ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2019年7月号 お気に入り五行歌

 このブログをご覧の皆さま、あけましておめでとうございます。ひげっちです。昨年の初めにブログを始めて、約1年が経ちました。ここまで続けてこれたのも、色々な形で反響をくださった皆さまのおかげです。

 

 1月11日には、2020年関東新年合同五行歌会に参加してきました。お久しぶりな方、初めましての方、いつもお世話になっている方など、色々な方々にお目にかかれて嬉しかったです。全体歌会の方は相変わらず泣かず飛ばずでしたが、小歌会では2席になることができて、嬉しかったです。ご一緒した方々、ありがとうございました!

 

 さて、だいぶ間が空いてしまいましたが、2019年7月号のお気に入り作品を紹介させていただきます。

 

善いことをしても
してなくても
二時間で
人は
灰になる

 

佐々野 翠
14p.

 

 火葬場にて着想を得られたお歌だろうか。そうすると作者は身近な方の死を体験されたのであろうが、そのことに対する作者自身の感情がほとんど伝わってこない、淡々かつあっけらかんとした筆致がこのお歌の魅力だと思う。生前、善い人間であろうとなかろうと、物理的に人間は燃やせば2時間で灰になるという事実。果たしてそのことは作者にとっての救済なのか、あるいは受け入れがたい現実なのか。考えさせられる余地と静かな余韻がある名作だと思う。

 

トップは
孤独なもの
きょうも一人で
社食のうどんを
啜る

 

嵐太
23p.

 

 サラリーマン社会では、アゴで使われる平社員も、上司と部下の板挟みになる中間管理職も、嫌われ役をこなしつつ様々な事項について判断を下さないといけない管理職も、それぞれに悲哀があるもの。基本的にいつの時代も組織の中で偉くなればなるほど、孤独になっていくのが常。作者自身が会社のトップで在られるのか、あるいは社員食堂でうどんを啜るトップの方を見かけての歌なのかは判断がつきかねるが、会社生活の一コマを上手く切り取った作品であり、一社会人として惹かれた。

 

こころとことばが
くっついている
こどものことば
やがて はがれて
おとなの言葉に

 

世古口 健
38p.

 

 これはもう発見と言ってもいいくらい「ひとつの真実」を言い当てているお歌ではないか。子供の言葉には、その一つ一つに「ああしたい」とか「こうしてほしい」とかいう気持ちがシールのようにくっついている。欲求や願望と言い換えてもいい。赤ちゃんの泣き声に「おなかすいた」や「ねむい」といった欲求が隠れているのと同様に、幼い子供は自分の欲求や願望を親や周りの大人に叶えて貰うことを目的として言葉を発する。大人になるにつれて「こころのシール」が剥がれた言葉を使うようになるが、注意深く見ていくと大人の言葉にもわりと心がくっついている時も多いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。

 

誰にも
叱られない処に
隠れていると
腐って
しまうのだよ

 

芳川未朋
44p.

 

 誰も自らすすんで叱られたくはないが、腐らないためには、叱られる状況に身を置くことも大切だとこのお歌は詠っている。「叱られない処」が、具体的に何を指すのかは読み手によって変わるだろう。個人的にはパッと不登校や引きこもりのようなイメージが浮かんだが、単純にそれらを批判しているようなお歌であるとは思えない。間違っているかもしれないが、独善的な読みが許されるなら、「叱られない処に隠れている」とは、「表現活動を行っていながら批判を恐れてそれを外部に発信しない人」の比喩ではないかと考えている。自分の創作したものを発信しなければ、批判を受けることもないし、他の誰かと比べられることもない。自分でひそかに趣味として楽しむために創作するというスタイルもありだろう。ただ、それは外部からの刺激を受けることもなく、表現者として成長するスピードも遅くなってしまう。批判を恐れずに、同好の士と切磋琢磨することの大切さを説いているお歌なのではないかと感じた。

 

どこかで
自分を
認めているから
なんとか
生きている

 

風子
137p.

 

 「どこかで」と「なんとか」の使い方が上手い。作者はきっとご自分に対して厳しい視点を持っている方なのだろう。具体的にご自分のどこを認めているのかには言及しないところが奥ゆかしくて好きだ。そうやって自分をどこかしら認めているからと言って、生きるのは簡単ではなく、やっとこさ生きているというような表現。これがまたいい。自己肯定感の低さと不器用さが滲む。自分のストロングポイントを自分で認識し、それを上手くセルフプロデュースしている人も魅力的だと思うが、個人的にはこういった慎ましやかな人に共感したくなる。

 

つぶあん
言ったでしょうよ
こしあんだって
あんパンでしょ
大切な夫婦喧嘩

 

窪谷 登
166p.

 

 とりとめのない夫婦のやりとりがあたたかく、面白い。「つぶあん」と「こしあん」の違いにこだわるところも微笑ましくて好きだ。筆者はどちらでも美味しくいただく派だが、違いが気になる人も確かに存在するようだ。そこから夫婦喧嘩が始まってしまうわけだが、五行目に「大切な」とあるため、これは夫婦喧嘩と言いつつも、実質はこのご夫婦のいつも通りのやり取りであり、決して深刻なものではないことがわかる。むしろ、作者はこうした夫婦間のコミュニケーションに価値を見出しているのであり、喧嘩の話かと思ったらのろけ話だったかのような、「心配して損した、ごちそうさま」という気持ちにさせる軽妙なお歌だ。

 

「運」に
寄りかかれば
倒れる
あくまでも
道標

 

中野忠彦
178p.

 

 納得させられるお歌である。「運」というのは不思議なものだと思う。苦難や困難の最中に幸運に救われたというような経験もしたことがあるが、かといってそうした幸運を頼ったり、甘えたりしてはいけない。幸運を、「あって当たり前」と思った瞬間、運というのは逃げていくような気がしてならない。四、五行目の「あくまでも/道標」という表現が非常にすとんと胸に落ちる感じがする。

 

わたしは
人間ではないような
気がする
ときどき人間に
もなるが

 

今井幸男
204p.

 

 自分の姿というものは鏡越しでなければ、自分で見ることができない。それゆえに人間の中で暮らしながら、自分だけは人間ではないのではないかという疑念は、古今東西、様々な表現者が向き合ってきたテーマであると思う。ある意味、使い古されたテーマでありながら、この歌が新しさと説得力を持っているのは、四、五行目の「ときどき人間に/もなるが」という自由さと、作者のキャラクターの為せる業かもしれない。

 

メンタルは
豆腐並みなんだって
弱いけど
柔らかいなら
良し

 

唯沢 遙
207p.

 

 「豆腐並みのメンタル」とは、精神力が弱いことの比喩としてよく使われる表現だが、それを逆手にとって豆腐ならではのストロングポイントを主張する後半三行が見事。まさしく柔軟性がキラリと光るお歌だ。私もメンタルが強い方では無いので、こんど自分の気持ちが折れそうになったら、この歌のことを思い出して、乗り切りたいと思う。弱くても、カチカチに固まった心より、柔らかい心を持ちたい。

 

自分が
燃えて
自分の
居場所を
照らす

 

伊藤赤人
215p.

 

 「天辺の歌人たち」より。寡聞にして作者のことをこの記事を読むまで存じ上げなかった。抜群の歌の良さに、がつんとやられた気分になった。記事ではいくつかのお歌が取り上げられていたが、中でもこのお歌に惹かれた。歌には生き様が滲み出る。自分が果たしてここまでの覚悟と自負を持って、歌を書いているのか、と自問自答せずにはいられなかった。今はまだ未熟で甘っちょろい私だが、いつか作者のような歌を書いてみたい。

 

誰かにとって
特別な人で
ありたい
症候群
です。

 

いわさきくらげ
220p.

 

 独特な文体と世界観が魅力な作者。短く簡潔な言葉を使いながら、読み手のイマジネーションを膨らませるようなお歌が多く、その才能に注目している。このお歌も簡単なことを詠っているようで、なかなか一筋縄ではいかない。誰かにとって特別でありたいというのは、多くの人が思っている自然な感情のように思うが、そこにポンと置かれた「症候群」という言葉、これが効いている。人間としての自然な感情が、病名を表すような仰々しい言葉と合わさることにより、色々な想像が膨らむ面白いお歌になっている。行が進むにつれて、だんだん小声になっていくかのような、文字数の並びも効果的。

 

「ピカにおうとらんのなら
だまっときんさい」
引き揚げ体験は
小学二年で
封印された

 

ともこ
275p.

 

 「戦争と五行歌」より。終戦後の朝鮮からの引き揚げというこの世の地獄を体験しながら、引き揚げ先が被爆地・広島だったことから、それを誰かに伝えることさえ許されなかった過酷な運命。想像を絶するような苦しみだと思う。命が粗雑に扱われる戦争の恐ろしさは歳を重ねるほどに身に染みて分かってくる。多種多様な価値観はあって然るべきだと思うが、戦争だけは肯定してはならないと強く思う。

 

生きるために と
飲みこんできた
女たちの物語は
寿ぎのかげで
今も地を這っている

 

宮崎史枝
299p.

 

 見過ごすことができなかったお歌。色々な解釈が成り立ちそうなお歌であるが、筆者は男性中心の社会に対する警鐘と、押し込められてきた女性たちのしたたかさを強く感じた。後半三行は出色だと思うが、「女たちの物語」と詠うことにより、一個人の女性というより、同時代を生きる多くの女性、あるいは世代を跨いだ幾人もの女性たちのことを指しているように感じられた。男性優遇の社会の裏で、我慢を強いられている女性が数多くいるという現実。目を背けてはいけない何かを伝えてくれているお歌だと思う。

 

樹木希林
いない日本映画は
キリンの
いないサバンナよりも
さみしい

 

漂 彦龍
310p.

 

 作者ならではの映画愛滲む名作。「希林」と「キリン」がかかっていることにクスリとさせられつつも、樹木希林さんへの等身大の追悼歌にもなっている。私はわりと晩年の希林さんしか存じ上げないが、清濁併せ呑んだ老婆を演じさせたら、右に出る者はいなかった印象だ。あの方にしかできない役が今までにも、これからにもたくさんある気がしてならない。

 

<恐怖>
子供 僕は幽霊が怖い
妻  私は戦争が怖い
夫  僕は女性が怖い
幽霊 私は人間が怖い

 

巨橋義顕
324p.

 

 実験的な作品であるが、個人的にはとても好み。一行目をタイトルに使うという発想がまず面白い。内容もよくできた絵本や寓話みたいで、気が利いている。このフォーマットを使って、一首書いてみたくなった。まだまだ五行歌は色々な可能性があり、試されていないことが多くあるのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれたお歌だ。

 

 (了)