買う
 
かおる
176p.
 「こてんぱん」じゃなくて「こてんぱ」なところがカワイイ。何かに打ちのめされた時、負けた時のお歌であろうが、不思議と敗北感ではなく、爽快感を感じるところが好きだ。確かに「こてんぱ」にされたものの、それは苦いビールを飲んで忘れてしまえる程度のことであり、そこから立ち直れる自分のことを信じて疑わない余裕が感じられる。「一番苦いビール」という表現も面白い。何となく第3のビール発泡酒ではなく、プレミアムなビールを選んでいるような気がする。気分の落ち込みにかこつけてプチ贅沢をしていることもまた可笑しい。味わい深いお歌だ。
 
 
嫁も正論
姑も正論
どうしようもない
平行線
嫁が姑に変化するまで
 
302p.
 ものすごく好きなお歌。ひとつの真実を詠っているお歌だと思う。育ってきた世代も環境も違う、嫁と姑という存在。どちらかが間違っているわけではなく、お互いの言うことはどちらも正論であり、ちょうどいい距離を保つことはできても、決して交わることはできないという様を平行線に例えた4行目までが秀逸。これだけでも充分に素晴らしいお歌だと思うが、最後の5行目がさらにこのお歌を特別なものにしている。ご自身の立場が嫁から姑に変化することによって、かつての姑の立場や気持ちを理解できるようになったということだろうか。交わらないと思っていた平行線に交点は生まれるのか。そうした時の流れが愛おしく感じるとともに、かすかな希望を感じさせる。見事としか言いようがない。
 
 
夕方の街
人々は学生ではなくなって
会社員でもなくなって
ゆっくり
街に溶け込んでいく
 
中山まさこ
316p.
 夕暮れ時の人々が行き交う街の情景が浮かぶ。一日の務めを終えた人々が、家路を急ぐ、あるいはどこか楽しい時間を過ごしに行くところであろうか。そうした人々のどこか開放的で温かな雰囲気が伝わってくる。5行目の「溶け込んでいく」という表現が素晴らしい。会社や学校などにいる公的な時間ではなく、アフター5の私的な時間に「街に溶け込む」わけであるから、この「街」は繁華街あるいは住宅街ということであろう。断定はできないが、このお歌から感じる温かさからするに、ガヤガヤと騒がしい繁華街より、落ち着いた住宅街を想像した。
 
 
母の知らない
世界を見た
父の否定した
世界で生きた
覚悟に悔いなし
 
数かえる
323p.
 ご両親との確執、自分の道を生きた気概。そこはかとない寂しさと、現状を肯定する力強さが同居するお歌だ。自分の人生を生きるとき、両親のサポートが有るのと無いのとでは、だいぶ難易度が違う。物質的な援助はもちろん、精神的な援助が貰えないという点で、両親の否定する生き方を貫くのは並大抵のことではなかったはずだ。そうしたご苦労を経てなお、「悔いなし」と言い切る潔さに惹かれる。
 
 
 
 
(了)