ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

2022年自分的ベストコンテンツ

どうも、ひげっちです。

 

2023年になってだいぶ経ってしまいましたが、

昨年の自分的ベストコンテンツを記録に残しておきます。

 

音楽・曲

NICE DREAM/サイプレス上野とロベルト吉野


www.youtube.com

 サイプレス上野とロベルト吉野は神奈川県出身の2人組ヒップホップユニット。地元が近いということもあり、10年ほど前に地域のタウン誌で紹介されていたのをきっかけに聴くようになった。彼らの自虐やユーモア、サービス精神に溢れた人間臭い音楽が以前から好きだったが、この曲はSTUTSさんが参加していることもあり、叙情的なメロディーと、カラッとした諦念と無力感と微かな希望が矛盾なく同居する歌詞が魅力的だ。

 

 とっくに何かが終わっている世界で、それでも自分と世界との折り合いを付けてサバイブするためのサウンドトラックとして、本作はとても2022年の自分にフィットしていた感覚だ。とくにサビの以下のフレーズはお守りのように何度も脳内でリフレインしていた。

 

まだ見なけりゃいけない世界は広く

途絶えないストーリー勝手に続く

人よりも先に自分から狂う

普通じゃない事それが普通

 

NICE DREAM/サイプレス上野とロベルト吉野

音楽・アルバム

HOWL/ROTH BART BARON

 

 2022年はアルバムが非常に豊作な一年だったと思う。藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』、中村佳穂『NIA』、奇妙礼太郎『たまらない予感』、syrup16g『Les Mise blue』、ELLEGARDEN『The End of Yesterday』などをよく聴いていた。

 

 数ある名盤の中で本作を選んだのは、好みの問題はあるが、2018年の『HEX』以降、相当なクオリティのアルバムを年1回のペースで発表し続けている継続性、さらにアルバムごとにバンドのハイスコアを更新し続けている成長力に拠るところが大きい。幸い今年は彼らのライブやフェスに足を運ぶことができたが、生演奏の破壊力も相当のもの。チケットがあっさり取れてしまうことに拍子抜けするほどだ。もうそろそろ、時代が彼らのヤバさに本格的に気付かないともったいないとさえ感じる。

 

映画

トップガン マーヴェリック/ジョセフ・コシンスキー監督

topgunmovie.jp

 

 今年はあまり映画館に行けなかった一年だったが、その中でもぶっちぎりの映画体験をさせてくれたのがこの映画。とにかく全編にわたって気持ちの良いシーンばかりであっという間に時間が過ぎる。娯楽作とはかくあるべき、と思わせてくれた。あとトム・クルーズはいくつになってもトム・クルーズ。かっこいい。以上。

 

今年もたくさんの大好きなものと出会えますように!

 

 

(了)

ごいたの戦術メモ③ ~手が弱いときは相方の話を聴く~

どうも、ひげっちです。

 

来週末は全日本ごいた大会ですね。私は今回参加できませんが、参加される方々は頑張っていただきたいです。

 

ごいたの魅力の一つは、ペアによる協力ゲームという点だと思います。自分の手が弱くても相方が強かったり、その逆のケースがあるのも面白いところです。

 

今回は、第3回「手が弱いときは相方の話を聴く」です。盤面をどうぞ。

 

自分①(横向きの「し」は伏駒)→下家なし→相方なし→上家②→自分の手番

 

いわゆる「はっちょう」気味の配駒で、大駒の飛から打ち出しましたが、上家に受けられて、金で攻められているケースです。こういう時、金を受けて馬や「し」を打つこともできますが、どちらも攻め駒としてはかなり弱く、十中八九、相手方に手を入れてしまうことになりそうです。

 

このケースでは、上家の金を「なし」とするのも有力な選択肢になります。相方が金を受けられれば、相方の一打目の攻めを見てから、自分の2打目以降の攻めを考えることができるからです。

 

例えば、相方が金受け馬としてくれれば、次に自分の手番になった時にかかりごたえの馬を打つことができます。あるいは、相方が金受けからの3香なんて可能性もゼロではありません。

 

ただし、上家の金が2打目や3打目だったケースや、席順の都合で飛受け金をしたのが上家ではなく下家だったケースは、相方は金を受けられない(あるいは持っているけど受けなかった)という情報が出た状態になりますので、また話が変わってきます。

 

自分が一巡でも進んでいると、受けられる駒は何でも受けて、「イケイケドンドン」になりやすいですが、苦しい駒を打つくらいなら一呼吸置いて相方の話を聴くことも大事な場面は多いです。

 

ではまた。

 

 

(了)

ごいたの戦術メモ② ~勇気を持って「し」を伝える~

どうも、ひげっちです。

 

今回取り上げるのは、先日の都道府県対抗交流能登大会で実際にあった盤面を記憶とペアの方への確認を元に再現したものです。ひどい手を打ってしまった自分にとっての戒めとして記録に残しておきます。

 

それでは、第2回「勇気を持って「し」を伝える」です。まずは盤面をどうぞ。

 

下家①②→相方なし→上家なし→自分の手番

 

点数状況は確か100-120のビハインドだったと記憶しています。下家の一打目の香が回り、2打目の金も相方が受けず、写真のような配駒の自分に回ってきた形です。

 

結果から言うと、私は「金受け角」として、相手側に角を受けられ、そのまま相手側に攻めきられてこの局に負けてしまい、ゲームにも敗北してしまいます。終局後の検討で、「ここは角ではなく「し」を打つべき」と指摘されました。

 

実際の場面で、私も自身が4しなわけですから、「し」を打つことが選択肢に無かったわけではありませんが、「下家がしを残していて受けられてしまい、相手側の香がギャンがかりだったら、30点以上でアガられるのではないか」というマイナス思考に陥り思わず点下げのつもりで角を打ってしまいました。

 

しかし、これは冷静に考えれば明確な悪手であることがわかります。理由としては、この状況では角を打っても点下げにはなるケースが少ないからです。詳細に見ていきましょう。

 

下家の方はベテランのごいた打ちでした。攻め方から考えて、下家の残り4枚に香と金はそれぞれ1枚ずつあったと思われます。残り2枚のバリエーションですが、下記の4ケースに分けて考えます。

  1. 残り2枚に王と角があった場合
    下家の残り4枚が「王角金香」であった場合は、おそらく下家は私の角を受けて、香か金で攻めるでしょう。香で攻めるのがアガリ点が30点以上になるので濃厚でしょうか。こちら側としては大ピンチです。
  2. 残り2枚に角が無く、王があった場合
    下家の残り4枚が「王金馬香」とかであった場合は、おそらく下家は私の角をスルーして相方や上家の様子を窺うはずです。30点以上のアガリのために必要な金と王は温存されたままです。
  3. 残り2枚に王が無く、角があった場合
    下家の残り4枚が「角金馬香」とかであった場合は、おそらく下家は私の角を受けて、香か金で攻めるでしょう。香で攻めて「馬金」待ちとするのが濃厚でしょうか。1.に比べれば多少は点下げになっているかもしれませんが、馬が銀や飛である可能性もあるので、微妙なところです。
  4. 残り2枚に王も角も無かった場合
    下家の残り4枚が「飛金香し」とかであった場合は、残り1枚の角が相方にあるか、上家にあるかで話は多少変わりますが、上家にある場合は角を受けられ、おそらくかかっているであろう金を打たれ、ピンチが続くことが予想されます。

 

ここまで見ると、角打ちが点下げとしての一打としても微妙なものであることがわかってきます。何より重要なのが「運良く角が相方とかかっていて、角が回ったとしても次に打つものに困る」という点です。金受け角が回ったあとの手駒は「銀馬しししし」です。「し」を打つのが怖ければ、銀か馬を打つしかありませんが、攻めが進んでいる相手に対して、種類の違う駒を打ち続けるのは、その分相手の持っている駒に当たるリスクの増加を意味します。

 

角を打つ理由がないとなれば、残る選択肢はし攻めです。下家が3し以上だった場合は依然としてピンチは続きますが、相方に「しが多い」というメッセージは伝わります。この配駒の特徴は「バラバラである」と「しが多い」の2点で、角打ちも一応「バラバラである」というメッセージを送っていますが、劣勢の場合は、より攻め筋の選択に繋がる「しが多い」というメッセージの方が有効である場合も多いです。

 

実際この盤面では、相方も4しで私が「し」を打っていれば、し攻めが決まっていたであろう盤面でした。

 

し攻めにはリスクが伴い、時には始めるのに勇気が必要な場面もありますが、「相手に「し」が残っていたらしゃーない」くらいの腹の括り方でピンチをチャンスに変えていけるような打ち方を身に着けたいものです。

 

 

ではまた。

 

 

(了)

ごいたの戦術メモ① ~し攻めに対して先手を取る~

どうも、ひげっちです。

 

先日、第9回ごいた都道府県対抗交流能登大会に参加してきました。大会や地元の愛好会への参加を通じて、ペアの方や能登の方にダメ出しやアドバイスをいただき、気付きの多い大会となりました。

 

ごいたを本格的に始めて5年くらいが経ち、そこそこの打ち手になったつもりでいましたが、自分のごい力(ごいりょく)の見積もりを下方修正せざるを得ない結果となり、一から謙虚に勉強したくなったので、ごいたに関する戦術メモをシリーズ化していきたいと思います。

 

最初に断っておきますが、このシリーズは中級者向けになります。「ごいたって何?」や「ごいたのルールが知りたい」という方はこのブログの記事やネット検索を参考にしてください。

 

では早速、第1回のお題「し攻めに対して先手を取る」です。大会後の宿でごいたを打っていたとき、下記のような盤面がありました。

 

下家①→相方②→上家なし→自分の手番

 

実際のプレイでは、「王を切るほどではないし、ここは様子見でいいだろ」と「なし」にしてしまいましたが、終局後の検討でペアを組んでいた方から「これは王受け香をして欲しかった」と言われて確かにそうだ、と納得しました。

 

ポイントとしては、

  • 下家が「し」で打ち出している
  • 自分が「し」が0枚である=し攻めが継続したらプレイに関与できない
  • 上家が飛を「なし」としており、自分にも飛がないので、相方に飛が2枚ない限り、下家が飛を受けてし攻めが継続してしまう可能性が高い
  • 3香なので、相方が残り1枚の香を持っていれば角の40点で上がれる
  • 自分が3香と王を持っているので、相方の攻めがあまり強くないことが想像できる(飛王玉や飛香香はありえない)

というところだと思います。

 

ごいたというのは本当にケースバイケースのゲームだと思いますが、今回のポイントを一般化するなら、「自分が強いハンドを持っていて、自分にない駒で攻められているときは、相方の攻めを受けてでもプレイに関与した方がよい場面もある。」といったところでしょうか。

 

同じ盤面が出てきたら今度は王受け香を打てるようになりたいです。

 

次回は別の盤面をご紹介できたらと思います。

では。

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2020年12月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 すっかり遅れ癖がついてしまったこのシリーズですが、みなさんの秀歌・名歌を見逃してはなるものか!というやる気だけはあります。マイペースでも更新してゆきますので、どうぞ見放さずにお付き合いいただければ幸いです。

 

 

CDラジカセの
ガチャン、スーや
ツー、キュルルル
あのプレリュードが
たまらなく好き

 

亜門
25p.

 世代的にドンピシャなお歌だった。CDは時代遅れのメディアになりつつあり、YouTubeなどの動画配信サイトや定額制のサブスクリプションサービスを利用して音楽を聴く人が増えていると聞くが、このお歌を読んで久しぶりにCDで音楽を聴いてみたくなった。とは言うものの、手元にあったCDはほとんど処分してしまったし、うちにあるCDコンポは壊れたままで放置してあるのだが。聴く音楽そのものの魅力ではなく、音楽が流れるまでに鳴る一連の動作音に注目したところが効果的だと思う。

 

 

 

一という文字を
筆で引く
最初の点に力が入り
最後の点に力が入る
その間の浮遊感が好き

 

西垣一川
27p.

 小学校の頃、書道教室に数年間通っていた。当時はあまり熱心な生徒ではなかったが、先日通っている訓練所で書き初めをする機会があり、久しぶりに毛筆で字を書いてみたところ、思いの外楽しい体験だった。やらされている感が強かった当時には気がつかなかったが、書をすることは楽しいことだとこの歳になって初めて知ったかもしれない。このお歌は読んでいるだけで、書というものの臨場感と実感が伝わってくる。五行目の浮遊感という表現が実感として腑に落ちる感じがする。

 

 

 

みんなの鉛筆を
削ってまわった
入社初日
テレワークの今は
何をするのだろう

 

高樹郷子
42p.

 新入社員が初日からできることは、そう多くはない。せめてもと他の社員の鉛筆を削って回ったエピソードは甲斐甲斐しくて何だか新鮮に感じる。コロナ禍での新入社員のなかには、入社初日からテレワークという方もいるだろう。テレワークの経験は無いが、オンライン通話はよく行っているので、あれこれ想像してみたが、新入社員にも出来る、他の方の役に立ちそうなことというのは思いつかなかった。テレワークだけで職場に馴染むのもなかなか大変だと思ってしまった。

 

 

 

学生証を
靴に隠して
反対デモに加わった
あの法案の下で
生きている

 

世古口 健
65p.

 作者の正確な世代は存じ上げないが、おそらく日米安全保障条約に関わる闘争のことを詠った歌ではないかと想像した。学生証を靴に隠すという描写が生々しく、当事者しか知り得ないリアリティを感じる。今ではなかなか想像しづらいが、当時の学生は積極的に社会や政治に関わっていたのだと思うと、熱気のある時代が少し羨ましく感じたりもする。声を上げても社会を変えることはできずに、当時反対した法案の庇護下で暮らしていることを、受け入れがたいものの、認めざるを得ないというようなニュアンスの四、五行目も味わい深い。

 

 

 

冒険心が
無くなったら
船を降りて
トマトなど
植えることにする

 

上田貴子
66p.

 ご自分の冒険心を大事にしている反面、それに拘泥してはいない。無くなったら無くなったで、したたかに楽しくやっていけますよ、というような自然体の逞しさを感じる。トマトという作物の選択もいい。熟した実の真っ赤な色を連想し、数ある野菜の中でもまっすぐな生命力を感じさせるものだと思う。詠いっぷりがとにかくかっこいい、文句なしに好きなお歌だ。

 

 

 

「私は傷ついた」と
泣いた原因の多くは
思い返すと
自分の「我の強さ」
だった

 

清水美幸
98p.

 本物の大人のお歌という感じがする。私はまだこの域まで達していないため、100%の共感はできないが、「いつか読み直すとすごく共感するだろうな」という予感めいた感覚がある。現時点での私なりに解釈すると、自分が傷つくことの原因として、自分が相手に対して過度な期待をして、それが裏切られたときに失望することがあると思う。この場合は、傷の原因は相手の悪意ではなく、相手に的外れな期待をしている自分の甘さやわがままにあると考えることもできる。何より、相手の行動や思考は自分には変えられないが、自分の期待や甘えをコントロールして、あらかじめ傷つかないように考え方を変えることはできる。作者は経験を経て、そういったことに気づいて書かれたお歌だと推察した。

 

 

 

ゴミ回収の
やせた青年
ふと見ると外国の人
そういう人たちに支えられて
ステイホーム

 

平井千尋
171p.

 日本の今の現状を端的に表しているお歌だと思う。ゴミ回収の仕事もいわゆるエッセンシャルワーカーと呼んでいいだろう。多くの人の生活のためになくてはならない大切な仕事である。しかし反面、不衛生なゴミを扱う仕事でもあるため、その業務には様々なリスクを伴う。自分がコロナ禍で自粛生活ができているのも、外国の人がそういった仕事をしてくれているおかげという、作者の感謝の気持ちが伝わってくるので、読んでいて気持ちがよい。

 

 

 

みんなに必要だ
いてほしいと
思われて
いるうちに
消え去りたい

 

玉井恭介
217p.

 わかる!、とシンプルに共感したくなるお歌だ。引き際の美学という言葉が思い浮かぶ。自分の引き際を見極めるのは難しい。組織や家庭の中で頼りにされている、必要とされていると思い込んでいるのは自分だけで実際は疎まれていた、なんていうこともよくある話。周りから必要とされていると実感できている時が、実はすでに引き際なのかもしれない。

 

 

 

骨の折れた
相合い傘です
そんでも
こころ潤う
雨の夜

 

今井幸男
266p.

 実際に雨の夜に骨の折れた傘を差しているのか、それとも心情の比喩なのかまでは読み切れなかったが、どちらにしても良いお歌だと感じた。三行目の「そんでも」と四行目の「こころ潤う」が効いている。相合い傘だから、もしかしたら二人とも少し傘から身体がはみ出してしまい、雨に濡れてしまっているのではないだろうか。それでも、そんな状況を好意的に、心温まる情景として描いているところに惹かれた。

 

 

 


でなく
あたりの空気が
まるごと香る
金木犀

 

大貫隆
273p.

 金木犀を詠んだ名歌は多い。秋の訪れを感じさせる香りを放つ花として、歌人が詠みたくなるモチーフの一つなのだろう。このお歌は何と言っても「あたりの空気が/まるごと香る」の三、四行目がお見事。金木犀の香りの強さ、濃厚さを感じたことのある人なら大いに共感するに違いない。一行目と五行目がそれぞれ体言止めでシンプルにまとめられているのも効果的だと思う。

 

 

 

どうぶつのもりで
住宅街を
作ったら
やることが
なくなっちゃった

 

とのはる
284p.

 「どうぶつのもり」は、任天堂の人気ゲーム「どうぶつの森」シリーズのことだろう。筆者はプレイしたことはないが、周りにプレイしている人が何人かいる。プレイヤーは動物のキャラとして、自分の家を作ったり、他の住人と交流したり、ゲーム内での仮想生活を楽しめるらしい。このお歌は。そのゲームで住宅街を作ったら、他にやることがなくなった、と詠う。もしかしたら、作者はすでにこのゲームに飽きただけなのかもしれないが、自分達が住める街を作ったらそれで充分というような、慎ましさが感じられて好みのお歌だった。

 

 

 

辞めたら
褒めてくれる
首相も
監督も
人間も

 

いわさきくらげ
289p.

 2020年12月号の投稿〆切が2020年10月下旬なので、「首相」は、タイミング的に安倍元首相の退任のことだと思う。安倍元首相の2期目は長期政権であった反面、様々な疑惑や批判も多かった印象であるが、辞任表明をしたとたん、それらの声は鳴りを潜め、元首相を労う声が多くなっていったのは記憶に新しい。「監督」は、作者が横浜DeNAベイスターズのファンであることを知った上での推測になるが、2020年10月に退任を表明したアレックス・ラミレス監督のことではないか。こちらも賛否両論の采配で物議を醸した監督であったが、退任表明後にはその手腕を好意的に評価する声が多かった印象だ。そうした表現の最後に、このお歌は「人間も」と締めくくっている。皮肉がこれでもか、というほど効いていてちょっと怖くなるが、確かに一面の真理を言い当てている。力のあるお歌だと思う。

 

 

 

わたしの毒舌なんて
可愛いものよ
一番
人を傷つけるのは
鈍感な善意

 

紫かたばみ
302p.

 四、五行目がとにかく共感する。毒舌にも可愛いものと可愛くないものがあり、自分で「可愛いものよ」と言っている時点であんまり可愛くないとは思うが、それはさておき、「鈍感な善意」が人を傷つけるというのは、本当にその通りだと思う。「鈍感な善意」は、その持ち主に悪気や自覚がないことが多く、こちらが傷ついたことを伝えても、善意の持ち主は相手を傷つけているという自覚がないため、反省や自戒をしないことも多い。実にタチの悪い話だ。筆者も知らず知らずのうちにこの「鈍感な善意」で誰かを傷つけてきたと思う。「自分は正しい」と自分の内面に向かって肯定してあげるのは大事なことだが、その正しさを誰かに押し付けてはいけない。他の誰かと接するときは、「相手には相手だけの大事な正しさがある」と思うことが肝要なのかもしれない。

 

 

 


(了)

雑誌『五行歌』2020年11月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 お気に入り五行歌の紹介シリーズも最新号とは一年以上のブランクが空いてしまいました。これもひとえに私の怠惰が為せる業なのですが、この企画はそもそも私自身が秀歌を記録するためにやっているところが大きいので、だいぶ昔のお歌ですが、ご覧いただければ幸いです。

 

 

恥ずかしい
って
気持ちいい

似てる

 

仲山 萌
5p.

 私がここ数年来感じていたことを綺麗な形で言語化してくださっており、感銘を受けた。「恥ずかしい」と「気持ちいい」は心の中でかなり近いところにある感情だと思う。秘め事はもちろん、例えば誰かに笑われることや多くの人の前で発表をすること、五行歌のような詩歌による表現行為も、一般的には「恥ずかしい」の部類に入るだろう。これらの行為に共通することは「自分をさらけ出すこと」ではないだろうか。こうした行為は、傷つくリスクもある反面、うまくいった時の「気持ちいい」とセットになっていることが多い。自分をさらけ出して、それが誰かに受け入れられた時、我々は快感を感じるようにプログラムされているのに違いない。もちろん例外はあるので、恥ずかしいことばかりをしていれば良いというものでもないだろうけど。

 

 

想いを
貫くとは
無精卵を
抱き続けて
いるようなもの

 

磯崎しず子
16p.

 「無精卵」という言葉にインパクトがあり、説得力のあるお歌だ。想いを貫くことは、ある意味独りよがりで自己完結的な行為であるということだろうか。そうと解りつつも、想い続けることをやめられない切迫感がこのお歌からは伝わってくる。報われないし、見返りもない、それでも卵を抱くように大切に貫き続ける想いとは果たしてどんなものなのか。

 

 

 

野菜は有機栽培
人間は勇気栽培
わたしの五行歌は幽奇栽培
冷暗所で
鑑賞ねがいます

 

今井幸男
187p.

 駄洒落と思いきや実はなかなかに味わい深いお歌。人間は勇気で育つという定義が面白い。自分が成長してきた度合いは、自分が発揮してきた勇気の量に比例しているという気もして、真理を突いた表現かもしれないと思わせる。三~五行目の落とし方も作者ならではのセンスが光って大好きだ。思わずクスリと笑ってしまった。

 

 

 

真夏日
面目躍如だ
洗濯物干す端から
さわ、から、からん
と、乾いていく

 

山茶花
190p.

 どこまでも気持ちの良いお歌。これ以上ないくらいに晴れ上がった真夏日の、くどいほどの青空や容赦のない日射しが思い浮かぶ。「洗濯物が干す端から乾いていく」というのは、多少誇張した表現だとは思うが、作者の実感が伴っているのが感じられるため、不思議と納得させられてしまう。四行目のオノマトペがとんでもなく素晴らしい。私自身も「さわ、から、からん」を使った歌を詠みたくなってしまった。

 

 

 

朝ドラが再開され
また私の
規則正しい生活として
読点が
打たれる

 

樹実
210-211p.

 多くの人の共感を呼ぶ歌ではないだろうか。このお歌が書かれた当時は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、朝ドラの新規放送が中断されていた。筆者と同居する両親を見ていても、朝ドラは規則正しい生活の一助になっていることを感じる。きっとあの15分というのが絶妙な長さなのだろう。四、五行目の表現も巧み。

 

 

 

正しげだった
親の正体を知り
少し憐んで
子は
超えていく

 

吉川敬子
213p.

 子どもが成長するということの一面を上手く捉えている名歌だと思う。小さな子どもにとって、親は自分に対して一番影響力を持っている大人なので、その存在は唯一無二である。多くの子どもは大なり小なり親のことを信頼しようとするものだろう。しかし、子どもは成長するに連れて、社会や世界の中では親の言うことが必ずしも絶対ではないことを知ってゆく。一行目の「正しげだった」という表現が絶妙。親の宿命のような悲しみと、子どもに対する頼もしさの両方が感じられて惹かれた。

 

 

 

スマホを考えたのは
若い人
一回で
スワイプ出来る

 

嵐太
217-218p.

 なるほど、と膝を打った一首。最近は年配の方でもスマホを使いこなしているのをお見かけするが、中にはその操作が難しいと感じている方もいらっしゃるだろう。それもそのはず、そもそもがスマホ自体が、若い人が考案し、若い人が作ったものであることをこのお歌は指摘する。だから、自分がスマホをうまく使えなくても仕方ないのだ、と弁明しているかのような書きぶりが面白いと思った。

 

 

 

よろこべ
ちょっとよろこべ
痛いのは
生きてる
証拠

 

於恋路
275p.

 痛みの原因が分からないので迂闊なことは書けないが、何となく深刻な病気からくる痛みというより、足の小指をどこかにぶつけたという感じのシチュエーションを想像した。痛みに悶えつつも、それを感じるのは生きている証だと無理やり肯定的に捉えようとしているのが面白い。私も生活の中で痛みを感じることがあったなら、この歌のことを思い出したい。

 

 

 

失恋は
眉間のキズや!
真っ向勝負を
挑んだ
証や!

 

からし
307p.

 勇気付けられるお歌。失恋するということは真っ向から相手に気持ちを伝えた結果であり、決して恥じたり、落ち込んだりするべきことではないのだと教えてくれる。勢いのある関西弁の口調も効いている。こういうことを言える大人はかっこいい。今後、失恋に落ち込む誰かに会ったときには、このお歌を教えてあげたいと思う。

 

 

 

ここが
どん底
分からないけど
ちょっとずつ
陽があたる

 

奥響 賢
326p.

 作者のお気持ちのことか、コロナ禍の惨状のことかはわからないが、悪い状況が少しずつ良い方向に向かっていることが伝わるお歌だ。本当に底を打っているのか、やや不安が残る書きぶりがリアル。希望の表現もささやかで控え目なところに惹かれた。陽があたり、止まっていた時計が少しずつ動き出す。まさにその瞬間を捉えた名歌だと感じた。

 

 

 

(了)

新年のご挨拶(2022年)

あけましておめでとうございます。

ひげっちです。

 

旧年中はブログをご覧いただきありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年はとてものんびりゆっくりした一年だったので、

情勢を見ながらではありますが、色々と動き出す年にしてゆきたいです。

TwitterFacebookに投稿した、去年の自選5首をアップしておきます。

五行歌と短歌でそれぞれA面とB面の10首ずつあります)

 

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2021年自選五首(五行歌

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2021年自選五首B面(五行歌

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2021年自選五首(短歌)

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2021年自選五首B面(短歌)