ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2020年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 リアル歌会も各地で再開されるようになり、他の用事でも出かける頻度がぐっと増えました。相変わらず転職活動を続けている毎日です。来月までにはそろそろ内定が欲しいところですね。

 

 さて、雑誌『五行歌』2020年10月号のお気に入り五行歌をご紹介します。ご覧いただければ幸いです。

 

 

 

孫たちの誕生日も
病院の予約も
忘れて
どうと言うこともない
日が過ぎて行く
 
村田新平
24p.
 「老い」というものがリアルに感じられるお歌。そこそこ大事な予定を失念するようになってしまうことは、ある程度高齢になるとよくあることなのかもしれない。そんなご自分を責めるのではなく、茶化すのでもなく、淡々と平静に締めくくった後半2行が見事。「老い」というものに対する静かな受容が感じられる。この自然体とも言うべき姿勢は、一朝一夕に身に付くものではないだろう。この境地に至るまでの作者の逡巡や葛藤を想像せずにはいられない。
 
 
 
恋歌は もう
おなかいっぱい
でも ひとつだけ
違う場所に
しまってある
 
宇佐美友見
97p.
 特集「きぼう」より。面白いお歌だ。作者が恋歌はもう食傷気味なのか、あるいはもう恋歌に共感できなくなってしまったのかは明示されていないが、恋歌の熱心な読者ではなくなってしまった今でも、別格として違う場所にしまってあるお歌がひとつだけあるという。非常に読者の興味をそそるのが巧い書き方である。なんとかして、特別扱いしている恋歌をこっそり教えて貰いたくなる。
 
 
 
エネルギーの塊だ
大人はこんなに
大きな声で
こんなに長く
泣くことが出来ない
 
おお瑠璃
122p.
 泣いている赤ん坊を観察してできたお歌だろう。この歌のとおり、泣いている赤ん坊を見ると、どうしてあんなに小さな身体からあんなに大きな声が出せるのかと思うときがある。言語を覚える前の原始的な表現である赤ん坊の泣き声に対して、もしかして我々大人は羨望に近い感情を抱いているのかもしれない。1行目の表現も、赤ん坊や生命そのものへの敬意が感じられて好み。
 
 
 
恵まれ過ぎて
逆に苦労する
若者たち
全人格が
育たない
 
菅原弘助
204p.
 感覚としてものすごく腑に落ちるお歌。筆者はもう若者顔はできない年齢だが、今の時代に生きる若者が苦労しがちであるのは、幼少期に恵まれすぎた環境で育ったことと無関係ではないような気がする。求めるものが何でも与えられる環境では、この歌の言うように全人格は育ちにくいのかもしれない。不自由さこそが工夫や成長を生むというのもひとつの真実だろう。その一方で、もちろん、子供が大切に育てられることに反対なわけではない。青少年が家族の庇護も受けながら、積極的に色々なことにチャレンジすることを手助けし、傷ついたり失敗したりしたときは家族の力も借りながら、またやりたいことに再チャレンジできるような社会になればいいのに、とぼんやり思う。大切に育てられた人間は、他の誰かを大切にできるはず。今の時代の子供たちのポテンシャルを信じたい。
 
 
 
5がある通知表を
初めて受け取ったけど
嬉しくない
線路の上を走るのは
嫌いなんです
 
水源カエデ
244p.
 周りの大人の顔色ばかりを窺い、線路の上をはみ出さないように、おっかなびっくり歩いていた学生時代の自分に教えてあげたくなるお歌。当時の私は通知表に5があると純粋に喜ぶような、今思うと実におめでたい子供だった。一方、作者はすでに通知表の成績が単なる評価の数字であることを理解し、他人からの評価に一喜一憂しない芯の強さを持っている。通知表の成績は進学のためには多少役に立つかもしれないが、社会に出たらほとんど意味を持たないと感じる。4、5行目の力強い言い切りが何とも頼もしい。
 
 
 
今度 生まれてくる時は
また 猫がいい。
猫がいい。
こたつの中で
ピアノを聴こう。
 
マイコフ
245p.
 不思議な魅力を感じたお歌。1、2行目からすると、作者はすでに猫として生まれているらしい。つまりこれは猫目線で書かれたお歌ということになる。この猫は来世も猫に生まれたいと感じ、4、5行目から察するにどうやら人間に飼われている猫という立場を望んでいるようだ。こたつの中で猫が小さなピアノを弾いているところを想像して、絵本の世界に迷い込んだような気分になる。わりと荒唐無稽な世界観であるのに、不思議とすっと受け入れてしまうような人懐っこいお歌だ。筆者が猫好きであるという点を差し引いても、魅力的なお歌であることは間違いない。
 
 
 
いっぱい送ったのに
一行しか返ってこない
LINE
穴が開くほど
見つめる
 
衛藤綾子
260p.
 恋歌だと受け取らせていただいた。離れて暮らしている家族からのLINEの歌という読みもできるとは思うが、4、5行目から感じる熱量はやはり想いを寄せる方からのLINEだからこそと思いたい。現代で恋をしている人なら誰もが多かれ少なかれ同じような経験をしたことがあるのではないだろうか。片想い等で、LINEの送り手と受け取り手の熱量に差があるとき、このお歌のようなことが起きやすい。相手の短い返信の意図をあれこれ想像したり、絵文字やスタンプの意味を真剣に考えたり、恋をしている人は何かと疲れる。作者の恋がどうか両想いであることを願う。
 
 
 
(了)