ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

貝澤駿一さん第一歌集『ダニー・ボーイ』を読んで

 2025年11月30日に行われた貝澤駿一さんの第一歌集『ダニー・ボーイ』の批評会に参加させていただいた。批評会に参加するのは初めての体験だったが、パネリストの方々の的確な読みには何度も膝を打つ思いだった。また、会場発言での川野里子さんの「えげつない現実を詩で押し返す」という言葉に大いに感銘を受けた。ひとりで歌集を読むのでは得られない知見や読み筋を共有していただける批評会という場はとても貴重だと感じた。
 
 ここでは、当日貝澤さんに伝えることが叶わなかった、筆者が歌集『ダニー・ボーイ』を読んで感じたことをまとめてみたい。
 

「目を逸らさない」という胆力

再生数競う動画に爆撃の首都と歌い手ならべられおり
「サーチライト」 133p.
僕の脚に「駿」という字は書かれない空爆に逃げなくてもいい 今は
「脚」 150p.
〈特定少年〉になりうる二十六人のひとりひとりに渡す成績表
「少年」 158p.
ガザに雨が降らないことを、慈雨という言葉がうまく訳せないことを
「慈雨」 161p.
 
 世界各地で戦争や紛争があり、日本国内でも残酷な事件がある中で、それらの情報と正面から向き合うと精神が疲弊してしまうため、上手くやり過ごすというか、なるべく凄惨なニュースと自分との接点を意識的に減らし、目の前の楽しいことや気持ちのいいことに熱中している人が多い、というのが現代を生きる人達への印象だ。もちろんそれは筆者自身も例外ではない。
 
 その点、作者は、というよりは少なくともこの歌集の中における主体は、残酷な事象の数々を想像力によって自分に引き寄せ、「自分ごと」として考えることを放棄しない。様々な事象をまっすぐに見つめる視線によって紡がれた歌そのものより、主体の曇りなき眼の清らかさと胆力のほうに感銘を受けた。読んでいて思わず「すごいな」とたじろいでしまったほどだ。
 

美学と思慮深さ

戦うことを恐れてしまう夏の空その情けなさに救われながら
「白球残影」 122p.
鉄の匂いこびりつきたりさかあがりできぬくやしさこみ上げる手に
「サーチライト」 132p.
 
 文学表現とは、「何を書くのか」ということと同じくらい、「何を書かないのか」ということも大切だと思う。この歌集には主体のかっこ悪いところや情けないところを表現した歌もあるが、そういう歌でさえどこか整い過ぎている印象を受ける。他人に差し出すための、折り目正しいかっこ悪さや情けなさという感じがしてしまう。もちろんそれは作者の美学と思慮深さによるところだとは思う。個人的には、作者が他人に見せることを躊躇うような、生々しい手触りの歌も読んでみたい。
 

固有名詞の使い方

 批評会でも多くの方がこの歌集の特徴として、固有名詞の多さを挙げていた。筆者は固有名詞の多さだけでなく、作者ならではの固有名詞の使い方にも注目したい。
 
夏の終わりに恐ろしき誓いありキューピーマヨネーズのふたの赤
 
結果より過程が大事 「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」
 
大谷にがんばれを言うカロリーで俺ががんばるべきだと気づく
富尾大地
 
 近代以前の短歌については不勉強のため言及できないが、現代短歌において固有名詞を歌に詠み込む際は、よく知られているものを用いてその固有名詞が持っているイメージを拝借し、歌に具体性を持たせる意図があることが多いように感じる。つまり、「読者との接点を持たせる」ために固有名詞を用いると言い換えることができると思う。
 
ヤングシンバに本気で憧れていたことも話すよこんな夏の終わりに
「ヤングシンバ」 93p.
十字架を破壊されたるディラン・クレボルトの墓に苔は生えない
インビジブル」 95p.
 
 一方で、この歌集の中では一般的にはあまり知られていないと思われる固有名詞も頻出している。作者は単なるイメージの拝借というよりは、そういったある種マニアックな人物名や地名に興味や関心を寄せることを自分自身のアイデンティティと結びつけている節があるのではないかと感じた。つまり、「読者との差別化を図る」ために固有名詞を用いていると言えるのではないか。
「相手が知らないことを知っている」というのは、作者の職業である教師の資質として重要なものであるのは間違いない。こうした固有名詞の使い方こそがこの歌集の一つの特徴になっていると思う。
 
 
 
(了)

雑誌『五行歌』2025年3月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 3、4月のバタバタと忙しくしていました。なかなか本誌をゆっくり読む時間が無く、5月の連休に突入してしまいました。

 

 それでは、2025年3月号から、私の気に入った五首をご紹介します。

 

 

核戦争
黒い傘の
ワンタッチで
開く

 

福島吉郎
10p.

 一行目とそれに続く四行との取り合わせが見事。破滅はもうすぐそこまで来ていて、それこそ傘を開くためのボタンを押すくらいの弾みで崩れてしまいそうな、危ういバランスの上に我々は生活しているのだと感じる。2025年現在のこの世界を取り巻く不穏なムードをたった五行で的確に表現されている。

 

 

お正月も施設から
帰れない友は
折り紙の
カエルを
沢山折っている

 

井戸喜美代
140p.

 お正月も施設で過ごすことを余儀なくされているご友人が折り紙で折っているのが「カエル」であるという。おそらくこの行為は「カエル」と「帰る」という言葉をかけて、ご友人の「帰りたい」という気持ちの表明なのだろう。しかもその「カエル」を「沢山折っている」というところに意思の強さが滲む。帰りたくて泣いたり怒ったりするような短絡的な感情表現ではなく、黙々と折り紙を折っているという行為が、静かな意思表示のように感じられて好みだった。

 

 

通夜の帰りに
お清めの塩を忘れる
でも
あの人の霊なら
いいや

 

加藤温子
221p.

 故人への信頼感や心の距離の近さを感じる。故人の霊に取り憑かれることさえも許容している。むしろ亡くなってからも霊としてでもいいから、そばにいてほしいというような気持なのだろうか。もし自分が亡くなったときに、こんなことを考えてくれる人が一人でも居たなら、どんなに幸せな人生だろう。あたたかい気持ちになるお歌だった。

 

 

豊穣を得て
また紡ぐ
私たちの
創造が
終わりないものでありますよう

 

水源 純
227p.

 特集『満開の一木』より。色々な捉え方ができるお歌であると思うが、誤読をおそれずに評をするなら、このお歌は五行歌のことを詠まれたお歌であると考えたい。一行目の「豊穣」とは、豊かな自然や人々の心の豊穣さのこと、つまりは作歌の種のことであるように感じられた。三、四行目の「私たちの創造」はまさしく五行歌を創る行為のこと、そして五行目はそれが「終わりのないもの」であることを祈っている。五行歌にまつわる営みが今後もずっと続いて欲しいという希求が胸を打つ。

 

 

拡充
より
縮充
ゆったりと
熟す刻

 

山本清徳
228p.

 特集『八十路の歩み』より。平易で簡潔な言葉で紡がれ、作者の穏やかな心情が伝わる特集だった。特に好みだったのがこのお歌。三行目「縮充」とは、まちづくりの用語で「人口や税収が減少しても、地域社会の活性化や住民の生活を充実させること」を指すという。それを受けての四、五行目の表現が秀逸。人口減少というと、とかく危機感やデメリットばかりが強調されることが多いが、このお歌のような受け止め方ができたらいいな、と思わされた。

 

 


(了)

雑誌『五行歌』2025年2月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 2月中の更新が間に合わず、3月も半ばになってしまいました。というのも『ベルサイユのばら』の映画を観に行ってハマってしまい、ここ1ヶ月半くらい暇な時間はずっと『ベルばら』の漫画を読んでいたのでした。先日無事に読了しました。とんでもない名作でした!

 

 それでは、2025年2月号から、私の気に入った五首をご紹介します。

 

二階に来たが
何しに来たか
忘れてしまった
何しに来たんだろ
この世に

 

鮫島龍三郎
10p.

 

 何かの用事があって二階に来たのに、来たとたんに肝心の用事を忘れてしまったという。ここまでならよくある話だが、後半二行で話は一気にスケールアップし、作者はご自分がこの世に生まれてきた意味を問い掛けている。油断して前半を読んでいると、後半で一気に大きくて遠い所へ連れて行かれる、この構成が見事。現世にうまく馴染めていない感覚や無力感、ペーソスのようなものも滲み出ていて味わい深い。

 

 

妹と二人で
亡き母の和箪笥から
和服を全部出し
思い出話に花を咲かせ
そのまま元に戻す

 

白河つばさ
44p.

 

 姉妹で亡きお母様の和服を箪笥から引っ張り出し、形見分けや断捨離が始まるのかな、と思いきや思い出話だけして、「そのまま元に戻す」という。きっと和服はお母様を思い出すためのアイテムなのだろう。その一枚一枚に色々な思い出があるのだと想像した。大事な思い出が詰まった和服を簡単に処分できるはずもない。一読した時には少し意外だった五行目が、とてもあたたかい行為に思える。

 

 

散歩のポケットには
ホカロンみたいな
手紙
友から
届いたばかりの

 

神谷叡子
163p.

 

 散歩先のどこかのタイミングで友からの手紙を読もうとしたのだろうか。届いたばかりのその手紙をポケットに忍ばせているという。それだけで既にあたたかい光景なのだが、二、三行目の「ホカロンみたいな/手紙」という比喩が秀逸。冷えた身体をあたためてくれるような手紙の内容、あるいは友のお人柄なのだろう。心のこもった手紙をやりとりするお相手がいるのを羨ましく感じた。

 

 

言葉と
お相撲しながら
生き抜いた人でした
享年92才
谷川俊太郎さん

 

恵遊
172p.

 

 国民的な詩人というべき谷川俊太郎さんが昨年11月に亡くなられ、その死を悼む歌を2月号には何首か見かけた。このお歌は何といっても 「言葉と/お相撲しながら」という比喩の素晴らしさに尽きると思う。時には言葉に寄り切られたり、時には言葉を投げ飛ばしたり、個人の詩作のことをそんな風にイメージされたのだと推察する。相撲は裸一貫で相手に立ち向かってゆく、ごまかしの効かない格闘技である。自分も言葉に立ち向かうときは、同じように相撲を取る感覚で臨みたいと思わされるお歌だった。

 

 

大して
寒くない
クリスマス
白い息も
出ない

 

中澤麻祐子
246p.

 

 12月後半にも関わらずあまり寒くない去年のクリスマスだったのだろう。イメージ通りではなかったクリスマスにどことなく落胆している感じが伝わってくる。二行目「寒くない」、五行目「出ない」と否定形の文が続いていることからも、クリスマスを楽しみ切れていない印象を受ける。クリスマスに浮かれたりはしゃいだりするのではなく、淡々と詠っているところにリアリティを感じるお歌だった。

 


(了)

雑誌『五行歌』2025年1月号 お気に入り五行歌

 どうもひげっちです。

 

一月も残り僅かですが、本年もどうぞよろしくお願いします。関東新年合同歌会でご一緒した方々、ありがとうございました。関西新年合同歌会が今週末のようですね。

 

それでは、2025年1月号から、私の気に入った五首をご紹介します。

 

 

禅の教えは
こだわらないこと
落とし穴は
こだわらないことに
こだわること

 

リプル
16p.

 禅については門外漢だが、おそらく禅の教えでは物事への行き過ぎた執着を戒めているのだろう。その一方で、決して物事に執着すること自体を否定しているわけではないのだと想像する。後半二行の表現が面白く、「こだわらないことにこだわらない」ためには一体どうすればいいのだろう、と途方に暮れてしまいそうだ。このお歌自体が禅問答のような趣きを感じさせ、味わい深いと感じた。

 

 

それ程
長生きもしたくないのに
何気に
濃い方の人参ジュースを
選ぶ自分がいる

 

長谷川明美
114p.

 非常にリアリティを感じさせるお歌の内容だった。普段から特別に長寿や健康に拘りがあるわけではなくても、人参ジュースの濃さによる違いがあり、「濃い方が健康効果が高い」などと謳ってあると、ついついそちらを選んでしまう……ということなのだろう。三行目に「何気に」とある通り、これは大袈裟に言えば生存本能のようなもので、無意識にそういった選択をしてしまうように、我々がプログラムされているのかもしれない。そんなことを考えさせられた。

 

 

写真展示の
来場者投票
全員自分以外に
入れてくれる
自慢の友達

 

水源カエデ
121p.

 写真展示に招待した複数の友達が、来場者投票で全員作者以外の写真に投票したということだろう。ざっくばらんでサバサバした関係性が感じられて微笑ましくなる。また、友達それぞれが気を遣ったり、忖度をしたりせずに自分の審美眼に基づいてお気に入りの写真に投票をしたという点も見逃せない。作者も五行目で「自慢の友達」と表現している通り、本当に仲が良く、気持ちの良い友達だということが想像できる。

 

 

椅子にちょこんと正座する
丸くなった母の背
もう少し
優しくしよう
後ろ姿にはそう思う

 

往く春のみどり
252p.

 椅子に正座したお母様を後ろから見ている作者。その後ろ姿から何かを感じられて、お母様への接し方を優しくしようと思われている。このお歌で一番惹かれたのは五行目の「には」だ。この「には」により、前述の「優しくしよう」という決心はあくまで「お母様の後ろ姿を見た時のもの」に限定されている。逆説的に言えば、普段のお母様との関わりの中ではなかなか優しくあろうという感情が抱けないということだろう。自分に嘘を吐いていない、とても正直なお歌だと感じた。

 

 

抱えたもの
それぞれに
明るく集う
歌会の
けなげさを思う

 

高市範子
283p.

 歌会にある程度の期間参加し続けている方なら、大いに共感を覚えるのではないだろうか。参加者それぞれが、色々な困難や悩みを抱えながらも、何とか予定を調整し、同じ時間と場所を共有する。齢を重ねるに連れて、歌会という場のかけがえのなさというものを実感している。三行目の「明るく集う」という表現が大好きだ。五行歌の歌会はやさしくて、明るい。歌会という営みが、これからもずっと日本各地で続いてゆくことを願う。

 


(了)

雑誌『五行歌』2024年12月号 お気に入り五行歌

 どうもひげっちです。

すっかり寒くなり、今年も残すところあと僅かとなりました。

今年一年、五行歌の皆様には本当にお世話になりました。

おかげさまで楽しく充実した一年となりました。

どうぞよいお年をお迎えください。

 

それでは、2024年12月号から、私の気に入った五首をご紹介します。

 

窓という窓を
閉ざすことも
ある
やわらかいものを
守るため

 

南野薔子
47p.

 このお歌における窓というものは単なる建具ではなく、外界や他者との接点の比喩のように感じられた。筆者も昔、心を閉ざしてひきこもりのような状態だったことがあるが、安全な場所で弱い自分を守り、力を蓄えるために必要な時間だったと今では思える。とても説得力のあるお歌だと思う。当月号の他の作者のお歌も「窓」をテーマにしたものであった。未読の方はぜひそちらも読んでみてほしい。

 

悪い土壌ならば
こんなにも
イロトリドリの感情を
咲かせることは
ないと思うのです

 

涼風
49p.

 「土壌」が何のことかは明言されていないが、何となく五行歌界隈そのものを指しているように感じられた。むしろそうであってほしい、という希望的な読みかもしれない。先日の全国大会でも実感したが、全国各地で多種多様の五行歌人がまさに色とりどりなお歌を詠み続けている。語り掛けるような文体も魅力的で、読んでいて嬉しくなるお歌だった。

 

ごろん
寝返りうてば
目玉がおもい
ごろん
ごろん

 

芳川未朋
78p.

 寝返りをうった時に眼球の重さを感じたという、リアルな身体感覚が感じられるお歌。「ごろん」のリフレインも面白い。一行目のごろんは寝返りをうった様子を表し、四、五行目のごろんは目玉が揺れている様を表しているのだと推測した。

 

痛み
悲しみ

生き抜く時は
涙に守られて

 

三咲 青
144p.

 特集「東6棟 消化器外科」より。作者の入院・闘病生活を基に書かれた一連の作品の中でも冒頭のこのお歌に惹かれた。涙は弱気の象徴であるかのように言われることもあるが、自分を守ってくれているものと捉えられる作者の感性が素敵だと感じた。

 

「ウソはダメ」
なんてウソだ
みんな
だましだまし
生きてる

 

のぶし
148p.

 どうしようもなく惹かれ、何度もうんうんと頷いてしまったお歌。生きてゆくことは本当にこの歌の通りだと感じる。みんなままならない現実とどうにか折り合いを付けて、他人なり自分なりを騙しながら、誤魔化しながら、生きているんだと思う。

 

 


(了)

雑誌『五行歌』2024年11月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。
やっと秋めいてきたら一気に冬本番みたいになってきた今日この頃ですが、皆様お変わりないでしょうか。風邪をひいている方も多そうです。少しずつ年末の予定が気になり始める頃でもありますね。12月1日(日)に、東京ビッグサイトで行われる「文学フリマ東京39」というイベントで、AQ五行歌会として出店します! ブース番号は【D-33・34】です!! AQの25周年記念誌やメンバーの歌集も頒布する予定なので、お近くの方はぜひ遊びに来ていただければ嬉しいです。それでは、2024年11月号から、私の気に入った五首をご紹介します。
 
 
強いない
誘わない
仄(ほのめ)かさない
此処にいるだけだよ
と磁器が言う
 
山宮孝順
20p.
 筆者は磁器と陶器の違いも良く分かっておらず、美術館に展示されている磁器を見ても、どこをどう鑑賞したらよいのか判らないほどの美術オンチだが、このお歌の作者は磁器と対峙し、対話し、その魅力を余すところなく味わっているようだ。読んでいると目の前に静謐な佇まいの磁器が立ち上がってくるかのよう。魅力的なお歌だった。
 
 
昭和二年
読み取れるのは
それだけの稚児地蔵
今朝は
いもうとに似ている
 
蘭 洋子
56p.
 四、五行目にとても惹かれた。「今朝は」とあることから、作者はこの稚児地蔵にわりと頻繁に会っていることが想像できる。もしかしたら朝の散歩コースの途中にあるお地蔵さんなのかもしれない。家族の面影を重ねていることからも、作者はこのお地蔵さんに親しみを抱いていることが伝わってくる。
 
 
「あの日」という
一点で
終わらない。
原爆とは
深く永い
 
ゆうゆう
126p.
 作者は広島の方である。被爆地以外の人にとっては、広島と長崎の原爆忌に平和の大切さや原爆の恐ろしさに想いを寄せることはあったとしても、それはどこか一過性であり、そういった想いを毎日の中で持ち続けている方はそれほど多くはないという印象だ。このお歌には、そうした無関心や風化への警鐘も少し感じさせつつ、被爆地の当事者性をぐっと突き付けてくる力強さがある。五行目の「深く永い」という一行にとても感銘を受けた。
 
 
目覚めれば
あ、私
覚悟を
決めたんだ
 
宇佐美友見
151p.
 
 朝起きた時に、前日まで思い悩んでいたこと、心を掻き乱されていたことに対する姿勢が定まったのを感じ、自分自身が覚悟を決めたことを自覚した、という解釈をした。夜というのはどうしても思いが定まらない時間帯であり、決断をするには向かないように思う。心の姿勢が定まったのが朝だったというのは、感覚的にもリアリティがある。短くて簡潔なお歌ながら、その背後のストーリーに思いを馳せることができる秀歌と感じた。
 
 
はんぶんこ
して
小さい方を
食べるのが
 
工藤由祐
223p.
 日常の何気ない仕草から、「愛」という締めに持ってゆく運びが見事だった。お菓子やおかずなどを大切な人と「はんぶんこ」しており、相手に少しでも多く食べてほしいので、自分が小さい方を食べるのだという。もしかしたら、この行為に対して「愛」という言葉は少し大仰に感じる人もいるかもしれない。しかし、食べ物をめぐる行為は、何といっても生物の生死に関わる問題である。例えば、口先ではいつも愛の言葉をかけてくれるものの、「はんぶんこ」の時にいつも自分が大きい方を持っていく人の愛を、果たして本当に信用できるだろうか。人の本心とは意外と些細な行動にこそ表れるというのが筆者の持論だ。
 
 
(了)

雑誌『五行歌』2024年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 先週の第34回五行歌全国大会in大阪に参加して来ました! お久しぶりの方、いつもの方、初対面の方にお目にかかれて大変嬉しかったです!! 歌について真剣に和やかに語り合える仲間が全国にいるというのは、本当に心強く楽しく有難いことだなあ、と思いました。大会の準備・運営に携わった方々、小歌会でご一緒した方々、お会いできた方々にお礼申し上げます。ありがとうございました!! それでは、2024年10月号から、私の気に入った五首をご紹介します。

 

下手くそな
アルバイトに
思わず
演技指導する
お化け屋敷
 
よしだ野々
6p.
 
 コミカルな情景がありありと浮かぶお歌。お化け屋敷の脅かし役の演技に納得がいかず、脅かし方の演技指導をしているのだろう。どれくらい脅かし方が下手くそだったのかが気になるところだが、思わず脅かし方をレクチャーしてしまうところに作者の面倒見の良さが滲み出ていてほっこりさせられる。
 
 
いいね
いいな
に変わる瞬間(とき)から
ひもじくなる心
 
往く春のみどり
86p.
 SNS中毒と言ってもいいくらい、どっぷり 「いいね」のやり取りにハマっている者としては、ドキリとさせられるお歌だった。誰かの投稿に賛同や賞賛をしているうちはいいが、それが羨望や嫉妬に変わると少し話が変わる。言葉にするとたった一文字の違いであるが、気持ちの微妙な変化を上手く捉えている。また、SNSでは投稿する側にもある程度、他人に「いいね」をされたい、羨ましがられたい、という欲求があると思う。SNSを活用するものとして、あまり過度な「見せびらかし」は自重してゆきたい。
 
 
叱らない
ことでしか
褒められない
そんな人のまま
父親をやり抜いた
 
国東蒋午
87p.
 
 前三行の表現が興味深かった。「叱らないこと=褒めること」ということは、実際は父親に肯定的な言葉を掛けられた記憶がほとんど無く、父親の意に沿わないことをすれば叱られてばかりだったのかと想像する。そうした父親にはなかなか好意的な感情を抱くのは難しいかもしれない。それでも今、作者が大人になって子育てにおける父親の不器用さに気付けるほど成熟し、五行目で「父親をやり抜いた」と書いていることからも、父親への感情が決してネガティブなものではないことが窺える。深いお歌だと感じた。
 
命って
生まれる時も
とじる時も
人の心を
ひとつにしてくれる
 
町田道子
121p.
 
 身近な命の誕生や最後に立ち会った経験があるからこそ書けるお歌だろう。三行目、命の最後を「とじる時」と表現したのが奥ゆかしさを感じて好みだった。世界各地で命を粗末にする戦争が繰り広げられている現在だからこそ、じっくり味わいたいお歌だった。命の重さやかけがえのなさを実感させてくれてありがとうございます、と作者に伝えたい。
 
 
その昔
母の掌(て)は
熱さまシートでも
咳止めシールでも
あった
 
ゑ寿
155p.
 幼少期、風邪で寝込んだ時の母親ほど、頼もしくあたたかく見える存在はなかなかないだろう。「母の掌」と、現代的で具体的な商品名との取り合わせが面白い。感染症のリスクを考えると、現代の子供たちは母親に掌で熱を確かめてもらったり、背中を擦ってもらったりした経験が無いのかもしれない。郷愁を感じてグッとくるお歌だった。
 
 
(了)