ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2020年3月号 お気に入り五行歌

どうも、ひげっちです。

 

すっかりどころじゃなく、前回のお気に入り更新から4ヶ月も間が空いてしまいました。忙しかったり、精神状態が不安定だったりで、なかなか本誌と向き合う時間が取れなかったです。

 

3月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。

 

 
捌いた
男を
器に並べて
骨抜き加減をみる
小骨さえも許さない女
 
かおる
10p.
 どこまでも格好良い。ご自身の「男を料理する腕前」に自信が無いと、なかなかこうは書けない。気っぷの良さそうな捌きっぷりをぜひ一度拝見させていただきたいものだ。自分が捌かれてしまう怖れがあるのはちょっと怖いが、どうせ骨抜きにされるなら作者のような女性に…と思わされてしまう力のあるお歌だと思う。感服。
 
 
外国なら
土足で家に上がるけど
日本でされたら
脅威に思えませんか
ハラスメントって そんな感じっす
 
稲田準子
30p.
 被害者側と加害者側で、文化や常識が異なるが故のすれ違い。どちらにも悪気がなくても、悲劇が起こりうる。ハラスメントの特徴を上手く言い当てていると思う。イメージしやすい具体例を挙げて喩えているところが良い。自分の考え方を絶対と思わないこと、異なる文化や常識について想像力を働かせること、が大切なのだと思う。
 
 
正直者が
天国へ
行けるなら
そこには犯罪者が
一杯いるだろう
 
庄田雄二
36p.
 皮肉の効いたお歌。自分の欲求や願望に正直な者が必ずしも善人とは限らない、ということだろう。欲求や願望を叶えることは、時として誰かを傷付けたり、法を犯したりすることもある。結局、「自分に正直なことが大切」とか言いつつ、人間が社会的な動物である以上、近江商人の経営理念ではないが、「自分よし」「相手よし」「世間よし」の「三方よし」に則って、自分の欲求や願望を、なるべく人を傷付けない、世間的にも見栄えがするものに調整する必要がある。人間とはつくづくメンドクサイ生き物だなあ、と感じる。
 
 
明日から何か
変わるわけでもなく
閉店まで
パチンコを打つ
 
よしだ野々
39p.
 男の無頼な感覚を上手く表現されていて、惹かれた。家で待つ人も無く、もしかしたら身近に新年の挨拶をする相手もいないのかもしれない。新年の訪れを素直に喜べない切なさとともに、どこか清々しさも感じさせるのがいい。
 
 
ビニール袋2つ
年賀状10枚
人、ひとりの命など
こんな物か
病院から帰って来た父
 
大森晶子
57p.
 遺品を通じて、人が亡くなるという現象を上手く表現されている。描写が具体的なところが読み手に「死」のあっけなさや喪失感をリアリティを持って伝えていると思う。遺品に年賀状があるというのものまた味わい深い。病室に居ながらでも、ご親戚やご友人との繋がりを大切にしていた方なのかと想像する。
 
 
脱ぎ散らかした
靴を揃える
誰かの手で
今日も
生かされている
 
金沢詩乃
88p.
 とても好きなお歌。大雑把な自分の生き方を、丁寧に整えてくれる人。そうした誰かの存在はとても大切だと思う。靴を脱ぎ散らかしたのが、自分のことを言われたようで、大いに刺さった。自分で自分の靴を揃えられる人間になりたいが、それでも誰かを頼らずには生きていけない人間なんだろうな、と最近は思う。
 
 
子が親を
選べるならば
どれほどの人が
親になれる
だろうか
 
島田正美
89p.
 これはもう、ひとつの真実を言い当ててしまっている。名歌だと思う。里親になるには審査が大変だという話を聞いたことがあるが、子にとって完璧な親などというものは、そもそもが幻想だと思った方がいい。もちろん、逆も又真なりで、親にとって完璧な子というものも存在しない。別々の人間である以上、親も子もお互いにとって不完全なのだ。しかし、親というのは子に対して大きな影響力を持つので、両者の関係は決して対等ではない。子を持たない筆者ではあるが、親であるという責任は重いものだろう。読んでいて身の引き締まるお歌だった。
 
 
生きるために
ICU
行くのだ
たとえ生還の保証が
無いとしても
 
ICU・・・集中治療室
 
植松美穂
116p.
 特集『病に克つ』より。白血病を患った作者の闘病の様子が生々しく描かれた特集であった。中でも胸を打たれたのがこの一首。病に打ち克とうと必死に自らを鼓舞する想いが伝わってくる。無為に毎日を過ごしていると忘れがちであるが、生きていること自体が幸運な奇跡のようなもの。そのことを忘れずにいたい。
 
 
これからは
楽しいことを
するのではない
することを
楽しむのだ
 
鮫島龍三郎
129p.
 この作者もかつて大病を患われた。この達観したような境地のお歌は闘病経験を経てのものか。人にはそれぞれ楽しいこととそうではないことがあると思うが、行為そのものを楽しむ境地になれたのなら、物の見方が変わってくるに違いない。煩悩と怠惰にまみれた筆者にはまだその境地に達することができないが、惹かれるお歌だった。
 
 
ソファに凭たれ
韓ドラ観終えて
旅立っていった叔母
美意識の塊りの様な
人でした
 
棚橋八重子
137p.
 人の最期を自分で選べるとしたら、かなり理想に近い最期だったと言えるのではないか。穏やかな環境で、大好きな韓国ドラマを観終えて旅立たれた叔母。姪である作者から見て、故人は美意識の高い人だったという。もしかしたら、そんな叔母との思い出は優しく温かいものばかりではなかったのかもしれないが、故人に対する尊敬心が伝わる良歌だと思う。
 
 
私の話はいいの
と笑顔で話を譲る
私は
あなたのはなしが
聴きたいです
 
中山まさこ
194p.
 自分のことを後回しにして、笑顔で話の聞き役に回ろうとする、慎み深い「あなた」の人柄が感じられる。作者は、そんな「あなた」の話を聴きたがっている。本当は「あなた」にも他人に聴いてもらいたい話があることを、作者は勘付いているのではないか。きっと作者も大変な時を「あなた」に話を聴いてもらって乗り切った経験があるのかもしれない。お二人の素敵な関係性が伝わってくる。
 
 
できるものなら代わってやりたい
などと
出来ないことを
前提に
言う
 
眞 デレラ
206p.
 一行目のような台詞を筆者も言ったことがある気がして、ドキッとした。苦難の最中などにある人に対して向けた台詞であろうが、そこには後半三行のようなズルさが隠れている。言うなれば、安全圏から投げかけるだけの、みせかけの同情だ。それは同情する側が痛みを伴う自己犠牲ではなく、自分の罪悪感を減らすための自己満足の精神に他ならない。良い戒めをいただいたお歌。
 
 
俺を
馬鹿にした人が
家に来て感謝とか言う
ああ弱ってきた
徴だ
 
中野忠彦
241p.
 自分のことを馬鹿にした人が、態度を軟化させて感謝を述べている。その状態を受けての四、五行目が秀逸。そのことを喜ぶのではなく、その人が「弱ってきた徴だ」と受け取っている。弱ってきた原因が老いなのか病いなのかは明らかにされていないが、とにかくその人が自分に感謝を述べていることを、生物として弱ってきたからこその現象と捉えていることがシビアで良いと思った。それは、その人のこれまでの行いを作者が許していないことの証左かもしれないし、もしかしたら、作者自身にもその人と同じような、自分が弱ったが故に人に優しくしてしまうような経験があったのかもしれない。味わい深いお歌。
 
 
従順さではない
素直さが
大切なんだよ
自分の思いに
素直であること
 
今井幸男
242p.
 額に入れて飾っておきたいレベルで大好きなお歌である。従順さと素直さをはき違えている人は、きっと多いに違いない。それは子どもだけでなく、大人にも当てはまると思う。誰かの言うことに何も考えずにそのまま従うことは、従順であり、素直とは違う。それは、「相手の側から見た素直」であるかもしれないが、「自分の側の素直」ではないのだ。それでは、素直さとは一体何だろう?考えるとキリが無いが、強引に定義するなら「自分の思いを周囲との折り合いがつく範囲で主張できること」といった感じだろうか。「周囲との~」の部分が抜け落ちると、「我が儘」になってしまう。何事も鵜呑みにするのではなく、それをきちんと自分の思いと照らし合わせる癖を付けたい。
 
 
銀河系の大きさ
ミジンコの大きさ
脾臓の大きさ
いまのところぼくは
かなり小さい
 
山川 進
242p.
 「銀河系」「ミジンコ」「脾臓」という、大きさもジャンルもバラバラなもののチョイスがまず良い。それらが羅列された後のまとめ方も好み。四行目、「いまのところ」という表現が特に好きだ。矮小な自分を認めつつも可能性はまだ残されているという、押し付けがましくない希望を感じるところが良い。
 
 
デニムを
少しだけ
落としてはく
君の
若すぎない若さ
 
井村江里
281p.
 作者の「君」に対する温かみと冷ややかさが良い具合に混ざり合ったまなざしを感じるお歌。五行目の「若すぎない若さ」が実に巧み。目に余るほどの若作りではないものの、ひとこと物申したくなる(こうして歌にされている)程度には気にしている作者の視点が良い。言うなれば、生暖かく「君」を見守っているような、絶妙なバランス感覚が感じられるお歌だと思う。
 
 
(了)