ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

歌詞をどう解釈するか?(3)

 次に、伝説のバンドであり、多くのアーティストに多大な影響を与えたTHE BLUE HEARTSの3枚目のシングルである『TRAIN-TRAIN』を取り上げたい。

 

THE BLUE HEARTS『TRAIN-TRAIN』歌詞

 

 楽曲の主人公について、歌詞から読み取れるのは、

 

・一人称が「僕」であることから、おそらく男性である
・「抱きしめたい」と思っている「あなた」という存在がいる
・「栄光に向かって走る列車に乗ろうとしている」ことから、まだ栄光を手にしていない者である
・「土砂降りの痛みのなかを」とあることから、心に何らかの痛みを抱えた者である

 

といったところだろう。

 

 では、この「僕」の問題とは何であろうか?
単純に設定するなら、冒頭で出てくる通りに「栄光を手にしたい」ということか?
あるいは、1番のAメロの最後の部分の通りに「あなたを抱きしめていたい」ということだろうか?

 

 推理小説なら絶対にタブーだが、歌詞の場合は、こういう時には、先に「答え」の部分を見ればよい。

 

 この楽曲の結論めいた部分は、3番のAメロの最後の部分である下記のフレーズだろう。

 

土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走っていく
いやらしさも汚ならしさも むきだしにして走っていく

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で

 

 

 ここで、この歌の解決は、どんなに醜くても生きるべきだ、という「生の肯定」であり、それこそが自分の歌う理由であるという「アイデンティティの確認」であるとわかる。

 

 ここが「解決」であると考えれば、逆説的に当初の「僕」は「生の肯定が不十分で、アイデンティティも揺らいでいる」状態だったのではないか。

 

 「栄光を手にしたい」のも「あなたを抱きしめていたい」のもそういった状態を何とか変えたいと思っているからこそ、と考えれば納得がいく。

 

 さらに、この楽曲にも作詞家の「世界観」を表す名フレーズが2箇所ある。

 

 一つ目は1番のAメロの後半の下記の部分。

 

ここは天国じゃないんだ かと言って 地獄でもない
いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない

 

 これは自分の生きる世界の現状認識であろう。最高ではないが、最悪でもない。多くの人が共感できるリアルな世界観と言っていいだろう。

 

そして、二つ目は2番のAメロの前半部分。

 

世界中に定められた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう

世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう

 

 「あなたが生きている今日」の素晴らしさの肯定。言い換えれば、当たり前のような「日常の価値」への気付きだろう。

 

 以上をまとめると、少し強引かもしれないが、この楽曲のテーマは以下のようになる。

 

「自分が何者かわからず、何のために生きているのかもわからない男がリアルな現状認識と、”あなた”が生きている今日の価値に気付いたことにより、自らの生を肯定し、アイデンティティを確認するようになるまでの物語」

 

 蛇足ながら付け加えるとすれば、多くの邦楽の楽曲においては、一見ラブソングのように見える「僕」と「君・あなた」の物語が、実は「アーティスト自身」と「楽曲を聴いてくれる人達・リスナー」の物語のメタファーであることが多い。

 

 そうした観点から、もう一度この楽曲を解釈しなおすとすれば、

 

「何のために歌っているのかわからずにいたアーティストが、楽曲を聴いてくれる人達のがいることの素晴らしさに気付き、どんなに醜くても生き続け、精一杯歌おう、という意思表示に至るまでの物語」

 

と解釈することも可能ではないか。

 

どちらの物語を好むかは聞く人次第だが、こういった多面的な解釈ができる楽曲には名曲が多いことは確かな気がする。

 

※この記事は2016年1月1日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。

 

(続く)