それでは、実際の楽曲を例に挙げて、「楽曲のテーマ」について、
「設定」と「解決」を当てはめて考えてみたい。
- Mr.Children『タガタメ』
最初は言わずと知れた超人気バンド、Mr.Childrenの11枚目のアルバム『シフクノオト』に収録されているこの楽曲を取り上げたい。
楽曲の主人公について、歌詞から読み取れるのは、
・一人称が「僕」であることから、おそらく男性である
・結婚をしてるか、少なくとも一緒に暮らしていると思われる「君」という存在がいる
・犬を飼っているらしい
・夜の映画番組が始まるくらいの時刻で、眠るにはまだ早い(と「僕」が思っている)時間帯である
といったところか。
この主人公が抱えている問題(設定)は、1番のBメロ(サビの前半というべきか)で示される。
子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
明言はされていないものの、深読みしないで素直に考えるなら、ここに出てくる「子供ら」は「僕」と「君」の子供であるとするのが自然だろう。あるいは、「子供ら」と複数形で示されていることから、単に主人公たちの子供にとどまらず、世の中の数多の「子供たち」を指している、と考えることもできる。
では、子供たちを被害者あるいは加害者にしてしまうものとは何であるか?
ここは、聞く人で解釈が分かれるところかもしれない。
サビで「戦って 誰 勝った?」「誰がため 戦った?」と歌われているところから、「反戦」のメッセージソングだと受け止めることができるし、「少年犯罪」をテーマにしていると解釈することも可能だろう。
だが、子供たちを苦しめるものの正体に拘り過ぎてしまうと、この楽曲の問題を見失う恐れがある。
この楽曲の問題の主眼はあくまで、戦争や犯罪に巻き込まれないで、「子供たちに幸せに暮らして欲しい」という願いであり、「そのためには自分に何ができるか?」という自問であろう。
その次に重要な歌詞と思われるのが、2番のAメロである下記の部分である。
左の人 右の人
ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ
ここは、作詞家のいわば「世界観」を伝える箇所であり、優れた楽曲(というよりは、私の好きな楽曲)の歌詞には、しばしば「作詞家が世界をどのように捉えているか」を表すフレーズが含まれていることが多い。
この部分のメッセージは、世界を「善」と「悪」で分けることの無意味さであり、子供たちを被害者たらしめるもの、を単純に憎んだり、排除することでは問題は解決しない、ということの気付きではないだろうか。
サビのリフレインを除く最後の歌詞である、3番のBメロで当初の問題に対する答えのようなフレーズが出てくる。
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない
上記の気付きを経ての、自分にできることは愛することしかない、という決意の表明。言い換えれば、戦うことを是としない、非暴力の宣言であろう。
以上を踏まえると、この楽曲のテーマは、以下のようにまとめることが出来ると思う。
「子供たちの幸せを願い、自分にできることが何かを思い悩んでいる男が、世界を「善」と「悪」で分けることの無意味さに気付き、自分にできることは子供たちを愛すこと以外にないんだ、と決意する物語」
作詞家という言葉のプロが精査して書いた歌詞を、文章で表現しなおす、という非常に失礼で、無粋な作業をしているが、歌詞の解説というのはそういうものなのだろう。
この楽曲に関しては、「設定」も「解決」もこれ以上ないくらいにわかりやすく、ストレートな例である上、込められたメッセージが多くの人の共感を得られるものであると感じたので、最初に取り上げさせてもらった。
少し長くなってしまった。次回は別の楽曲について見ていきたい。
※この記事は2016年1月1日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。
(続く)