ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2020年12月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 すっかり遅れ癖がついてしまったこのシリーズですが、みなさんの秀歌・名歌を見逃してはなるものか!というやる気だけはあります。マイペースでも更新してゆきますので、どうぞ見放さずにお付き合いいただければ幸いです。

 

 

CDラジカセの
ガチャン、スーや
ツー、キュルルル
あのプレリュードが
たまらなく好き

 

亜門
25p.

 世代的にドンピシャなお歌だった。CDは時代遅れのメディアになりつつあり、YouTubeなどの動画配信サイトや定額制のサブスクリプションサービスを利用して音楽を聴く人が増えていると聞くが、このお歌を読んで久しぶりにCDで音楽を聴いてみたくなった。とは言うものの、手元にあったCDはほとんど処分してしまったし、うちにあるCDコンポは壊れたままで放置してあるのだが。聴く音楽そのものの魅力ではなく、音楽が流れるまでに鳴る一連の動作音に注目したところが効果的だと思う。

 

 

 

一という文字を
筆で引く
最初の点に力が入り
最後の点に力が入る
その間の浮遊感が好き

 

西垣一川
27p.

 小学校の頃、書道教室に数年間通っていた。当時はあまり熱心な生徒ではなかったが、先日通っている訓練所で書き初めをする機会があり、久しぶりに毛筆で字を書いてみたところ、思いの外楽しい体験だった。やらされている感が強かった当時には気がつかなかったが、書をすることは楽しいことだとこの歳になって初めて知ったかもしれない。このお歌は読んでいるだけで、書というものの臨場感と実感が伝わってくる。五行目の浮遊感という表現が実感として腑に落ちる感じがする。

 

 

 

みんなの鉛筆を
削ってまわった
入社初日
テレワークの今は
何をするのだろう

 

高樹郷子
42p.

 新入社員が初日からできることは、そう多くはない。せめてもと他の社員の鉛筆を削って回ったエピソードは甲斐甲斐しくて何だか新鮮に感じる。コロナ禍での新入社員のなかには、入社初日からテレワークという方もいるだろう。テレワークの経験は無いが、オンライン通話はよく行っているので、あれこれ想像してみたが、新入社員にも出来る、他の方の役に立ちそうなことというのは思いつかなかった。テレワークだけで職場に馴染むのもなかなか大変だと思ってしまった。

 

 

 

学生証を
靴に隠して
反対デモに加わった
あの法案の下で
生きている

 

世古口 健
65p.

 作者の正確な世代は存じ上げないが、おそらく日米安全保障条約に関わる闘争のことを詠った歌ではないかと想像した。学生証を靴に隠すという描写が生々しく、当事者しか知り得ないリアリティを感じる。今ではなかなか想像しづらいが、当時の学生は積極的に社会や政治に関わっていたのだと思うと、熱気のある時代が少し羨ましく感じたりもする。声を上げても社会を変えることはできずに、当時反対した法案の庇護下で暮らしていることを、受け入れがたいものの、認めざるを得ないというようなニュアンスの四、五行目も味わい深い。

 

 

 

冒険心が
無くなったら
船を降りて
トマトなど
植えることにする

 

上田貴子
66p.

 ご自分の冒険心を大事にしている反面、それに拘泥してはいない。無くなったら無くなったで、したたかに楽しくやっていけますよ、というような自然体の逞しさを感じる。トマトという作物の選択もいい。熟した実の真っ赤な色を連想し、数ある野菜の中でもまっすぐな生命力を感じさせるものだと思う。詠いっぷりがとにかくかっこいい、文句なしに好きなお歌だ。

 

 

 

「私は傷ついた」と
泣いた原因の多くは
思い返すと
自分の「我の強さ」
だった

 

清水美幸
98p.

 本物の大人のお歌という感じがする。私はまだこの域まで達していないため、100%の共感はできないが、「いつか読み直すとすごく共感するだろうな」という予感めいた感覚がある。現時点での私なりに解釈すると、自分が傷つくことの原因として、自分が相手に対して過度な期待をして、それが裏切られたときに失望することがあると思う。この場合は、傷の原因は相手の悪意ではなく、相手に的外れな期待をしている自分の甘さやわがままにあると考えることもできる。何より、相手の行動や思考は自分には変えられないが、自分の期待や甘えをコントロールして、あらかじめ傷つかないように考え方を変えることはできる。作者は経験を経て、そういったことに気づいて書かれたお歌だと推察した。

 

 

 

ゴミ回収の
やせた青年
ふと見ると外国の人
そういう人たちに支えられて
ステイホーム

 

平井千尋
171p.

 日本の今の現状を端的に表しているお歌だと思う。ゴミ回収の仕事もいわゆるエッセンシャルワーカーと呼んでいいだろう。多くの人の生活のためになくてはならない大切な仕事である。しかし反面、不衛生なゴミを扱う仕事でもあるため、その業務には様々なリスクを伴う。自分がコロナ禍で自粛生活ができているのも、外国の人がそういった仕事をしてくれているおかげという、作者の感謝の気持ちが伝わってくるので、読んでいて気持ちがよい。

 

 

 

みんなに必要だ
いてほしいと
思われて
いるうちに
消え去りたい

 

玉井恭介
217p.

 わかる!、とシンプルに共感したくなるお歌だ。引き際の美学という言葉が思い浮かぶ。自分の引き際を見極めるのは難しい。組織や家庭の中で頼りにされている、必要とされていると思い込んでいるのは自分だけで実際は疎まれていた、なんていうこともよくある話。周りから必要とされていると実感できている時が、実はすでに引き際なのかもしれない。

 

 

 

骨の折れた
相合い傘です
そんでも
こころ潤う
雨の夜

 

今井幸男
266p.

 実際に雨の夜に骨の折れた傘を差しているのか、それとも心情の比喩なのかまでは読み切れなかったが、どちらにしても良いお歌だと感じた。三行目の「そんでも」と四行目の「こころ潤う」が効いている。相合い傘だから、もしかしたら二人とも少し傘から身体がはみ出してしまい、雨に濡れてしまっているのではないだろうか。それでも、そんな状況を好意的に、心温まる情景として描いているところに惹かれた。

 

 

 


でなく
あたりの空気が
まるごと香る
金木犀

 

大貫隆
273p.

 金木犀を詠んだ名歌は多い。秋の訪れを感じさせる香りを放つ花として、歌人が詠みたくなるモチーフの一つなのだろう。このお歌は何と言っても「あたりの空気が/まるごと香る」の三、四行目がお見事。金木犀の香りの強さ、濃厚さを感じたことのある人なら大いに共感するに違いない。一行目と五行目がそれぞれ体言止めでシンプルにまとめられているのも効果的だと思う。

 

 

 

どうぶつのもりで
住宅街を
作ったら
やることが
なくなっちゃった

 

とのはる
284p.

 「どうぶつのもり」は、任天堂の人気ゲーム「どうぶつの森」シリーズのことだろう。筆者はプレイしたことはないが、周りにプレイしている人が何人かいる。プレイヤーは動物のキャラとして、自分の家を作ったり、他の住人と交流したり、ゲーム内での仮想生活を楽しめるらしい。このお歌は。そのゲームで住宅街を作ったら、他にやることがなくなった、と詠う。もしかしたら、作者はすでにこのゲームに飽きただけなのかもしれないが、自分達が住める街を作ったらそれで充分というような、慎ましさが感じられて好みのお歌だった。

 

 

 

辞めたら
褒めてくれる
首相も
監督も
人間も

 

いわさきくらげ
289p.

 2020年12月号の投稿〆切が2020年10月下旬なので、「首相」は、タイミング的に安倍元首相の退任のことだと思う。安倍元首相の2期目は長期政権であった反面、様々な疑惑や批判も多かった印象であるが、辞任表明をしたとたん、それらの声は鳴りを潜め、元首相を労う声が多くなっていったのは記憶に新しい。「監督」は、作者が横浜DeNAベイスターズのファンであることを知った上での推測になるが、2020年10月に退任を表明したアレックス・ラミレス監督のことではないか。こちらも賛否両論の采配で物議を醸した監督であったが、退任表明後にはその手腕を好意的に評価する声が多かった印象だ。そうした表現の最後に、このお歌は「人間も」と締めくくっている。皮肉がこれでもか、というほど効いていてちょっと怖くなるが、確かに一面の真理を言い当てている。力のあるお歌だと思う。

 

 

 

わたしの毒舌なんて
可愛いものよ
一番
人を傷つけるのは
鈍感な善意

 

紫かたばみ
302p.

 四、五行目がとにかく共感する。毒舌にも可愛いものと可愛くないものがあり、自分で「可愛いものよ」と言っている時点であんまり可愛くないとは思うが、それはさておき、「鈍感な善意」が人を傷つけるというのは、本当にその通りだと思う。「鈍感な善意」は、その持ち主に悪気や自覚がないことが多く、こちらが傷ついたことを伝えても、善意の持ち主は相手を傷つけているという自覚がないため、反省や自戒をしないことも多い。実にタチの悪い話だ。筆者も知らず知らずのうちにこの「鈍感な善意」で誰かを傷つけてきたと思う。「自分は正しい」と自分の内面に向かって肯定してあげるのは大事なことだが、その正しさを誰かに押し付けてはいけない。他の誰かと接するときは、「相手には相手だけの大事な正しさがある」と思うことが肝要なのかもしれない。

 

 

 


(了)

雑誌『五行歌』2020年11月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 お気に入り五行歌の紹介シリーズも最新号とは一年以上のブランクが空いてしまいました。これもひとえに私の怠惰が為せる業なのですが、この企画はそもそも私自身が秀歌を記録するためにやっているところが大きいので、だいぶ昔のお歌ですが、ご覧いただければ幸いです。

 

 

恥ずかしい
って
気持ちいい

似てる

 

仲山 萌
5p.

 私がここ数年来感じていたことを綺麗な形で言語化してくださっており、感銘を受けた。「恥ずかしい」と「気持ちいい」は心の中でかなり近いところにある感情だと思う。秘め事はもちろん、例えば誰かに笑われることや多くの人の前で発表をすること、五行歌のような詩歌による表現行為も、一般的には「恥ずかしい」の部類に入るだろう。これらの行為に共通することは「自分をさらけ出すこと」ではないだろうか。こうした行為は、傷つくリスクもある反面、うまくいった時の「気持ちいい」とセットになっていることが多い。自分をさらけ出して、それが誰かに受け入れられた時、我々は快感を感じるようにプログラムされているのに違いない。もちろん例外はあるので、恥ずかしいことばかりをしていれば良いというものでもないだろうけど。

 

 

想いを
貫くとは
無精卵を
抱き続けて
いるようなもの

 

磯崎しず子
16p.

 「無精卵」という言葉にインパクトがあり、説得力のあるお歌だ。想いを貫くことは、ある意味独りよがりで自己完結的な行為であるということだろうか。そうと解りつつも、想い続けることをやめられない切迫感がこのお歌からは伝わってくる。報われないし、見返りもない、それでも卵を抱くように大切に貫き続ける想いとは果たしてどんなものなのか。

 

 

 

野菜は有機栽培
人間は勇気栽培
わたしの五行歌は幽奇栽培
冷暗所で
鑑賞ねがいます

 

今井幸男
187p.

 駄洒落と思いきや実はなかなかに味わい深いお歌。人間は勇気で育つという定義が面白い。自分が成長してきた度合いは、自分が発揮してきた勇気の量に比例しているという気もして、真理を突いた表現かもしれないと思わせる。三~五行目の落とし方も作者ならではのセンスが光って大好きだ。思わずクスリと笑ってしまった。

 

 

 

真夏日
面目躍如だ
洗濯物干す端から
さわ、から、からん
と、乾いていく

 

山茶花
190p.

 どこまでも気持ちの良いお歌。これ以上ないくらいに晴れ上がった真夏日の、くどいほどの青空や容赦のない日射しが思い浮かぶ。「洗濯物が干す端から乾いていく」というのは、多少誇張した表現だとは思うが、作者の実感が伴っているのが感じられるため、不思議と納得させられてしまう。四行目のオノマトペがとんでもなく素晴らしい。私自身も「さわ、から、からん」を使った歌を詠みたくなってしまった。

 

 

 

朝ドラが再開され
また私の
規則正しい生活として
読点が
打たれる

 

樹実
210-211p.

 多くの人の共感を呼ぶ歌ではないだろうか。このお歌が書かれた当時は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、朝ドラの新規放送が中断されていた。筆者と同居する両親を見ていても、朝ドラは規則正しい生活の一助になっていることを感じる。きっとあの15分というのが絶妙な長さなのだろう。四、五行目の表現も巧み。

 

 

 

正しげだった
親の正体を知り
少し憐んで
子は
超えていく

 

吉川敬子
213p.

 子どもが成長するということの一面を上手く捉えている名歌だと思う。小さな子どもにとって、親は自分に対して一番影響力を持っている大人なので、その存在は唯一無二である。多くの子どもは大なり小なり親のことを信頼しようとするものだろう。しかし、子どもは成長するに連れて、社会や世界の中では親の言うことが必ずしも絶対ではないことを知ってゆく。一行目の「正しげだった」という表現が絶妙。親の宿命のような悲しみと、子どもに対する頼もしさの両方が感じられて惹かれた。

 

 

 

スマホを考えたのは
若い人
一回で
スワイプ出来る

 

嵐太
217-218p.

 なるほど、と膝を打った一首。最近は年配の方でもスマホを使いこなしているのをお見かけするが、中にはその操作が難しいと感じている方もいらっしゃるだろう。それもそのはず、そもそもがスマホ自体が、若い人が考案し、若い人が作ったものであることをこのお歌は指摘する。だから、自分がスマホをうまく使えなくても仕方ないのだ、と弁明しているかのような書きぶりが面白いと思った。

 

 

 

よろこべ
ちょっとよろこべ
痛いのは
生きてる
証拠

 

於恋路
275p.

 痛みの原因が分からないので迂闊なことは書けないが、何となく深刻な病気からくる痛みというより、足の小指をどこかにぶつけたという感じのシチュエーションを想像した。痛みに悶えつつも、それを感じるのは生きている証だと無理やり肯定的に捉えようとしているのが面白い。私も生活の中で痛みを感じることがあったなら、この歌のことを思い出したい。

 

 

 

失恋は
眉間のキズや!
真っ向勝負を
挑んだ
証や!

 

からし
307p.

 勇気付けられるお歌。失恋するということは真っ向から相手に気持ちを伝えた結果であり、決して恥じたり、落ち込んだりするべきことではないのだと教えてくれる。勢いのある関西弁の口調も効いている。こういうことを言える大人はかっこいい。今後、失恋に落ち込む誰かに会ったときには、このお歌を教えてあげたいと思う。

 

 

 

ここが
どん底
分からないけど
ちょっとずつ
陽があたる

 

奥響 賢
326p.

 作者のお気持ちのことか、コロナ禍の惨状のことかはわからないが、悪い状況が少しずつ良い方向に向かっていることが伝わるお歌だ。本当に底を打っているのか、やや不安が残る書きぶりがリアル。希望の表現もささやかで控え目なところに惹かれた。陽があたり、止まっていた時計が少しずつ動き出す。まさにその瞬間を捉えた名歌だと感じた。

 

 

 

(了)

新年のご挨拶(2022年)

あけましておめでとうございます。

ひげっちです。

 

旧年中はブログをご覧いただきありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年はとてものんびりゆっくりした一年だったので、

情勢を見ながらではありますが、色々と動き出す年にしてゆきたいです。

TwitterFacebookに投稿した、去年の自選5首をアップしておきます。

五行歌と短歌でそれぞれA面とB面の10首ずつあります)

 

f:id:hidgepaso0713:20220101135143j:plain

2021年自選五首(五行歌

f:id:hidgepaso0713:20220101135236j:plain

2021年自選五首B面(五行歌

f:id:hidgepaso0713:20220101135317j:plain

2021年自選五首(短歌)

f:id:hidgepaso0713:20220101135338j:plain

2021年自選五首B面(短歌)

 

2021年自分的ベストコンテンツ

どうも、ひげっちです。

 

2021年もあとちょっとなので、

毎年恒例の自分的ベストコンテンツを書き記しておきます。

 

音楽・曲

マヨイガ/羊文学


www.youtube.com

 2021年も2020年に引き続き、新型コロナウイルスの影響が大きかった一年だった。先の見えない陰鬱な気分になることが多かったように思うが、今年は7月に発表されたこの曲に「救われた」という感覚が強い。本当に何度もリピートして聴いていたし、無謀にもカラオケでも歌ったりもした。サビのところはキーが高くて歌えなかったが。

 

 羊文学は数年前から好きでよく聴いていたバンドの一つだが、最近の作品はどんどん多くの人に開かれた表現になってきているようで、頼もしい。この曲も『岬のマヨイガ』というアニメ映画の主題歌としてタイアップされたもの。静かで優しい曲調が心地よいし、崇高かつ包容力のある歌詞は不器用で未熟な存在をそっと見守って肯定してくれるような温かみを持つ。おそらく今後も自分の中で2021年といえば、この曲を思い出すことになると感じたので選ばせていただいた。

 

音楽・アルバム

RIGHT TIME/butaji

 今年はベストのアルバムを選ぶのにかなり悩んだ。ハナレグミ『発光帯』、折坂悠太『心理』、ROTH BART BARON『無限のHAKU』といったアルバムもかなり聴いていたが、一番まっすぐ胸に響いた作品という点で、このアルバムを選ばせていただいた。

 

 butajiさんのお名前は2020年1月ごろにTwitter上で折坂悠太さんがbutajiさんの『中央線』という曲を紹介していたのを見たのがきっかけで知った。その後、折坂悠太さんとの共作『トーチ』や、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌『Presence』を手がけたことからも注目を浴びているシンガーソングライターだ。

 

 アルバムの中でもSTUTSさんをフィーチャリングしている『YOU NEVER KNOW』と『I'm here』が特に好きだ。軽やかでカラッとしたビートとbutajiさんの温かみのある声質がうまくマッチしていると思う。特に、『I'm here』の以下の歌詞には泣きそうになるくらいグッときてしまった。

 

きっと聴かないでしょう 君は僕の歌を

だから辞めたり 始めたりして

続けることで僕が僕を知れる

伝えることでここにいれる

 

I'm here/butaji

 

 

映画

14歳の栞/竹林亮監督

14-shiori.com

 今年は例年より多くの映画を劇場で観ることができた。そんな中で、一番心に残っているのがこの作品。埼玉県にある実在の中学校2年のクラスの3学期の間、生徒35人全員に密着し、作られた映画だ。

 

 生徒のキャラクターはさまざま。かっこいい生徒も居れば、おとなしい生徒も居れば、恋する乙女も居れば、ハンディキャップを持っている生徒や登校拒否の生徒も居る。観ているうちに、ついつい自分の中学時代を重ねて、クラス内での立ち位置が当時の自分に近かった生徒に感情移入してしまうが、彼もまたクラス内でも映画内でも1/35の存在でしかない。

 

 私は中学時代、心底生きるのがしんどかった。深刻ないじめに遭ったり、登校拒否になったりしたわけではないが、とにかく自分自身をうまくコントロールできずに、自分に対しても周囲に対してもイライラしているところがあった。こんな自分は大人になってもきっとひとつも楽しい事なんて無いんだろうと思っていた。

 

 そんな私がこの映画を観たことで、ハッと気付かされる感覚があった。自分が中学時代に抱えていたモヤモヤやイライラは自分にとってはとても大きなものと感じていたけど、先生や周囲の大人達から見ればごく些細なありふれたものだったに違いない。私自身も1/35のよくある拗らせた14歳でしかなかったのだと。しかも時間が過ぎるのは早く、1年経てばまた次の35人がクラスにやってくる。この映画を観ることで私はしんどかった自分の中学生時代を少し相対化できた気がするのだ。

 

来年もたくさんの大好きなものと出会えますように!

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2020年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 リアル歌会も各地で再開されるようになり、他の用事でも出かける頻度がぐっと増えました。相変わらず転職活動を続けている毎日です。来月までにはそろそろ内定が欲しいところですね。

 

 さて、雑誌『五行歌』2020年10月号のお気に入り五行歌をご紹介します。ご覧いただければ幸いです。

 

 

 

孫たちの誕生日も
病院の予約も
忘れて
どうと言うこともない
日が過ぎて行く
 
村田新平
24p.
 「老い」というものがリアルに感じられるお歌。そこそこ大事な予定を失念するようになってしまうことは、ある程度高齢になるとよくあることなのかもしれない。そんなご自分を責めるのではなく、茶化すのでもなく、淡々と平静に締めくくった後半2行が見事。「老い」というものに対する静かな受容が感じられる。この自然体とも言うべき姿勢は、一朝一夕に身に付くものではないだろう。この境地に至るまでの作者の逡巡や葛藤を想像せずにはいられない。
 
 
 
恋歌は もう
おなかいっぱい
でも ひとつだけ
違う場所に
しまってある
 
宇佐美友見
97p.
 特集「きぼう」より。面白いお歌だ。作者が恋歌はもう食傷気味なのか、あるいはもう恋歌に共感できなくなってしまったのかは明示されていないが、恋歌の熱心な読者ではなくなってしまった今でも、別格として違う場所にしまってあるお歌がひとつだけあるという。非常に読者の興味をそそるのが巧い書き方である。なんとかして、特別扱いしている恋歌をこっそり教えて貰いたくなる。
 
 
 
エネルギーの塊だ
大人はこんなに
大きな声で
こんなに長く
泣くことが出来ない
 
おお瑠璃
122p.
 泣いている赤ん坊を観察してできたお歌だろう。この歌のとおり、泣いている赤ん坊を見ると、どうしてあんなに小さな身体からあんなに大きな声が出せるのかと思うときがある。言語を覚える前の原始的な表現である赤ん坊の泣き声に対して、もしかして我々大人は羨望に近い感情を抱いているのかもしれない。1行目の表現も、赤ん坊や生命そのものへの敬意が感じられて好み。
 
 
 
恵まれ過ぎて
逆に苦労する
若者たち
全人格が
育たない
 
菅原弘助
204p.
 感覚としてものすごく腑に落ちるお歌。筆者はもう若者顔はできない年齢だが、今の時代に生きる若者が苦労しがちであるのは、幼少期に恵まれすぎた環境で育ったことと無関係ではないような気がする。求めるものが何でも与えられる環境では、この歌の言うように全人格は育ちにくいのかもしれない。不自由さこそが工夫や成長を生むというのもひとつの真実だろう。その一方で、もちろん、子供が大切に育てられることに反対なわけではない。青少年が家族の庇護も受けながら、積極的に色々なことにチャレンジすることを手助けし、傷ついたり失敗したりしたときは家族の力も借りながら、またやりたいことに再チャレンジできるような社会になればいいのに、とぼんやり思う。大切に育てられた人間は、他の誰かを大切にできるはず。今の時代の子供たちのポテンシャルを信じたい。
 
 
 
5がある通知表を
初めて受け取ったけど
嬉しくない
線路の上を走るのは
嫌いなんです
 
水源カエデ
244p.
 周りの大人の顔色ばかりを窺い、線路の上をはみ出さないように、おっかなびっくり歩いていた学生時代の自分に教えてあげたくなるお歌。当時の私は通知表に5があると純粋に喜ぶような、今思うと実におめでたい子供だった。一方、作者はすでに通知表の成績が単なる評価の数字であることを理解し、他人からの評価に一喜一憂しない芯の強さを持っている。通知表の成績は進学のためには多少役に立つかもしれないが、社会に出たらほとんど意味を持たないと感じる。4、5行目の力強い言い切りが何とも頼もしい。
 
 
 
今度 生まれてくる時は
また 猫がいい。
猫がいい。
こたつの中で
ピアノを聴こう。
 
マイコフ
245p.
 不思議な魅力を感じたお歌。1、2行目からすると、作者はすでに猫として生まれているらしい。つまりこれは猫目線で書かれたお歌ということになる。この猫は来世も猫に生まれたいと感じ、4、5行目から察するにどうやら人間に飼われている猫という立場を望んでいるようだ。こたつの中で猫が小さなピアノを弾いているところを想像して、絵本の世界に迷い込んだような気分になる。わりと荒唐無稽な世界観であるのに、不思議とすっと受け入れてしまうような人懐っこいお歌だ。筆者が猫好きであるという点を差し引いても、魅力的なお歌であることは間違いない。
 
 
 
いっぱい送ったのに
一行しか返ってこない
LINE
穴が開くほど
見つめる
 
衛藤綾子
260p.
 恋歌だと受け取らせていただいた。離れて暮らしている家族からのLINEの歌という読みもできるとは思うが、4、5行目から感じる熱量はやはり想いを寄せる方からのLINEだからこそと思いたい。現代で恋をしている人なら誰もが多かれ少なかれ同じような経験をしたことがあるのではないだろうか。片想い等で、LINEの送り手と受け取り手の熱量に差があるとき、このお歌のようなことが起きやすい。相手の短い返信の意図をあれこれ想像したり、絵文字やスタンプの意味を真剣に考えたり、恋をしている人は何かと疲れる。作者の恋がどうか両想いであることを願う。
 
 
 
(了)
 

雑誌『五行歌』2020年9月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 新型コロナウイルス感染拡大の第5波は急激に収束しつつあります。少しずつ以前の日常を取り戻しつつある方も多いのではないでしょうか。最近は、転職活動が本格化してきて、説明会や面接によく行っています。いい職場と巡り会えることを願っています。

 

 雑誌『五行歌』2020年9月号のお気に入り五行歌たちです。ごゆっくりご覧ください。

 

 

よく
見知ったラベルを
貼り付けて
安心したい
ひとたち

 

井椎しづく
34p.

 ひとは理解できないものや未知のものに恐怖を覚える。だから、それらに見知ったラベルを貼って一括りにし、理解した「つもり」になって安心しようとする。例えば、仕事をせず、学業もせず、結婚もせずに生活している人達のことを「ニート」と呼んだりするが、そのような状態になっているのは人それぞれの事情があるのにも関わらず、傍から見るとその人のイメージは「ニート」という語句の持つイメージで固定されてしまう。ただ、これはその人自身を深く知る術がない人達にとってはある意味仕方の無い部分もある。一方で、家族や友人など近しい人達からも同じようなラベル付けをされると、ご本人としては辛いに違いない。そんなことを考えさせられたお歌だった。

 

 

 

ハーネス脱いだ
盲導犬
鼻をくんくん
尻尾をふりふり
忽ちやんちゃな犬の顔

 

よもぎ
37p.

 この場合のハーネスというのは使用者が盲導犬をコントロールするために犬の胴体に装着する器具のこと。ハーネスを脱いだ盲導犬はどこか、スーツを脱いでオフのモードに切り替わったサラリーマンにも重なる。後半3行の表現がそんな盲導犬の様子をありありと伝えていて魅力的だ。1行目の「を」の助詞の省略や、5行目の「忽ち」の漢字表記から、発語したときのリズムや見た目の文字数にもこだわりが感じられる。

 

 

 

来世は末っ子
ぶっ飛んだ生き方
してやる
親に言えない
長女の誓い

 

中島さなぎ
45p.

 来世のことを詠った歌が好きだ。自作にも何首か来世のことを詠った歌がある。来世のことは、すなわち「ありえないこと」なので、無責任に何を詠っても許されるところが魅力ではないかと思う。「ありえないこと」を前提に、今世での純粋な願望を詠う。それを仮初めの希望にして、また今世を生きる力に変える。このお歌もまさにそういう作品ではないかと思う。ぶっ飛んだ生き方をするという力強い宣言をした後に、親への心遣いをすっと織り込むところが長女ならではという感じがして、このお歌を味わい深いものにしている。

 

 

 

関西人で
よかった
ぼちぼちいきます
って言える
心療内科

 

衛藤綾子
96p.

 特集「わたしをわたしにしてくれる」より。「ぼちぼちいきます」を標準語で言うと「ほどほどにいきます」とかになるのだろうか。意味はそれほど変わらないとは思うが、「ほどほど」は「ぼちぼち」より堅苦しい感じがする。やはり、心療内科の先生に対して言うには「ぼちぼち」の方が、自分に対してもあまりプレッシャーを掛けずにいい感じでやれそうな雰囲気がある。実感として腑に落ちるお歌だ。

 

 

 

逢えないとわかると
逢いたくなる
いつも逢える時は
そんなに逢いに
行かないくせに

 

杉本浩平
149p.

 コロナ禍での大切な人との交流について詠んだ歌だと解釈した。筆者も家族や友人と外出や会食をする機会がコロナ禍で激減したが、なくなってみて初めて、それらの時間が大切なものだったと気付いたところはある。人間というものは「やっちゃダメ!」と禁止されると、逆にそれがしたくなるものなのかもしれない。

 

 

 

詠んでも
読んでも
癒される
五行歌
名カウンセラー

 

静(せい)
160p.

 特集「鹿屋五行歌サロン」より。筆者は五行歌だけでなく、短歌も嗜んでいるが、詩歌全般にこのお歌のようなことは言えるのではないか。歌を詠むことにより、自分でも気が付かなかった感情や想いを知ることができ、そういった感情や想いを吐き出すことで、それらを客観化することができる。また、ある種の浄化作用も得られるというのが、私の個人的な実感だ。一方、他人の書いた歌を読むことで、他人の人生の疑似体験できたり、今までとは少し違う物の見方が得られたりする。一度もお目にかかったことのない方のお歌で感動することもある。五行歌の魅力を端的に表されたお歌だ。

 

 

 

眼裏に
蒼い波
とぷん と
あたしの解凍が
はじまる

 

小沢 史
171p.

 歌意はなかなかに難解だ。的外れになるのを覚悟で書くならば、涙を流している時のお歌と思って読んだ。瞼から涙があふれ出てしまい、そのことによって、凍り付いていた作者の心・感情が解凍されつつあるのだろう。「蒼い波」という表現が巧みであるし、「とぷん」というオノマトペも効いている。完成度の高い名歌だと思う。

 

 

 

このように
生きよう
と思えば
そのように
生きられる

 

鳥山晃雄
198p.

 達人の極意のようなお歌だ。実際に理想とする生き方を行動に移さずとも、「このように/生きよう」と思うだけで、もう「そのように/生きられる」という。正直、今の筆者には本当にそうだったらいいな、と半信半疑で思うことしかできないのだが、歳を重ねればいつか実感を伴ってこのお歌の詠っていることが解るようになるのだろうか。時が経ってから答え合わせのようにまた読み返してみたいお歌だ。

 

 

 

トンネルの
向こう
半円に
燃える
炎暑

 

衛藤加洋
235p.

 少ない文字数で、的確に景色を切り取っている。トンネルの反対側の景色が暑さで逃げ水のように揺らいでいる様子が目に浮かぶようだ。「炎暑」という言葉の置き方も巧みだと思う。筆者は叙景歌が苦手なので、こういうお歌が詠める方に憧れてしまう。

 

 

 

人でなしで終わる
一日の戒めに
硬い、硬い
スルメの身を
ひたすらに噛む

 

数かえる
241p.

 「人でなしで終わる一日」という把握がまず凄い。作者には「今日の自分が人でなしだった」という自覚があるのだ。そんな一日と取り合わされているスルメが文字通りいい味を出している。「硬い、硬い」という読点で繋げられた形容も、スルメの身の硬さをより強調し、その硬さを作者が確かめながら味わっているような趣きを出すことに成功している。こうした自省を行っている作者には、きっと立場や役割上、人でなしにならなければいけない事情があったのではないか、と推察する。大人ならではの悲哀が感じられて大好きなお歌だ。

 

 

 

このまま
死んでも良い
という前提で
どう
生きるか

 

吉田保
251p.

 筆者も人生のだいたいを味わい尽くしたような気になって、前2行のような気持ちになるときがある。自分の人生にある程度満足している証拠なのかもしれない。しかし、このお歌はそれはあくまで、「前提」であり、その上でどう生きるかが大切なのだと主張する。ある程度、歳を重ねた者にこそ響く熱いメッセージのあるお歌だと思う。

 

 

 

人生とは
自分が主演、監督
演出、メイク
スタントマンを務める
作品

 

からし
263p.

 面白いお歌だ。人生は何でも自分でやらなくてはいけない、ハードな作品だというのが一読した感想であったが、よく読むと、「脚本」や「撮影」は含まれていないことに気付く。つまり、人生の筋書きは自分で決められるものではなく、また、人生をどういったカメラワークでどのように記録するかは自分のあずかり知らないものだという主張も感じ取れる。個人的には4行目「スタントマン」が入っているところが気に入っている。人生には身体を張らなくてはいけない、という実感が感じられる。

 

 

 

愚痴を吐かない人は
大きな石臼を
持っている
ゆっくり擂り潰し
消化している

 

長谷川明美
334p.

 2行目「大きな石臼」の表現に惹かれた。イヤなこと、気に入らないことがあったときに一喜一憂して、ギャーギャーと騒ぎ立ててしまう筆者なので、この作品の「愚痴を吐かない人」に憧れてしまう。穏やかな人の心の動きが丁寧に描写されている。「擂り潰し」が漢字表記になっているところもこだわりが感じられて好み。

 

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2020年8月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 すっかり間が空いてしまいました。コロナ禍&無職でいくらでも時間はあったはずなのですが、遊びほうけていました。前回の更新以降、スマホが壊れて買い替えたり、ワクチン2回打って副反応に悶えたりしていました。

 

 一年以上前のお歌達ですが、名作揃いです。どうかお付き合い下さい。

 

黒澤映画を見ると

昔は本物の大人が

いたなあと思う

今は大人の顔をした

子供ばかりだ

 

杉本浩平

5p.

 「大人の顔をした子供」の自覚がある私としては耳が痛いお歌。黒澤映画は代表作を何本か見た程度だが、彼の登場人物たちに在って、今の現代人に無いものとは何であろうか?私は一言で言うなら、「覚悟」だと思う。危機に瀕した際、我が身を犠牲にして、次代を生かそうとする姿勢。そういった覚悟が現代人には足りない気がする。しかしそれは裏を返せば、現代がそういった覚悟を持つ必要の無い、平和な時代であることの証左とも言えるだろう。今の平和が脅かされた時、現代人の持つ本当の顔が見えるのかもしれない。

 

 

 

母が息絶えた夜

こんなに悲しいのに

腹が減る

みんな泣きながら

おにぎりを食う

 

鮫島龍三郎

7p.

 どんな時でも腹は減る。最愛の人を亡くしたその日でも、お腹は空くのだ。生きていくことのある種の「しぶとさ」「みっともなさ」がよく表されている。みんなで食べるのがおにぎりというところもいい。ここは、お寿司でもサンドイッチでもダメだ。生活感と日常性を感じさせるおにぎりでなくては成り立たない。残された者たちの人生はこれからも続いてゆく。力強い生命賛歌のお歌だと思う。

 

 

 

 

真の

団らんのない

家に

三つの

 

紗みどり

12p

 3人のご家族が暮らしている家のことを詠んだお歌だろうか。家庭に真の団らんはないと言い切り、ご家族のことを「個」というどこか突き放した感じで表現されているところが魅力だと感じた。「真の団らん」がないという表現は、逆説的に「偽りの団らん」が存在していることが窺える。つまり、ご家族3人の仲は言い争いの絶えない状態と言うより、むしろ少なくとも表面上は仲良く暮らしているのではないかと推察できる。しかし、救いがないのは作者がそれを「真の団らんではない」と認識している点だ。ご家族の間に何があったのかは知る由もないが、現状を書き切る姿勢に迫力を感じたお歌だった。

 

 

 

 

書物にもぐり込んでいて

ことばまみれの私が

白昼の巷を

よろめきながら

歩いていく

 

柳瀬丈子

48p.

 作者が読書に夢中になるあまり、どこか頭でっかちになってしまい、一時的に現実の世界に上手くフィットできない感覚に陥っているように読んだ。その状態を表す言葉として、2行目の「ことばまみれ」が実に巧く、効いている。後半3行も、眩しすぎる昼間の街の、どこかクラクラする感じが表われていて好みだった。

 

 

 

 

93歳の母のもとに

90歳の叔母のお見舞い

手を取り合って

顔のシミの話をしている

え!? そこ? シミの話?

 

倉本美穂子

52p.

 ご高齢の母と叔母。2行目にお見舞いとあるので、おそらく母は入院されているか、少なくとも体調を崩されているのだと推察できる。お見舞いにやってきた叔母と母が手を取り合って話をしており、その話題が顔のシミの話であるという。この意表を突かれるリアリティにやられた。5行目に作者自らがツッコミを入れていることもあり、読者は可笑しく感じてしまいつつも、笑うのが若干不謹慎に感じられてしまう。絶妙な感情を呼び起こす、珍しいタイプのお歌だ。

 

 

 

 

別れ際に

そんなこと言うから

ここで

傘の滴を

見送っている

 

紫野 惠

135p.

 別れ際の相手の一言に呆然としてしまい、立ち尽くしてしまっているのだろうか。どんな一言だったのかが非常に気になる、思わせぶりな書き方で魅力を感じる。4、5行目の表現も好きだ。雨中の光景であることがさりげなく描写され、読者の想像力を掻き立てる。

 

 

 

 

裏返しで

生きている

そんな気がする時がある

何の裏返しか

忘れてしまったが

 

甲斐原 梢

143p.

 作者がときおり感じる「生」に対する違和感を的確に、軽妙に表現されている。洋服を裏返しで着るように、裏返しで生きているような気分になる時があり、しかも、それは何の裏返しかも忘れてしまった、という。元々は「裏返しでない」=「表向き」の生き方があったが、現在はその「表向き」とは真逆の生き方をしているような気がする、しかも、元の「表向き」の生き方もどんなものか忘れてしまった、といった解釈することが出来るだろうか。こうして書くとずいぶん救いのない状況だと感じるが、それでもこのお歌には、「自分も同じかもしれない」と感じさせる力があるように思う。

 

 

 

 

立った言っては喜び

歩いたと言っては

喜んだのに

いつか他の子と

比べ始め

 

憂慧

167p.

 子供が生まれたばかりの頃はささやかな成長を感動しながら喜んでいたのに、大きくなるにつれて「言葉が早い/遅い」「自転車に乗れる/乗れない」「勉強ができる/できない」などといった点を他の子供と比べてしまう親の残酷な性(さが)と、比べられる側の子供の辛さの両方を代弁してくれているようなお歌。ここからは親になったことのない私の想像でしかないのだが、親という生き物は、子供に対しての「存在そのものの肯定」はベースとして持ちつつ、自分の子を社会の中で一人前に育てないといけないという責任感から、子供が成長するに伴って、他の子と比べて優れている所/劣っている所がないかについて、一喜一憂するようになるものなのではないか。子の出来/不出来は親の自尊心に直結しやすいため、前述の「存在そのものの肯定」がたまに疎かになり、「優れていなければ存在を肯定されない」子供もたまに散見されるように感じる。迷ったときに原点に立ち返るのは大事。親子関係に悩む方々にヒントをくれるお歌ではないだろうか。

 

 

 

 

初給料を

在宅勤務で

いただく

孫のふくざつな

笑顔

 

木村斐紗子

198p.

 とても現代的なお歌。新型コロナウイルス感染拡大のため、大学を卒業して新社会人になってもほとんどオフィスには出勤せず、もっぱらテレワークで仕事を教わる新入社員もいると聞く。このお孫さんも同じような状況らしく、在宅勤務がメインのまま、初めてのお給料をいただいたという。嬉しく、誇らしくもあるが、どこか不完全燃焼であるような複雑な気持ちを4、5行目が上手く表現していると感じる。

 

 

 

 

乳児の目の

光る

湖に

漂う

安心

 

小原淳子

209p.

 不思議な雰囲気のあるお歌。5行全部に無駄がなく、効果的なことがまず好印象。前半3行の「乳児の目に光る湖」という表現に惹かれる。乳児は成人に比べて身体に水分が多く、その目も潤みがちでキラキラしていることが多い印象がある。そういった乳児の目、あるいはそこに溜まっている涙を「湖」に喩えたところが面白い。涙がしょっぱいことや、生命の起源は海であることなどから、この場合「海」に喩えた方が読む方の納得感は増す気もするが、その分既視感のある歌になってしまっていたのではないか。後半2行のまとめ方も好きだ。人間が子をなし、命のリレーが続いていくことへの温かい安心感のようなものが感じられる。

 

 

 

 

まるで

賽の河原の鬼のようだ

消毒のため

子らのレゴブロック作品を

バラバラにする

 

仁田澄子

214p.

 コロナ禍でお子さんを感染させまいと奮闘している作者の様子が窺える。お子さんが作ったレゴブロックの作品を消毒のため、バラバラにするという。念入りな消毒のためにはやむを得ない行為だとわかっているものの、せっかくのお子さんの作品を解体してしまうのには、罪悪感が伴うのだろう。そこで自らのことを、子供が石積みをするとそれを壊すという、賽の河原の鬼になぞらえている。この比喩がとても魅力的だと感じた。ただ、賽の河原の鬼は子供を苦しめるために石積みを壊しているが、この作者はお子さんの安全のためを思ってブロックを壊し、消毒している。行為の外見は似ているかもしれないが、目的は大きく異なる。作者には、「こんなに子供想いの鬼はいませんよ」と言ってあげたくなる。

 

 

 

 

そんなもの

ぼったくりバーに

並んでいる

 

いわさきくらげ

266p.

 面白いお歌だ。「愛」=「ぼったくりバーの瓶」だと、このお歌は主張する。ぼったくりバーというのは、サービスに見合わない高額な代金を請求される飲食店のことを指す。そこに並んでいる瓶、というのは2通りの解釈が出来そうだ。ひとつは、お客に普通に提供するためにカウンターなどに並んでいるお酒の瓶という解釈。もうひとつは、常連客がボトルキープしているお酒の瓶という解釈。どちらの解釈でも、「愛とは、それに見合わない対価を払わないと飲ましてもらえないお酒のようなもの」という作者の世界観が読み取れるところが好きだ。愛に対する不信感・警戒感を隠さない。愛を「そんなものどこにもない」と全否定するのではなく、「あるところにはあるけど、あえて自分で手に入れようと思わない」という作者の姿勢はとても誠実だと思う。

 

 

 

 

大黒摩季

「夏が来る」を

聞きながら

のりのりでつくる

かぼちゃの煮物

 

加藤温子

272p.

 歌手の大黒摩季さんは、世代ど真ん中なのでいくつかの楽曲はサビだけならソラで口ずさめるくらいには聴いてきた。代表曲「夏が来る」は夏の到来を心待ちにする女子の気持ちを歌った名曲なのだが、その曲を聞きながらのりのりで「かぼちゃの煮物」をつくっているという。楽曲の持つワクワク感のあるイメージと煮物という生活感のある言葉のギャップ、そして、大黒摩季という絶妙に懐メロになりつつある世代の歌手の組み合わせにグッときた。なんとなくではあるが、こうしてつくられたかぼちゃの煮物はとても美味しそうに思える。

 

 

 

 

きつく

しかられるより

だまって

ゆるされたほうが

ききます

 

村橋ひとみ

290p.

 真理を突いている類いのお歌。全部ひらがなで書かれているのも、この場合、小さい子供に言い聞かせているような雰囲気も感じられ、効果的だと思う。悪いことをして、きつく叱られるのは誰でもイヤなことだ。だが、悪いことをしたはずなのに、どこが悪かったのか指摘を受けず、何も言われずに許されたほうがしんどい、とこのお歌は主張する。おそらくは、作者は自分が悪いことをした時、怒られないと逆に居心地の悪さを感じるタイプなのだろう。確かに、そういったケースもあるとは思うが、世の中には意外と「悪いことをしているのに、自分ではそれが悪いと思っていない」というタイプも居る気がするので、そうした方々にはこのお歌のような心情は当てはまらないのかもしれないとも思った。

 

 

忘れたいこと

忘れたくないこと

ウイルスは

私のそばで

遊んでる

 

田村深雪

293p.

 コロナ禍を詠ったお歌は本誌に溢れているが、このお歌は独特の手触りを感じて好みだった。ウイルスを小さな家族やペットのように描写している後半3行がどこか達観したような味わいがあって魅力的だ。社会も世界も目に見えない小さなウイルスに一喜一憂し、踊らされている中で、作者の動じない、腹の据わり具合には憧れる。心や魂は、危機に瀕した時にその性質が明らかになるものだと思う。作者のような境地までいつか辿り着きたいなと感じる。

 

 

(了)