ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2019年7月号 お気に入り五行歌

 このブログをご覧の皆さま、あけましておめでとうございます。ひげっちです。昨年の初めにブログを始めて、約1年が経ちました。ここまで続けてこれたのも、色々な形で反響をくださった皆さまのおかげです。

 

 1月11日には、2020年関東新年合同五行歌会に参加してきました。お久しぶりな方、初めましての方、いつもお世話になっている方など、色々な方々にお目にかかれて嬉しかったです。全体歌会の方は相変わらず泣かず飛ばずでしたが、小歌会では2席になることができて、嬉しかったです。ご一緒した方々、ありがとうございました!

 

 さて、だいぶ間が空いてしまいましたが、2019年7月号のお気に入り作品を紹介させていただきます。

 

善いことをしても
してなくても
二時間で
人は
灰になる

 

佐々野 翠
14p.

 

 火葬場にて着想を得られたお歌だろうか。そうすると作者は身近な方の死を体験されたのであろうが、そのことに対する作者自身の感情がほとんど伝わってこない、淡々かつあっけらかんとした筆致がこのお歌の魅力だと思う。生前、善い人間であろうとなかろうと、物理的に人間は燃やせば2時間で灰になるという事実。果たしてそのことは作者にとっての救済なのか、あるいは受け入れがたい現実なのか。考えさせられる余地と静かな余韻がある名作だと思う。

 

トップは
孤独なもの
きょうも一人で
社食のうどんを
啜る

 

嵐太
23p.

 

 サラリーマン社会では、アゴで使われる平社員も、上司と部下の板挟みになる中間管理職も、嫌われ役をこなしつつ様々な事項について判断を下さないといけない管理職も、それぞれに悲哀があるもの。基本的にいつの時代も組織の中で偉くなればなるほど、孤独になっていくのが常。作者自身が会社のトップで在られるのか、あるいは社員食堂でうどんを啜るトップの方を見かけての歌なのかは判断がつきかねるが、会社生活の一コマを上手く切り取った作品であり、一社会人として惹かれた。

 

こころとことばが
くっついている
こどものことば
やがて はがれて
おとなの言葉に

 

世古口 健
38p.

 

 これはもう発見と言ってもいいくらい「ひとつの真実」を言い当てているお歌ではないか。子供の言葉には、その一つ一つに「ああしたい」とか「こうしてほしい」とかいう気持ちがシールのようにくっついている。欲求や願望と言い換えてもいい。赤ちゃんの泣き声に「おなかすいた」や「ねむい」といった欲求が隠れているのと同様に、幼い子供は自分の欲求や願望を親や周りの大人に叶えて貰うことを目的として言葉を発する。大人になるにつれて「こころのシール」が剥がれた言葉を使うようになるが、注意深く見ていくと大人の言葉にもわりと心がくっついている時も多いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。

 

誰にも
叱られない処に
隠れていると
腐って
しまうのだよ

 

芳川未朋
44p.

 

 誰も自らすすんで叱られたくはないが、腐らないためには、叱られる状況に身を置くことも大切だとこのお歌は詠っている。「叱られない処」が、具体的に何を指すのかは読み手によって変わるだろう。個人的にはパッと不登校や引きこもりのようなイメージが浮かんだが、単純にそれらを批判しているようなお歌であるとは思えない。間違っているかもしれないが、独善的な読みが許されるなら、「叱られない処に隠れている」とは、「表現活動を行っていながら批判を恐れてそれを外部に発信しない人」の比喩ではないかと考えている。自分の創作したものを発信しなければ、批判を受けることもないし、他の誰かと比べられることもない。自分でひそかに趣味として楽しむために創作するというスタイルもありだろう。ただ、それは外部からの刺激を受けることもなく、表現者として成長するスピードも遅くなってしまう。批判を恐れずに、同好の士と切磋琢磨することの大切さを説いているお歌なのではないかと感じた。

 

どこかで
自分を
認めているから
なんとか
生きている

 

風子
137p.

 

 「どこかで」と「なんとか」の使い方が上手い。作者はきっとご自分に対して厳しい視点を持っている方なのだろう。具体的にご自分のどこを認めているのかには言及しないところが奥ゆかしくて好きだ。そうやって自分をどこかしら認めているからと言って、生きるのは簡単ではなく、やっとこさ生きているというような表現。これがまたいい。自己肯定感の低さと不器用さが滲む。自分のストロングポイントを自分で認識し、それを上手くセルフプロデュースしている人も魅力的だと思うが、個人的にはこういった慎ましやかな人に共感したくなる。

 

つぶあん
言ったでしょうよ
こしあんだって
あんパンでしょ
大切な夫婦喧嘩

 

窪谷 登
166p.

 

 とりとめのない夫婦のやりとりがあたたかく、面白い。「つぶあん」と「こしあん」の違いにこだわるところも微笑ましくて好きだ。筆者はどちらでも美味しくいただく派だが、違いが気になる人も確かに存在するようだ。そこから夫婦喧嘩が始まってしまうわけだが、五行目に「大切な」とあるため、これは夫婦喧嘩と言いつつも、実質はこのご夫婦のいつも通りのやり取りであり、決して深刻なものではないことがわかる。むしろ、作者はこうした夫婦間のコミュニケーションに価値を見出しているのであり、喧嘩の話かと思ったらのろけ話だったかのような、「心配して損した、ごちそうさま」という気持ちにさせる軽妙なお歌だ。

 

「運」に
寄りかかれば
倒れる
あくまでも
道標

 

中野忠彦
178p.

 

 納得させられるお歌である。「運」というのは不思議なものだと思う。苦難や困難の最中に幸運に救われたというような経験もしたことがあるが、かといってそうした幸運を頼ったり、甘えたりしてはいけない。幸運を、「あって当たり前」と思った瞬間、運というのは逃げていくような気がしてならない。四、五行目の「あくまでも/道標」という表現が非常にすとんと胸に落ちる感じがする。

 

わたしは
人間ではないような
気がする
ときどき人間に
もなるが

 

今井幸男
204p.

 

 自分の姿というものは鏡越しでなければ、自分で見ることができない。それゆえに人間の中で暮らしながら、自分だけは人間ではないのではないかという疑念は、古今東西、様々な表現者が向き合ってきたテーマであると思う。ある意味、使い古されたテーマでありながら、この歌が新しさと説得力を持っているのは、四、五行目の「ときどき人間に/もなるが」という自由さと、作者のキャラクターの為せる業かもしれない。

 

メンタルは
豆腐並みなんだって
弱いけど
柔らかいなら
良し

 

唯沢 遙
207p.

 

 「豆腐並みのメンタル」とは、精神力が弱いことの比喩としてよく使われる表現だが、それを逆手にとって豆腐ならではのストロングポイントを主張する後半三行が見事。まさしく柔軟性がキラリと光るお歌だ。私もメンタルが強い方では無いので、こんど自分の気持ちが折れそうになったら、この歌のことを思い出して、乗り切りたいと思う。弱くても、カチカチに固まった心より、柔らかい心を持ちたい。

 

自分が
燃えて
自分の
居場所を
照らす

 

伊藤赤人
215p.

 

 「天辺の歌人たち」より。寡聞にして作者のことをこの記事を読むまで存じ上げなかった。抜群の歌の良さに、がつんとやられた気分になった。記事ではいくつかのお歌が取り上げられていたが、中でもこのお歌に惹かれた。歌には生き様が滲み出る。自分が果たしてここまでの覚悟と自負を持って、歌を書いているのか、と自問自答せずにはいられなかった。今はまだ未熟で甘っちょろい私だが、いつか作者のような歌を書いてみたい。

 

誰かにとって
特別な人で
ありたい
症候群
です。

 

いわさきくらげ
220p.

 

 独特な文体と世界観が魅力な作者。短く簡潔な言葉を使いながら、読み手のイマジネーションを膨らませるようなお歌が多く、その才能に注目している。このお歌も簡単なことを詠っているようで、なかなか一筋縄ではいかない。誰かにとって特別でありたいというのは、多くの人が思っている自然な感情のように思うが、そこにポンと置かれた「症候群」という言葉、これが効いている。人間としての自然な感情が、病名を表すような仰々しい言葉と合わさることにより、色々な想像が膨らむ面白いお歌になっている。行が進むにつれて、だんだん小声になっていくかのような、文字数の並びも効果的。

 

「ピカにおうとらんのなら
だまっときんさい」
引き揚げ体験は
小学二年で
封印された

 

ともこ
275p.

 

 「戦争と五行歌」より。終戦後の朝鮮からの引き揚げというこの世の地獄を体験しながら、引き揚げ先が被爆地・広島だったことから、それを誰かに伝えることさえ許されなかった過酷な運命。想像を絶するような苦しみだと思う。命が粗雑に扱われる戦争の恐ろしさは歳を重ねるほどに身に染みて分かってくる。多種多様な価値観はあって然るべきだと思うが、戦争だけは肯定してはならないと強く思う。

 

生きるために と
飲みこんできた
女たちの物語は
寿ぎのかげで
今も地を這っている

 

宮崎史枝
299p.

 

 見過ごすことができなかったお歌。色々な解釈が成り立ちそうなお歌であるが、筆者は男性中心の社会に対する警鐘と、押し込められてきた女性たちのしたたかさを強く感じた。後半三行は出色だと思うが、「女たちの物語」と詠うことにより、一個人の女性というより、同時代を生きる多くの女性、あるいは世代を跨いだ幾人もの女性たちのことを指しているように感じられた。男性優遇の社会の裏で、我慢を強いられている女性が数多くいるという現実。目を背けてはいけない何かを伝えてくれているお歌だと思う。

 

樹木希林
いない日本映画は
キリンの
いないサバンナよりも
さみしい

 

漂 彦龍
310p.

 

 作者ならではの映画愛滲む名作。「希林」と「キリン」がかかっていることにクスリとさせられつつも、樹木希林さんへの等身大の追悼歌にもなっている。私はわりと晩年の希林さんしか存じ上げないが、清濁併せ呑んだ老婆を演じさせたら、右に出る者はいなかった印象だ。あの方にしかできない役が今までにも、これからにもたくさんある気がしてならない。

 

<恐怖>
子供 僕は幽霊が怖い
妻  私は戦争が怖い
夫  僕は女性が怖い
幽霊 私は人間が怖い

 

巨橋義顕
324p.

 

 実験的な作品であるが、個人的にはとても好み。一行目をタイトルに使うという発想がまず面白い。内容もよくできた絵本や寓話みたいで、気が利いている。このフォーマットを使って、一首書いてみたくなった。まだまだ五行歌は色々な可能性があり、試されていないことが多くあるのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれたお歌だ。

 

 (了)

2019年自分的ベストコンテンツ

どうも、ひげっちです。

2019年ももうすぐ終わりなので、

毎年恒例の自分的ベストコンテンツを書き記しておきます。

音楽・曲

LINDY/中村佳穂


中村佳穂 "LINDY" うたのげんざいち 2019 in STUDIOCOAST

 今年新しく知って、今年一番聞いたであろうアーティスト。生演奏も二度ほど見ることができました。自由奔放さと精密さが高次元で融合しているような、唯一無二のステージング。そして新しさと同時にどこか懐かしさも感じられる人懐っこい楽曲達。今年リリースされた配信限定の3曲のシングルの中で最も好きな曲を選びました。無謀にもカラオケでも歌います。誰にも聴かせられないレベルではありますが、歌っててめっちゃ気持ちいいです。

 

音楽・アルバム

Attitude/Mrs.GREEN APPLE

Attitude(通常盤)

Attitude(通常盤)

 

 今年から音楽のサブスクリプションサービスを利用し始めたのですが、そこで聴いてハマったのがこのアルバム。彼らのことは前から知ってはいましたが、熱心なリスナーではありませんでした。最新アルバムを聴いて、その完成度に度肝を抜かれました。どの曲にも思わず口ずさみたくなる発語の快感を伴ったキャッチーさがあり、歌詞にも衒い無くまっすぐ人の心に届くことを前提にした言葉が選ばれています。『Attitude』、『青と夏』、『ロマンチシズム』は特に何回もリピートしました。

 

映画

グリーンブック/ピーター・ファレリー監督

gaga.ne.jp

 大好物の塊のような映画。ロードムービーですし、相反する主人公二人の交流ものですし、人種問題に対して多くのことを考えさせられる作品ですし。練りに練られた脚本と役者陣のツボを心得た演技で、作品にぐいぐい引き込まれます。名シーンの連続で、気が付いたら上映が終わっている感じ。どこから食べても美味しいお菓子のようです。今後も折に触れてくり返し観ることになりそうな予感がします。

 

来年もたくさんの大好きなものと出会えますように!

 

(了)

中村佳穂について(再会と再考)

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studio coast名物の看板

 

 

 

はじめに

 12月10日、新木場studio coastにて、中村佳穂さんのライブ「うたのげんざいち2019」に参加してきました。佳穂さんのライブを観るのは2回目。5月の横浜のGREENROOM FESTIVAL以来でした。会場は大入りで客層もさまざま。広い年齢層の支持を集めつつあるのだなあ、と感じました。セットリストは「AINOU」の曲を中心にしながらも、新曲やゲストの石若駿さんとのセッションをちりばめた、意欲的なもの。濃密でスリリングな中村佳穂ワールドを心ゆくまで堪能することができ、5月に感じたのと同じような衝撃を、より洗練された形で感じることができました。

 

圧巻の中村佳穂ワールド

 とにかく、中村佳穂さんは演奏中に、演奏中とは思えないくらい、楽しそうでかつリラックスしているように見えます。自分たちのバンドが生み出している音楽を、自分たち自身が最前列で聴くのを楽しんでいるかのようです。自由で開放的な雰囲気と、次に何が起こるか分からない緊張感が、中村佳穂さんのライブにはあります。佳穂さんは良い意味で、本当に好き放題やっているという感じがして、その姿はまるでつい最近音楽の楽しさに目覚めた子供のようです。そういった姿に、表現者の端くれとして、非常に大きな刺激を受けます。「あんなに自由で奔放な表現が多くの人に受け入れられているのは羨ましい。自分もああなりたい」と、そんな想いを抱かせる方です。

 

表現者のジレンマ

 表現者というものは、自分の「表現したいもの」と、時代や流行が「求めるもの」とを如何にマッチさせるかを常々考えているものです。表現のクオリティがどんなに高くても、時流にそぐわないものであれば、多くの人に受け入れられるのは難しく、その表現に掛けた時間やエネルギーに見合うだけの対価を得ることもできません。ごくたまに表現者の「表現したいもの」がそのまま、時代が「求めるもの」に一致し、絶大な支持を得ることもあるでしょう。しかし、そんな人はごく少数派です。なので、表現者たちの中には時代と懇ろになるために、自らの「表現したいもの」を時代や流行にマッチするように修正・微調整する人もいます。いわば、時代の顔色を伺い、媚びを売る行為です。もちろん、求めてくれる人がいなければ、表現行為じたいがたたの独りよがりになってしまいますから、そういった行為を決して否定しているわけではななく、むしろ、売れるための健全な行為であるとさえ思います。

 

とある懸念

 話がだいぶ逸れましたが、中村佳穂さんからは、この「時代への媚び」をまったくと言っていいほど感じないのです。「私は好き放題やるから、むしろ時代のほうが付いてこい」と言わんばかりの矜持を、佳穂さんからは感じます。もしかしたら、本当に中村佳穂さんの音楽は21世紀の日本には早すぎる音楽なのかもしれません。というのも、今回のライブは確かに素晴らしかったのですが、感動と同時に、客席とステージ上との、ある種の温度差も感じられたからです。ステージ上の中村佳穂さんたちバンドは、本当に開放されてのびのびと演奏していましたが、観客は今までに体験したことのない類いの演奏とステージングであるがために、どうリアクションして良いのか分からず、戸惑いと共に呆然と立ち尽くしているというような方もチラホラ見かけました。演奏者たちが楽しむのはもちろん大切なことだと思いますが、それが行き過ぎると、内輪ウケや楽屋オチのような状態になり、置いてけぼりにされる観客が出てくる恐れがあるのかもしれません。

 

変わるべきなのはどっち?

 かといって、中村佳穂さんに、もっと分かりやすい、大衆にウケるような音楽を作って欲しいという言う気は毛頭無くて、変わるべきなのはむしろ観客であり、受け取るサイドなのだと思います。観客は自分たちに媚びを売ってくる表現に慣れすぎてしまい、主体的にアクションを起こして自分たちから楽しみ方を見つける姿勢が足りないのではないでしょうか。中村佳穂さんは演奏中に「Trust you」とくり返し言っていますが、それに見合うだけの信頼を我々は演奏者たちに向けられているでしょうか。野球に例えるなら、彼女は間違いなく160kmの速球を投げられるピッチャーです。しかし、ゲームが成立するためには、その速球をちゃんと受け止められるキャッチャーが居なくてはなりません。そうでなければ、せっかくの速球もすべて暴投になってしまいます。心を開くべきは、演奏者ではなく、観客側なのかもしれない。そんなことを感じたライブでした。

 

(了)

第29回五行歌全国大会 in いわて 参加レポート

どうも、ひげっちです。

もう2週間前になりますが、去年のさいたま大会に続き、今年も「五行歌全国大会」に参加してきました。

 

五行歌全国大会」は、毎年日本各地で持ち回りで行われています。今年の開催地は岩手・盛岡でした。大会は3部構成で、11/10(日)のお昼に歌会、夜に懇親会、翌日の11/11(月)の午前中に研究会が行われました。

 

私は月曜に仕事が休めなかったため、残念ながら懇親会と研究会は不参加で、日曜の歌会のみの参加となりました。その代わり、前日の土曜から盛岡入りして、岩手観光をしたろうと画策し、実行に移したのでありました。

 

前日・岩手観光の巻

 盛岡へ行くのは、6月の文学フリマ岩手以来、今年で2回目。その時に知り合って色々お世話になった宮古のよしだ野々さんが、今回も宿の手配や車での送り迎えなどを申出てくれたので、喜んでお言葉に甘えることに。ありがたいことです。持つべきものは五行歌人の友ですね。

 

そんなわけで、「午前中に盛岡入りしてね」という野々さんのリクエストに応えるべく、早起きして新幹線で盛岡へ。

 

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はやぶさ(写真とるの下手くそ)

 

新幹線に乗ってしまえば、意外と近い東北。

10時半過ぎには盛岡に到着。同じ電車に乗っていた東京の観月さんと合流し、野々さんとも再会を果たしました。

 

野々さんの車に乗り込んで、まずは一路、石川啄木記念館へ。

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石川啄木記念館

石川啄木の「あまりかっこよくはない」生涯を知ることができる、よい記念館でした。不勉強なひげっちなので、石川啄木については詳しくないですが、それでもいくつかの代表作は諳んじることができます。明治生まれの歌人なのに、あまり古さを感じさせない、普遍的な作風が魅力のひとつなのかなあ、などと思ったりしました。等身大の石川啄木人形があったりして、観月さんと一緒に写真を撮り合ったりもしましたよ。

 

その後は、石川啄木ゆかりの地をいくつか見て回りました。

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啄木の歌碑

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岩手山を望む

 

お昼ごはんは、「びっくりドンキー」の1号店である「ベル」というハンバーグ屋さんでいただきました。漢飯という感じで美味しかったです。近所にあったら通うだろうな。食事のあとは観月さんと別れ、男二人で平泉の中尊寺へ。車でも一時間くらいかかる道程。野々さん、運転ありがとうございました。

 

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中尊寺

中尊寺は古い寺社仏閣特有のキリッとした空気が漂う、いいところでした。

境内の紅葉も見頃で、良い感じ。

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境内の紅葉

このあとは、金色堂もじっくりと見ました。

金色堂はすごかった。成金趣味じゃ無いけど、ずっと見ていても見飽きない。

金ピカの迫力があった。

 

盛岡に帰って、ホテルにチェックインしたあと、野々さん、観月さんに新たに合流した鹿児島の秋葉澪さんを加えた4人で夕食に。ホテルのそばの居酒屋で飲み食いしました。つまみがどれも安くて美味しい!盛岡良いとこです。健康的な時間にお開きにして、ホテルへ戻りました。そのあとは持参した本誌を読み進めたり、コンビニへ行ったりしてだらだら。23時くらいに就寝。

 

大会当日の巻

明けて日曜、大会当日となりました。野々さんは大会運営の手伝いのため、この日は別行動。ホテルのロビーで新たに東京の旅人さんと合流しました。午後の大会まではまだ間があったため、ちょうど盛岡でやっていた「五行歌巡回展」の様子を見に行くことに。タクシーで相乗りして会場に向かいました。

 

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巡回展の一コマ

巡回展は多くの人で賑わっていて、大盛況でした。マスコミの取材も入ったようで、カワイイ置物が置いてありました。 東京の漂彦龍さん、埼玉の唯沢遙さん、広島のともこさんとご挨拶ができました。自分の作品パネルとも久しぶりの対面。

 

巡回展の会場をあとにして、盛岡駅前で大会前の腹拵え。海鮮丼をいただきました。

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海鮮丼(エビが特に美味)

いよいよ、大会の会場入り。

会場のホテルメトロポリタン盛岡本館へ。

ロビーで千葉の今井幸男さんと遭遇。一緒に会場入りしました。

そしたら今度は受付前で、埼玉のいわさきくらげさんとも遭遇。

ここまで来ると知り合いだらけ。すでに楽しいです。

 

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いよいよ始まります

受付で渡された座席表を見て、席に着くと、何と五行歌会の超有名歌人である福岡の紫野恵さんのお隣でびっくり。若干緊張して話しかけたところ、向こうもこちらをご存知でいてくださって、嬉しい限り。これだけで今回参加した甲斐があったというもの。「いつか九州歌会にも来てください」とのお誘いをいただく。真に受けて本当に行っちゃおう。一緒に記念写真も撮っていただきました。ええ、ただのファンです。

大会がスタートし、まずは草壁主宰のご講演。

この講演は、YouTubeで聴くことができますよ。


[第29回]五行歌全国大会inいわて 草壁主宰講演

 

その後は、各テーブルごとに全国大会に提出した歌での小歌会。ここでは3席に滑り込みました。嬉しいコメントもたくさんいただけてほくほく。

 

そして、いよいよ皆さんお待ちかねの全体歌会の得点発表。採点は事前に済ませてあるので、結果が配られるのを待つだけ。上位入賞者は壇上で表彰されるので、ドキドキです。

 

実は私、今回「入賞あるかも?!」と密かに期待しておりました。というのも、全国大会は採点とは別に、自分が気に入った5首に対して、作者にコメントを送れる仕組みがあり、そのラブレターのようなコメント用紙が私の席にわんさか置いてあったのですよ。こりゃあ誰でも勘違いするってもんです。

 

そんなわけで、気が気でない精神状態で結果発表を見ると、確かに高得点はありましたが、表彰の対象である10席までに入ることはできませんでした。ホッとしたような、ガッカリしたような・・・。

 

まあ、冷静に考えれば、私の提出歌は、ちょっと下品な作品だったので、人を選ぶ歌だったのでしょう。上位入賞歌はさすがと思える作品ばかり。野々さんと旅人さんが同点7席でした。おめでとうございます!

 

歌会後は、駅ビルでじゃじゃ麺とソフトクリームを食べて、お土産を買って、新幹線へ。楽しい旅路でした。お目にかかれた皆さま、ご一緒した皆さま、ありがとうございました!

 

来年の全国大会は東京・市ヶ谷であるそうです。また多くの歌人とお目にかかれるといいなあ。

 

(了)

第6回ごいた都道府県支部交流戦神奈川大会を終えて

 どうも、ひげっちです。

 

 昨日(10/19)は、第6回ごいた都道府県支部交流戦神奈川大会でした。総勢124名のごいた愛好家の方々に横浜にお越しいただき、大会・懇親会と楽しい時間を過ごすことができました。

 

 能登ごいた保存会神奈川支部員として、運営のお手伝いをさせていただきましたが、参加者の皆さんが楽しんでくださり、また、「運営お疲れさま」といった労いの言葉をたくさんいただき、今までの準備が無駄にならず、無事に大会を終えられたことにまずはホッとしております。

 

 大会に参加された皆さま、神奈川支部員のみんな、ペアを組んでくれたよち犬さん、本当にありがとうございました!&お疲れ様でした!

 

 ・・・と、一通りのご挨拶を終えたところで、個人的に感じたことを書きます。

 

 まず、今回特に感じたのは「ごいた」と「ごいたをやっている方々」に出会えて本当に幸運だったということ。大げさに言えば、まずごいたのある日本という国に生まれていなければ、ごいたを知らずに一生を過ごす可能性が高かったわけですし、その中でボードゲームという趣味にハマって居なければ、ごいたを知る可能性もグッと下がっていたはずです。さらに言えば、自分の周りにたまたまごいた好きなボードゲーマーが居なければ、今でもごいたをプレイしたことがなかった可能性も大です。この時代のこの国のこの趣味の方々と繋がれて本当に良かったなあ、と思います。

 

 ごいたの魅力は色々ありますが、一番は「人」なんじゃないかと最近思います。ゲーム自体がシンプルであるが故、子供からお年寄りまで遊べるし、駒を通した味方と敵方の思考の読み合いが濃密に楽しめ、プレイ時間も短い故に何度でも遊びたくなる。そして、相手やペアが変われば見える世界はどんどん変わるし、同じ人でもどんどん成長してゆくので、一度として同じゲームは無い。こんなに人と人を密接に繋げてくれるゲームもなかなか無いんじゃないでしょうか。

 

 でも、やりたい人が皆、ごいたをできているわけではないです。ごいたを好きでも色々な事情で深くのめり込むのを断念している人も多いはず。例えば、家庭やパートナーを大事にしていたり、他の趣味との兼ね合いや、経済的事情、あるいは心理的なハードルが高かったりして、大会参加を諦めている人もいるでしょう。自分がごいたを打てているということが本当に多くの幸運と巡り合わせによるものなんだということは、忘れずにいたいです。

 

 最後に、大会を終えて、全国のごいた打ちに一つだけお願いがあります。

 

 また、ごいたしましょう!

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2019年6月号 お気に入り五行歌

どうも、ひげっちです。

このブログをご覧の皆さま、台風19号の被害は大丈夫でしたでしょうか?

幸い、ひげっちの住む地域には大きな被害はありませんでしたが、

五行歌仲間の中には、甚大な被害を受けられた方々もおられることと思います。

お見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧を祈っております。

 

さて、すっかり更新が遅くなりましたが、

2019年6月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。

今月はいつも以上に自分に「刺さる」お歌が多かった印象です。

 

結局
己と向き合うのが
一番飽きない
道楽である
極めて死のう

金沢詩乃
p.20

 

 表現の根源をズバリと言い当ててくれる、気持ちの良いお歌。己と向き合い、出てきたモノを表現するというのは、突き詰めれば「道楽」であるという認識が素晴らしい。決して「生業」や「仕事」ではないのだ。何より自分が楽しむためにやっているのだと思うだけで、読んでいるこちらの気持ちも軽くなるような、力のあるお歌だ。「死のう」と言い放って終わるお歌なのに、ちっとも暗い印象は受けないところもいい。

 

どうやら私は
馬鹿ではないらしい
と思う程の
どうやら私は
馬鹿ではあるらしい

漂 彦龍
p.21

 

 ややこしくて可笑しいお歌。きっと作者の心には、自己否定と自己肯定の薄い膜がミルフィーユみたいに交互に積み重ねられているに違いない。自分を「馬鹿じゃない」と思えるほど脳天気ではいられないが、心の底から「自分は馬鹿だ」と割り切れるほどプライドは低くない。不器用さ、生きづらさ、といった言葉が思い浮かぶ。しかし、作者はそんな自分自身を卑下することもなく、過信することもなく、ありのままの逡巡自体を表現として昇華してみせる。力みの無い凄味を感じるお歌。

 

はしっこで
文句を言ってる
気楽さよ
いつまでも私
弱者でいたい

王生令子
p.83

 

 自分の狡さを指摘されたようでドキッとしたお歌。誰しもが思い当たる節のある指摘ではないだろうか。例えば、政治家や上司について文句を言うとき、文句を言えるのは責任が無い者の特権であるとも言える。自分が何か決断をして、物事を決めていかねばならない立場にあれば、誰からも文句を言われないようにするのは不可能であろう。狡さを認識したうえでなお、「弱者でいたい」と詠っているところが心憎い。

 

現実は
逃げられない
から
もう一つの世界で
遊ぶ

鮫島龍三郎
101p.

 

 特集「病院日記」より。作者を存じ上げている身としては、ショッキングなお歌の数々であったが、特集の最後を締めるこのお歌に特に惹かれた。逃れようもない大変な現実からの逃避としての「もう一つの世界」。五行歌のような表現活動もその一つであろう。詠い込まれている想いは、決して軽いものではないはずだが、何かを達観したような軽やかな筆致が素晴らしい。

 

涸れながら
まだ
なまぐさい
月を
抱く

小沢 史
134-135p.

 

 幻想的で官能的。独特の文体とリズム感をお持ちの方だとお見受けした。3~5行目の表現が好きだ。「月」が何の比喩なのかによって、解釈がだいぶ変わってくるお歌だと思うが、自分は何となく「月」は「小さな子供」や「みどりご」の比喩のような印象を受けた。水分が多く透明感のある肌をした幼子を「月」と表現したのではないか。全然違っていたらすみません。

 

40億年後も
逢えたら良いね
憶えていてね
よろしく
あいらぶゆう

 

牛乳瓶の底に残った
わずかばかりの
魂の破片
「死んではいないよ」
僕を見上げた

都築直美
143p.
319p.

 

 自分の血肉を削り出しているかのような迫力と、どこか愛嬌のある、人を食ったような発想の面白さとが同居する、作者のお歌のファンである。1首目、最後の1行がよい。英語でもカタカナでもなく、ひらがな表記なのが絶妙。2首目、瓶の底に残る牛乳と、自分の魂に宿る生命力のようなものがリンクする。どちらもスケールが大きく力強いお歌だ。

 

「群れる」意識
よりも
「群れない」不安
に依って
我々は動かされている

甲斐原 梢
174p.

 

 鋭い批評眼が光るお歌。集団意識のようなものを上手く捉えている。「集団に属したい」という積極的な意識より、「どこにも属していない」という不安の方が、多く場合、強烈だ。筆者も2年ほど前は無職でいた時期があったが、その時には確かにどこにも属していない心許なさを感じていたように思う。人間は社会的な動物であり、孤独・孤立は即、「死」に繋がる。そのため、根源的にそれらに恐怖を感じるようにインプットされているのだろう。

 

うまくいかない時に
感謝するのは難しい
人を
恨まないようにすることで
精一杯

樹実
176p.

 

 これは本当にその通りだと思う。よく「どんなときでも感謝を忘れずに」などと、言う人がいるが、自分の心に余裕がないときに、他人に感謝をするのは並大抵のことではない。筆者などは、「うまくいかないのは誰かのせい、うまくいったときは自分のおかげ」をモットーに生きているが、作者はうまくいかないときでも、人に感謝しようという姿勢は持っており、それがすでに凄いと思う。さらに、感謝しようとしてもうまくできない自分の正直な気持ちを吐露しており、その衒いの無さも素晴らしい。読めば読むほど好きになるお歌だ。

 

ことだまを
ゆすってみる
もよら もよら
その よいんのなかに
たたずむ

柳瀬丈子
176p.

 

 頭で理解するのではなく、心で感じるタイプのお歌だと思う。3行目、「もよら もよら」が何とも心地よい。5行全てがひらがな表記なのも相まって、お歌全体からリラックスを促すアルファ波が出ているかのよう。4、5行目がまさしくこのお歌の読後感を表していて、読み手は心地よい余韻をじっくりと味わうことができると思う。

 

いぢわるが
過ぎた日
つり銭は
募金箱に
投入する

芳川未朋
203p.

 

 「いじわる」でなく、「いぢわる」なのが何とも可愛らしく、小憎たらしい。「いぢわる」はきっと、陰湿な嫌がらせのようなものではなく、愛情の裏返しのような微笑ましいものなのではないだろうか。自分でそれがちょっと行き過ぎだったなと自覚のあるような時に、埋め合わせのように小さな善事を行うところが、ますます可愛らしい。

 

失望をしても
しずかに別の道へ
方向転換するだけ
度を過ぎた期待は
していない

今井幸男
275p.

 

 人間関係における気の持ちようとして、大いに共感する。他人への過度な期待は、たとえそれが恋人や肉親であっても、あまり良い結果を生まないように思う。相手への期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときに相手を責めてしまいがちだが、本当は誰も自分の期待に応えるためだけに生きているわけではない。作者はそのことを充分に解っているのだろう。

 

もっと人を信じろよ
もっと人を疑えよ
もっと考えろよ
もっとなにも考えないでいろよ
どっちなんだよ はっきりしろよ

伊藤雷静
290p.

 

 「中学生の五行歌」より。作者にはもはや、○○中学校○年というような肩書きは必要ないだろう。すでに立派なうたびとだと思う。正直に告白すれば、4月号に載っていたお歌を読んだ時から作者のファンである。何を信じ、何を疑い、何を考えればいいのかわからない、焦燥感のような感情が上手く表現されている。一度作者と話がしてみたい。

 

ひくことも
こもることも
いつでもできる
しかしぼくは
できることはしないのだ

山川 進
319p.

 

 人生においては、時には痛みや辛いことから逃げることも必要な時がある。おそらく作者もそれを承知の上で「ぼくは/できることはしないのだ」と詠う。この勇気に溢れた宣言に痺れる。私も色々なことから逃げて、逃げまくって、引きこもっていた時期が長かった。それらが全て無駄な時間だったとは思いたくないが「逃げ」は癖になり、また、逃げ続けていると、居場所はどんどん狭くなる。ならば、逃げるのは最後の手段に取っておき、できないこと、やったことのないことにどんどんチャレンジしていくことが、自分の人生を豊かにしてくれるだろう。勇気づけられたお歌。感服するしかない。

 

(了)

雑誌『五行歌』2019年5月号 お気に入り五行歌

どうも、ひげっちです。

今週に入り、季節の変わり目で体調を崩してしまいました。

ずっと部屋で引き籠もっていたので、

雑誌の読み進めが捗ったのが、不幸中の幸いです。

というわけで、雑誌『五行歌』2019年5月号のお気に入り作品をご紹介します。

ご一読いただければ幸いです。

 

 

違和感に蓋をして
口角あげて
背中で中指たててる
そんな自分に
ゾクゾクするわ

 

自分で自分を
騙している
自覚はちゃんとあるから
大丈夫
まだ冷静だ

稲本 英
22p.
228-229p.

 

 どちらも「自分で自分を騙している」ことについて詠っているお歌だと思う。面白いのは、どちらも「自分を騙している自分」を「さらに客観視している自分」の目線で詠われていること。前者はそんな自分に恍惚としており、後者は少し正気を失いかけている様子が見て取れる。作者に自分を騙すことを強いている存在が何なのかまでは読み取れなかったが、独特の魅力を放つお歌達だ。

 

ほんとうに
よいことばは
たぶん
どこぞでだれぞが
すでにつことる

 高原郁子(こうげんかぐわし)
38p.

 

 確かにその通りだと思う。誰かの人生の糧になるような「本物の良い言葉」はもうすでに誰かが紡ぎ、残していることだろう。でも個人的には「誰かにとって必要となる言葉」というのは時代とともに変化していくものだと思う。だから、我々は、自分自身を含む、今を生きる人達に向けて、必死に言葉を紡ぐのだろう。結論ではなく前提として、大切なことを教えてくれたお歌。方言での表記も効いている。

 

暗黒の
未来に
なっちまったな
だが
それでいい

堀川士朗
127p.

 

 どこかデカダンスを匂わせる、破滅的で毒のある作者の書く五行歌が大好きであったが、作者は今号限りで五行歌の会を退会されてしまった。わりと筆者と年齢も近く、共鳴する部分も多かっただけに、ショックが大きかった。ほんの一瞬ではあるが、私も会を退会することを真剣に考えたほどだ。今後は表現するジャンルは変わってしまうが、これからもお互いに刺激を与え合えるような存在でいたいと願う。暗黒の未来で祝杯をあげたい。

 

虐待 ネグレクト
私にだって
その芽は
潜んでいると思った
子育て時代

村松清美
164p.

 

 児童虐待のニュースが流れるたび、多くの人は加害者の残虐非道さを責め立て、「信じられない」「理解できない」と自分とは関係ない問題として捉えてしまいがちだと思う。しかし、このお歌は自分にも加害者になる可能性があったことに正直に言及し、虐待・ネグレクトといった問題を、特別な事情を抱えた人だけの問題ではなく、自分自身に引き寄せて捉えているところに、勇気と潔さを感じた。

 

信じよう
お互いに
失ったものを
与えられた
仲なのだ

しん
175p.

 

 「お互いに失ったものを与えられた仲」というのは色々な解釈ができそうだ。作者とその相手はわかりやすい関係性ではなく、色々あった仲なのだろう。それを具体的に説明することなく、簡潔な言葉で表現することで、読み手に想像の余地を残しているところに惹かれた。能動的な「信じよう」という一行で始まるところもいい。

 

悩む相手に
自分の古傷を
特効薬のごとく
語っている
ん、卑しいぞ

吉川敬子
189p.

 

 これは私もよくやってしまいがちなことなので、大いに共感した。悩みは人それぞれのはずなのに、かつて悩んだ経験がある人は、自分自身の経験談が、今悩んでいる人へのヒントになるはずだ、と信じて疑わないところがある。これは、私も善意のつもりで知らず知らずのうちにやってしまうことがあるが、悩んでいる当人からしてみれば、自分の悩みを相談したはずが、いつの間にか相手の体験談にすり替わっているのだから、「きちんと自分の話を聴いてくれていない」と感じる可能性もあるだろう。作者の仰る通り、こうした行為は卑しいのかもしれない。今後は気を付けようと思った。

 

毎年の
梅の香を
くぐり抜け
父の匂いの消えた
家に入る

三隅美奈子
222p.

 

 年月の巡りと、かつてそこに居た人の追憶とを「香り」と「匂い」とを用いて、非常に巧みに描かれている。まるで、良質の短編映画を観た後のような余韻が残る。お父上との別離からはある程度の年月が経ったことが伺え、感傷的でありながら、それでも季節がまた春に向かってゆくことの前向きさも感じられる。この塩梅がたまらない。

 

四百人の聴衆より
たった一人の暗闇へ
語りかける方が合っています
音訳再開
頑張れ自分

板東和代
233p.

 

 「たった一人の暗闇に語りかける」という表現に惹かれた。音訳については知識が無かったので、ネット検索で少し調べて知ったのだが、目の不自由な方達向けに、活字の本などを読み上げて録音図書などにまとめる作業のことのようだ。「暗闇」とは文字通り目が不自由なことも指しているのだろうし、心の暗闇のことも指しているのであろう。こうした取り組みはもっと広がって欲しいと思うし、私も作者を陰ながら応援したくなった。

 

ついに来たか
老々看護の
二人三脚
助け合い行くぞよ
ゴールまで

堀内 力
272p.

 

 社会問題ともなっている老々介護のことをあくまで、前向きに描いている点に惹かれた。「二人三脚」や「行くぞよ」という表現もいい。介護のゴールとは、すなわち人生の終わりに他ならないが、こういった達観した明るくて前向きな高齢の方の死生観に触れるにつけ、自分もこういう歳の取り方をしたいなあと思わされる。

 

貴方のせいだと花が言う
お前が悪いと風が言う
散らせる風も散りゆく花も
御互い引かれ合い縺れ合いながら
罪を背負ってこの世に生きる

辻 あい子
273p.

 

 「花」が女性、「風」が男性の象徴であろうか。ちょっと演歌調な世界観にも思えて、不思議な読後感を覚えた。「花が散る」とは破局の暗示のことか。それでも、花も風も、引かれ合い、縺れ合いながら、「罪を背負ってこの世に生きる」という。一筋縄ではいかない、オトナの男女観という感じがする。今までの五行歌の世界ではあまり類を見ない感性をお持ちの方だとお見受けした。今後も注目してゆきたい。

 

いつも
新しいいのち
今日は
あなたに
会った

草壁焔太
274p.

 

 何を言っても蛇足になってしまいそうな、流石と言うほかないお歌。そうなのだ。いのちは生きている限り、いつも今日が一番新しい。そのことを感じさせてくれるような「あなた」という存在が居て、その方に「会った」ということ。当たり前のようでいて、奇蹟のような巡り合わせ。ちいさな幸せを噛みしめて生きる様子が伝わってきて、あたたかい気持ちになる。

 

彼の身体は
礼拝堂であった。
深奥な喉から
高い鼻の塔を抜け
呼吸は歌になった。

マイコフ
276p.

 

 作者については詳しく存じ上げないが、ちょっと日本人離れした感性の持ち主だと感じる。英詩の日本語訳を読んでいるような感覚にも陥る。句読点の使い方も効いている。構成も言葉選びも巧みで、荘厳なイメージを読む者に抱かせる。最後の「呼吸は歌になった。」という締め方も好み。

 

グリムスパンキー
「大人になったら」
久々に感じた
この衝撃
まさに私の青春

加藤温子
324p.

 

 まさか雑誌『五行歌』でGLIM SPANKYの名前を見る日が来るとは!GLIM SPANKYとは、筆者もファンである二人組のロックユニットであるが、その中でも「大人になったら」という曲を選ぶあたりが、実にわかってらっしゃる、という感じ。筆者はもっとポップな「リアル鬼ごっこ」という曲が一番好きなのだが、「大人になったら」はスローテンポで過ぎ去りし青春を歌っている名曲だ。好きなアーティストのことをストレートに詠っているところがよく、アーティストを知っていると余計に共感できて二度美味しい。書いてくれてありがとうございます、と言いたくなるお歌。

 

※参考 GLIM SPANKY - 「大人になったら」


GLIM SPANKY - 「大人になったら」

 


(了)