- THE YELLOW MONKEY『JAM』
次に、自分の大好きなバンド、THE YELLOW MONKEYの9枚目のシングルであり、彼らの代表曲でもある『JAM』を取り上げたい。
この楽曲は高校時代から何度も繰り返し聴いている曲であり、思い入れが強すぎて、公正に解説するのが難しいかもしれないが、なるべく冷静な分析を心がけたいと思う。
まず、最初に歌詞とは少し離れてしまうが、タイトルの「JAM」という言葉の意味について少し触れておきたい。
「jam」という単語には非常に多くの意味があり、名詞だけに限定したとしても
下記のように様々な意味を持つ。
1. (果物の)ジャム
2. 混雑,雑踏,押し合い
3. 集まり,込み合い, 集積物
4. 故障,停止
5. 困難,苦境,窮地,ジレンマ
6. (カセットレコーダーなどから流れる)音楽(歌)
(参考)jamの意味 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/ej/45668/meaning/m0u/
http://dictionary.goo.ne.jp/ej/45670/meaning/m0u/
タイトルの意味を、歌詞と照らし合わせると、「この世界に真っ赤なジャムを塗って 食べようとする奴がいても」とあることから、1の意味は確定だろう。「暗い部屋で(中略)震えている」「僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう」といったフレーズから、5の解釈もありえそう。「素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う」から、6という捉え方もできそうだ。
タイトルについては、上記3つの意味のダブルミーニング(あるいはトリプルミーニング)ではないかと思っている。
さて、話を歌詞に戻す。楽曲の主人公について、歌詞から読み取れるのは、
・一人称が「僕」であることから、おそらく男性である
・「抱きしめたい」「逢いたい」と願っている「君」という存在がいる
・「時代は裏切りも悲しみも 全てを僕にくれる」とあることから、心に傷や悲しみを持っている
といったところだろうか。
では、この「僕」の抱えている問題とは何か?
純粋なラブソングとして考えるなら、「君を抱きしめたい」「君に逢いたくて」ということかもしれない。もしくは、心に抱えている傷や悲しみをどうにかしたい、ということかもしれない。
他には分かりやすい問題を提起したフレーズは見当たらないので、上記のどちらかであるという解釈も成り立つであろうが、念のため、前回と同じ手法を試してみよう。
前回と同じく、「答え」らしきフレーズを探すとしたら、1番のサビの後半の下記の箇所になるだろうか。
儚さに包まれて 切なさに酔いしれて
影も形もない僕は
素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
好きな歌を歌う
このフレーズは、よく読むと、歌詞解釈的には完璧としか言いようがない。
自己の心許なさを抱えているという「設定」、素敵な物が「あんまり」売ってない=お金は(たぶん)全てではないという「世界観」、それでも自分は好きな歌を歌うしかないんだ、という「解決」、これらがすべて凝縮されているからだ。
ここに記されているとおりの「解決」でも、決して不自然ではないが、あくまでこの歌詞は1番のサビである。
続く2番のサビの後半部分に以下のフレーズがある。
外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう
こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて
君に逢いたくて 君に逢いたくて
また明日を待っている
「外国で飛行機が~」の一連のフレーズで糾弾される世界の残酷さと矛盾。
それを目の前にして、何を思えばいいのか、何て言えばいいのかわからず、立ちつくしてしまう「僕」。
出てくる箇所がいささか楽曲の後半すぎるが、これこそが第2の「設定」ではないだろうか。
この部分のインパクトが強すぎるため、この楽曲は社会的・政治的メッセージを含んだ曲だと、多くの人に理解されているように思う。
だが、続くフレーズでは「こんな夜は逢いたくて(中略)また明日を待っている」と、「君」に逢いたいという気持ちが強調され、「明日を待っている」という微かな希望とともに楽曲が締め括られる。
世界の残酷さと矛盾に対する答えは持たないが、「君に逢いたい」という気持ちだけは確かなもので、「君に逢える(かもしれない)明日」には希望を持っている。これが第2の「解決」だろう。
以上をまとめると、この楽曲のテーマは以下のようになる。
「自己に心許なさを感じており、お金は(たぶん)全てではないと感じている「僕」が、好きな歌を歌うしかないんだ、と自らのアイデンティティを確認するが、世界の残酷さと矛盾を目の当たりにして、自分を見失いそうになり、「君に逢いたい」という気持ちだけは確かなことに気付き、明日に希望を抱くまでの物語」
前回の日記で触れたように、「僕と君」を「アーティストとリスナー」に読み替えても成立する楽曲であるように思うが、個人的には、この楽曲は純粋なラブソングであると考えるのがしっくりくる。
「たとえ世界が終ろうとも 二人の愛は変わらずに」のフレーズに代表されるように、「愛の言葉」の強度が強いし、楽曲の後半部、クライマックスで、「逢いたくて」と何度も繰り返される。
Wikipediaによると、作詞・作曲を担当した吉井さんは、
「『君に逢いたくて』というくだりは、当時、娘に向けて書いたんです。」と語っている。
この事実を私が知ったのは、つい最近だが、さもありなん、と感じた。恋人に向けての楽曲だとしたら、ちょっと気持ちが重すぎる気もしたが、肉親である自分の娘に向けてのものだとしたら、腑に落ちる点が多いように思う。
もちろん、この楽曲を社会的メッセージソングと捉えるのも、自分の歌う理由を見つけたシンガーの歌と捉えるのも自由だ。
複数の解釈ができる楽曲というのは、名曲の証でもあると思うからだ。
『タガタメ』『TRAIN-TRAIN』『JAM』と、毛色は違えど、ストレートなメッセージを含んだ楽曲を取り上げてきた。次回はちょっと変化球な楽曲も取り上げてみたい。
※この記事は2016年1月7日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。
(続く)