こんにちは。ひげっちです。
コロナ禍がグズグズと続いていますが、皆さまお変わりないでしょうか?ペースが遅くなっておりますが、雑誌『五行歌』2020年6月号のお気に入り作品をご紹介します。
この時を見ておけこの時にどう生きるか見ておけ夕月6p.
コロナ禍に、家族が、友人が、隣人が、同僚が、政治家が、どう振る舞ったかに刮目せよ、という意味だと受け取った。危機に際して、その人の本性が露わになる、とは昔から言われていること。コロナ禍は確かに大きな困難ではあるが、反面、身近な人達や国政に携わる人達がどういう人間なのかを解らせてくれる側面もあると思う。もちろん、彼らとの分断を生むリスクもあるので、一概に良い面ばかりとは言えないが、とても大切なことに気付かせてくれたお歌だ。
録音をすると自分が全部見えるきつい声自信のない声石川珉珉16p.
ごくたまに、自分の声を褒められることがあるが、筆者自身はこの歌と同じように、自分の声や喋り方があまり好きではない。自分に自信の無い捻くれ者なので、「良い声しているね」という褒め言葉も、「他に褒めるところがないから無理して褒めてくれているんだな」くらいにしか受け取れない。そのことをこうして文章に書いていても自分で「何だコイツ、偉そうでイヤな奴だな」と思う。要は、自分を客観的に見ると、粗ばかりに気付いてしまうのだ。そこに大いに共感した。
こんな時こそ大盛り定食命のしぶとさを噛み締めろ金沢詩乃60p.
大好きなお歌。作者ならではの反骨心というか、気概のようなものが滲む後半三行が秀逸。心身ともに疲弊してしまう時代ではあるが、いつの時代も、しぶとく生き残るには食事と睡眠をしっかりとることが基本である。あ、でも筆者はダイエット中なので、ご飯は小盛りでお願いします。
母から送られて来る写真のピントが少しずつずれて来る寂しさ高原郁子74p.
離れて暮らしているのであろう、母親の「老い」を送られてくる写真のピントで知るという、リアルな気付きが歌に説得力を与えている。五行目からは、母親のことを案じながらも、寄り添ってあげられないもどかしさ・悔しさも感じる。確かな余韻の残る良歌だと思う。
現実は肯定する出来ないことは夢にする私にストレスはない塚田三郎156p.
一読して、見習いたいと感じたお歌だが、なかなかこの境地には行けない。まず現実を肯定し、対処できないことは夢にカテゴライズするという、この竹を割ったような潔さに惚れ惚れする。ちょっと「夢」という概念を都合良く使いすぎなような気もするが、確かにこういう風に思えたら、ストレスとは無縁だろうな、と羨ましく思う。
国家は冷淡なのだ判らせるためにそのウイルスはやってきた佐藤沙久良湖165p.
ウイルスによって国家の冷淡さが浮き彫りになったのではなく、国家の冷淡さを判らせるためにウイルスがやってきたのだという、逆説的な視点が面白い。夕月さんのお歌と同じように、コロナ禍を良い教訓とせよ、というメッセージも感じる。こうした名歌が生まれるのもコロナ禍の一つの副産物。
人間は何のために努力するのかそれは結局怠けたいからだ庄田雄二187p.
努力の究極の目的は怠けることだと、このお歌は言う。確かに、現役世代の時に一生懸命働くのは、老後に悠々自適の生活を送るためだったりするだろうから、納得できる部分はある。しかし、どこか反論したくなるというか、「それだけじゃないのでは」という想いが湧いてくるお歌でもある。たとえば努力をするのは、「自身の成長」や「他人・社会への貢献」のため、といった側面もあるかもしれないが、いかにも表面的で嘘っぽい。直感ではあるが、このお歌の方がより真理に近いように感じてしまう。努力とは何か、について考えさせられたお歌。
自分を責めて満足するな心を開いて包み込め川岸 惠188p.
なんだか自分のことを詠われているような気がして、ドキッとしたお歌。「自分のことをこんなに貶めてますよ」「勘違いはしていませんよ」というアピールのような歌ばかり書いている筆者にとっては、刺さる表現だった。自分を責めるというのは、難しいようでいて、実は蜜の味である。自分に責められてしまうような自分自身であるのだから、本来は全然ちゃんとしていないのに、日本人は謙虚な人が好きなので、へりくだって自分のことを悪く言う人を「ちゃんと自覚がある人」みたいに認めてしまう傾向があると思う。後半三行の響きは優しいのに、私には辛辣に響く。こうありたいとは願うものの、中々難しい。
初心はすべて意義あるとは限らない戻りたくない初心もある三好叙子190p.
初心に戻ることの大切さはよく言われるところである。何かを始めたきっかけや目標など、純粋な気持ちを忘れてはいけないということだろうが、人が何かを始める際、必ずしも純粋な気持ちばかりが動機とは限らない。邪な感情や不純な想いが動機になっていることも充分有り得るだろう。この歌の良いところは、動機が何であれ、何かを始めること自体は良いことなんだよ、と肯定してくれている感じがする点だと思う。
雨雲がぐんぐん押し寄せてくるもうすぐ もうすぐさあ いまです泣きますゆうゆう194p.
自分で自分を実況中継しているかのような、不思議で魅力的な文体。雨雲は、不安や泣きたい気持ちの比喩と思って読ませていただいた。泣きたい気持ちが自分ではコントロールできずに押し寄せてきて、泣いてしまう様を詠っているのだが、四、五行目の「ですます調」が、どこか自分を突き放しているような印象を受けるのも相まって、歌全体の独特の味わいを生んでいると思う。
(了)