ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2019年11月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 相変わらずコロナの影響が続いており、それなりにストレスフルな毎日ですが、その一方、オンラインのあれこれを使ってそれなりにこの状況を楽しんでいる毎日でもあります。まだまだ油断は禁物ですが、少しずつ日常が戻り始めている気配も感じます。

 

 雑誌『五行歌』2019年11月号のお気に入り作品をご紹介します。

 

 

どんなに
独房を
共有しようとしても
そこには
あなた一人しかいない

 

憂慧
6p.

 

 「あなた」が誰を指すのかで、解釈が変わってくるであろうお歌。歌から読み取れるのは「あなた」は「独房を共有しよう」としている存在であるというだけである。「独房」を言葉通り解釈するなら、何らかの罪を犯して刑務所のようなところに居る人ということになろう。「あなた」がその境遇を「共有しよう」としているとは、一体どういうことだろう。何かの比喩のようにも思える。例えば、大きな事件を起こして捕まっている人が自身の考えを正当化したり、共感してもらおうとしたりする行為のこと指すのかもしれないと思った。そうした行為に対して、その考えを是としない、きっぱりと拒絶するような作者の姿勢がよい。「あなた」がいま「独房」に居るということ、それ自体が「あなた」がしたことの答えなのだよ、と言うかのような冷静な視点に惹かれた。

 

 

何十年も
何の努力もせずに
才能ないもんなあと
言っている馬鹿は
この私です

 

樹実
14p.

 

 どこまでも潔いお歌だと思う。私もよく、すごい人のお歌を見て打ちのめされ、「どうせ自分には才能がないしなあ」などと思ったりする。そうした自分をあれこれ言い訳することなく、「何の努力もせず」「馬鹿」と切り捨ててみせる思い切りの良さに清々しさを感じる。これは逆説的にほんとうに才能のない人には書けないお歌ではないか。これほどシビアな自己批評と現状認識が感じられるお歌もなかなかない。

 

 

二度手間
三度手間
たくさんの人に
かけてもらって
育ってきたよ

 

芳川未朋
21p.

 

 周りの人たちの丁寧なサポートのおかげで成長できた人物のことを詠っている。この「育ってきた」主体が作者ご本人なのか、あるいは作者の近しい誰かなのか、二通りの解釈ができそうなお歌だが、この歌の魅力はその解釈に左右されないところにある。つまり、どちらの解釈であろうと周り人たちへの惜しみない感謝が滲み出ているし、おそらくはゆっくりとしたペースで成長してきた主体のことを恥じることなく、慈しんでいることが伝わってくる。簡単な言葉でサラッと詠われているのに、読み手はしっかりとした満足感が味わえる。流石と言うしかない。

 

 

蝶々年取りゃなんになる
ボロボロ羽の蛾になるさ
蛾 年取りゃなんになる
悲しい瞳の夜鷹になるさ
夜鷹 年取りゃ石になり
ずっと黙ってそのまんま

 

三隅美奈子
63p.

 

 挑戦的で意欲的なお歌。読んでいて、着物を着た浪曲師が三味線で弾き語りをしている様子がイメージとして浮かんだ。蝶々が、蛾になり、夜鷹になり、最終的には石になるというのも普通ではありえないことなのに、寓話のような語り口と綺麗に揃えられた文字数のためか、何とも言えない説得力で読み手は納得させられてしまう。こういうお歌が発想できるのがまず素晴らしいし、文字数や行数にも試行錯誤の跡が伺える。評価されるべきお歌だと思う。

 

 

みんなの心が
ステーキのように
机に置かれているから
おいでよ
歌会へ

 

鳴川裕将
75p.

 

 歌会の魅力を絶妙な比喩で表現されていて惹かれた。「歌会へ行こう!」がテーマの五行歌コンテストがあったら、この歌が優勝作品ではないだろうか。歌会参加者の皆さんの心を、「ステーキ」というご馳走の代名詞のような料理に喩えられている点が好きだ。そうなのだ。歌会での皆さんの歌は、皆さんの心であり、読み手にとってはご馳走なのだ。4,5行目の呼びかけるような、標語のような、まとめ方も効果的。

 

 

さびしさを
病いの夫に話さず
枯れた茗荷の
茎を
抜く

 

小原淳子
128p.

 

 おそらくは実景を詠ったお歌であろう。作者はさびしさを抱えているが、それを話したい相手である夫は病いを抱えており、それを受け止める余裕がないことを知っている。そこで作者はさびしさに耐えながら、「枯れた茗荷の/茎を/抜く」のである。「枯れた」という形容詞が付いていることが、作者の抱える「さびしさ」、夫の抱える「病い」があまり軽いものではないこと暗示しているかのよう。4,5行目の改行も胸が詰まるさびしさを丁寧に噛みしめるかのような呼吸が伝わる。名作だと思う。

 

 

婿にも父親にも
大事にされる
甘え上手な娘
蹴り倒してやりたいと思う
瞬間がある

 

大本あゆみ
129p.

 

 娘さんが甘え上手であり、配偶者や父親に大事にされているというのは、決して悪いことではないだろうし、むしろ歓迎すべきことのようにも思えるが、4,5行目の書きっぷりがリアル。女性同士の目線の本音を見た気がした。かといって、この母娘の関係は決して険悪であるわけではないと思う。甘え上手な娘さんは、きっと作者である母親とも良い関係を築いているように想像する。「蹴り倒してやりたい」というのは、あくまでふと頭によぎる瞬間的な衝動であり、基本的には「上手いことやりやがって」という軽い嫉妬と頼もしさが綯い交ぜになった感情が娘さんに向けられているように感じた。

 

 

「私は生きていていいの」
愛情を受けなかった子が
一生抱える
深い闇のような
自問

 

岡田道程
162-163p.

 

 ずしん、と重いものが心に残るようなお歌だ。愛情というものが何たるかについては、私はまだ答えを持たない。ただ、40年あまり生きてきておぼろげに分かってきたことは、子供の頃に身近な人間から愛情を受けることが、その後のその人の成長において、とても大切であるということ。そして、愛情というものは、何をどれくらいをどのように与えればよいというような、具体的な目安があるものではなく、「受け手が満たされなければ充分とは言えない」という極めてあやふやで曖昧なものだと感じる。だから、みんな手探りで試行錯誤しながらやるしかないのだ。充分な愛情を与えられなかった親も、また充分な愛情を受けられなかった子供時代を過していたのかもしれない。深い闇のような連鎖を断ち切ることが出来るものは何なのか。自問を続けたい。

 

 

あり一匹一匹
協力してる
人間も
そうできたら
いいですね

 

川越市立高階中学校一年
山口晃太郞
230p.

 

 一生懸命協力して働く蟻たちを観察して書かれたお歌だろう。絶妙なシニカルさが感じられて、人間を信じたらいいのか、信じたらいけないのか、値踏みしているかのような感性に惹かれた。最近の研究では、働き蟻の中にも一定数、休憩を取っている「働かない蟻」が分かってきているとか。適度な休憩を取りながら、連携を取って協力して、一人一人が一生懸命に働く。本当に人間たちも、そうできたらいいですね。

 

 

つい、夫への愚痴を吐露した
無神経な私を
ご主人を亡くされた友は
にこやかに にこやかに
聴いてくれた

 

泉 倫子
273p.

 

 状況が容易に想像でき、うっかりと悪気なく失言してしまう場面にも共感を覚える。4行目の「にこやかに」のリフレインも効いている。穏やかなご友人の人となりがお歌から伝わってくる。作者はご友人のことを思い遣っているからこそ、自分を「無神経」と責めているのだし、ご友人もそういう性格の作者が相手だからこそ、愚痴をにこやかに聴くことができたのだろう。やさしさの連鎖のような、せつなくも温かいお歌だ。

 


(了)