雑誌『五行歌』2020年4月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
詩はずっと嗅いでいたい香りの類いいわさきくらげ25p.
喩えが美しく、この歌自体の調べも読む者をうっとりとさせるような美しさを持っている。筆者も詩を愛する気持ちはあるものの、どちらかというと詩はもっと生々しい下世話なものと考えている節があるため、この作者のような品の良い喩えは新鮮だった。作者の感性が光る名作。
重篤の枕辺妹と私に微笑みながら父は母だけを見ていた秋山果南36p.
お父様の容態が悪化し、駆けつけた家族を前に、子供達には微笑みかけるものの、お父様が見ていたのはお母様だけであったという。同じ家族でも、親子でも、立ち入ることの出来ないご両親の絆が感じられる。このことを実感として感じ取られた感覚の鋭さに脱帽する。ご両親の結び付きの絶対性とともに、少しの寂しさも感じられ、味わい深いお歌になっている。
命綱ブツブツと切れていく命綱なしでいく勇気を井椎しづく49p.
近しい家族を亡くされていることを詠ったお歌だと推察した。四、五行目が好きだ。亡くなられた方々に断ち切りがたい想いを抱えつつ、それでも何とか前を向こうとされているのが伝わる。勇気は自分の内側から湧き上がってくるものなのか、それとも誰かから与えてもらうものなのかはわからないが、どうか作者が力強い日々を歩まれることを願う。
傷つく言葉を言った最初は気にしてなかったが時間がたつにつれてもうしわけなくなったごめん明光小六年(当時) 高田直輝93p.
「第18回こどもたちの五行歌」より。自らが相手を傷付ける言葉を発したことを自覚し、それを後悔して、最後はちゃんと相手に謝っているのが立派だと思う。悪いことをした、と気付くまでに時間がかかったというのもリアルで良い。自分の胸の内としっかり向き合って作歌していることが伝わる。とても好きなお歌だ。
俺の名前は中二病の助我が左目のこの眼帯を外すと左側がよく見えるMOBU118p.
今月いちばん声に出して笑ったお歌。「中二病」のことを知らない方向けに解説をすると、中二病とは中学校2年生くらいの時期に陥りやすいと言われている、漫画やアニメのような空想の世界にどっぷり嵌まっている状態のことを揶揄する言葉。自分の腕から必殺ビームが出たり、目の眼帯を外すと闇の能力が発動したりする妄想を抱いたりする。このお歌では、自分で「中二病の助」と仰々しく名乗っておきながら、眼帯を外したら視野が広くなるという、当たり前のことを詠っているのが、肩すかしのような味わいがあって面白い。
究極男子は女子に叱られたいのだおんなじ悪さばかりする芳川未朋144p.
歌意にものすごく同意する。女子に「男子ってほんとにしょうもない」と思われながらも、性懲りもなくおんなじ悪さをくり返す。男子とはそういうもの。そこに思い至った作者の視点がすてきだ。物事の本質を見抜く目をお持ちだと思う。
みんな理由(わけ)ありなのださらす勇気を持つ者のみが歌を書く村岡 遊146p.
こちらも大いに共感したお歌。歌詠みにはみんなそれぞれ事情がある。自分の境遇や困難と向き合ってそれを歌としてさらすには確かに勇気が必要だ。筆者は勇気を持って歌を書くというよりは、自分の中にあるものを書かずにいられない性質なので、ある種、「すいません、こんなんで……」というような、自虐的な姿勢で作歌をしているが、このお歌に「もっと堂々としなさい」という励ましをいただいたような気分だ。
明日も元気に行けますように祈る気持ちで玄関の革靴の向きを直す紫かたばみ158p.
作者は、筆者の母である。よって、これは、筆者に向けられた歌である、と断言できる。筆者はいい歳をして、朝起床したときの気分で、簡単に仕事を休んでしまうような人間であるため、作者はこのような気持ちを抱いているのだろう。これを書いている今も筆者は体調を崩して1ヶ月の長期休暇を取っているところだ。心配ばかりをかけている両親には本当に申し訳なく思っている。このままではいけない、と強く思わされた歌。
箱庭を蒐めるかなしみを盛りつけるためのそれは詩、と呼ばれた甘雨216p.
詩が「かなしみを盛りつけるための箱庭」であるという表現が面白く、また、四、五行目の古い言い伝えのような言い回しも魅力的で惹かれた。「かなしみ」がひらがな表記なのがポイントではないかと思う。これが「悲しみ」や「哀しみ」だったら、もっとイメージが限定されてしまうが、「かなしみ」は時に「愛しみ」という漢字もあてられる。細部まで神経の行き届いた名歌だ。
訃報の連絡に誹謗中傷した奴らの手のひら返したような称賛の声が勝ち鬨に聞こえる良元220p.
この歌は、かなりセンシティブなことを詠っているお歌であり、五行歌界の外にいる方々にはうまく意味が取りづらいお歌でもあると思う。取り上げるべきかどうかかなり悩んだが、筆者も少なからず同じようなことを感じたので、勇気を持ってこのお歌を発表してくださった作者に敬意を表したい。
抱えきれなくとも消化できなくとも黒い秘密はそこに吐いちゃだめ稲本 英226p.
「黒い秘密」と「そこ」が何を表すかで解釈が変わってきそうだが、筆者は、職場の人間関係の愚痴や悪口を、SNSなどのネット上に書いてしまう行為のことを指しているように感じた。SNS等はその性質上、どこで誰が見ているかわからないものだ。本人は穴を掘ってそこに愚痴を叫んでいる行為のように考えていても、現実では拡散されて、見られては困る人の目に届く可能性もある。作者は、実際にそのような光景を目にしてしまったのかもしれない。戒めとしたいお歌だ。
えらんだのかえらばれたのかどちらにしても今がある京子344p.
ご夫婦の馴れ初めのお歌だと解釈した。どちらが先にアプローチされたのか、今となっては定かではないものの、そんなことはたいした問題ではなく、確かな「今」があることが重要だという。とても大切なことを詠われているお歌だと感じる。きっかけがどうこうよりも、今一緒にいることが大切。ずっと覚えていたくなるようなお歌だ。
(了)