ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2019年4月号 お気に入り五行歌

 ひげっちです。久しぶりの更新になりますが、雑誌『五行歌』2019年4月号のお気に入り作品をお届けします。おそらく過去最多、全19首になってしまいました。4月号は本当に名作揃いでした。分量は多いですが、ご覧いただけたら幸いです。

 

 

霞を食べる
仙人を
見習え
刹那を食らう
凡人たち
 
山崎 光
15p.
 
 「凡人たち」に当てはまる心当たりがあり過ぎる身としては、ドキッとさせられたわけだが、この歌の凄いところは、こういったお説教めいたことを詠っているにも関わらず、読み手にまったく言っていいほど、不快な気持ちを抱かせない点。むしろ読んでいて、ある種の清々しささえ感じさせるから不思議だ。実はこういった「偉そうな歌・上から目線の歌」というのは難しい。一歩間違えると、お説教臭さが鼻につく歌になってしまいがちだからだ。これはあくまで想像だが、この歌は今を生きる人々への警鐘であると同時に、作者自身の自戒の念も込められているのではないか。作者の歌を作る際の「姿勢の良さ」が感じられるから、伝えたい想いがすっと読み手に届く。これは間違いなく才能のなせる業だ。
 
 
 
八方塞がりの
壁が崩れたのは
最後は死ねばいいんだ
と 立ち上がった

 

酒井映子
20p.
 
 どこにも出口が見当たらないような状況の中で、苦悶の末、生への執着さえも手放したことで、状況を打破したという経験が力強い筆致で描かれている。人間、気持ちが弱気になり、保身や体裁を気にしていると堂々巡りに陥りがちだが、文字通り「死んだ気」になって物事に当たれば、望み通りとはいかないまでも、道が開けることが多いと思う。筆者にも似たような経験があるので、共感するとともに、勇気を与えてもらえるお歌だ。五行目が一文字だけになっているのも巧みで、どん底から立ち上がったまさにその瞬間にフォーカスが当たるとともに、歌全体がグッと締まる効果を生んでいると思う。
 
 
 
ママとギクシャクし始めた
女児10歳
よしよし
議論が
対等に近づいたってことだ

 

兼子利英子
38p.
 
 作者は女児の祖母だろうか。女児の成長を温かく見守っている視点に惹かれた。10歳ともなれば、そろそろ自我が芽生えてきて、いっちょ前のことを言い始めるころ。思春期の入り口と言ってもいい。色々と難しくなってくる子育ての一場面を上手に捉えていると思う。3行目の「よしよし」が包容力があって素敵。作者のような存在が居ることは、きっとママにとっても、女児にとっても、ありがたいことなのではないだろうか。
 
 
 
たしなみを
忘れない人の
胸の奥には
想うひとが
きっといる

 

吉田節子
149p.
 
 そうなのだ。胸の奥に想うひとがいる人は、めったなことはしない。大切なひとを悲しませたくはないから。大いに共感する一方、「想うひとがいない人」についても想いを馳せた。想像を絶するような恐ろしいことをしてしまう人は、もしかしたら、「誰かがいるべき胸の奥」が空っぽだったのかもしれない。でも、人は一人では産まれてこれないし、一人では成長できない以上、そういった人もまた、誰かの「想いびと」だったのかもしれないと考えると、堪らない気持ちになる。想うことは無力かもしれないし、想い返されることを期待してはいけない。それでも自分自身を保つために、誰かのことを想う。そういう生き方はとても尊いと思う。
 
 
 
植える前に
芽を出す球根
寒さを教えなければ
花は
咲かない

 

かおる
152p.
 
 球根のお歌だが、人間も同じなのかもしれないと感じた。最近自分が感じていたこととリンクしていたので、見逃せないお歌だった。球根にとっての寒さは、人間にとっては挫折や苦労ということになるだろうか。そうしたものを経験し、乗り越えた人間はやはり強い。だからと言って、すすんで挫折や苦労を味わえ、とは言えないが、一生そういったものとは無縁であることが、本当に幸せな人生と言えるのかどうか。色々と考えさせられた。
 
 
 
けっして
本物ではなかったのに
一番本物らしかった
初恋という

 

三隅美奈子
159p.
 
 本物の恋というものがどういうものか、未だに勉強不足でよく分かっていない筆者としては、作者に「本物の恋」について聞いてみたい気持ちになるが、そんなことはさておき、この歌にはある種の真理があるように感じた。初恋には、不器用、一途、ひたむき、といったイメージがある。そして、たいていの場合、成就しないことが多いように思う(※個人の感想です)。筆者は最近誕生日が来て、不惑を迎えたが、正直この歳になっても恋というのは「わけがわからない」ものだ。そのわけのわからないものに、勇気を持って体ごと飛び込んでいく姿勢こそが、初恋を本物らしく感じてしまう原因ではないかと思う。
 
 
 
いつの間にか
世界地図から
消えてしまった
事なかれ主義の

 

鈴木理夫
160p.
 
 今の日本の国としての有り様を痛烈に皮肉っていて、このままでは日本が消滅してしまうよ、と警鐘を鳴らすお歌であろうか。国というのはつまるところ、領土とそこに住む個人の集合から成るものであるから、事なかれ主義の国というのは、事なかれ主義の人々の集合ということになろう。大多数の日本人は揉め事を嫌い、平和を愛する国民性を持っていると信じているが、混迷する世界情勢の中、かつてのように受け身でいるだけでは平和は守れなくなってきていることを肌感覚で感じる。かといって、どう行動するのが良いのか、と問われれば、その答えは簡単ではない。自分の立場を明確にすると、他者との分断を生む。どうかこのお歌の憂いが杞憂に終わり、事なかれ主義の国々が世界中に増えればいいと、平和ボケの筆者は思う。
 
 
 
聴きながら皆
同じ顔 を思い浮かべてる
ハラスメント講習
ご当人を
除いて

 

明槻陽子
162p.
 
 現代的なテーマを痛快に詠まれていて惹かれた。ご当人という言葉のチョイスが絶妙。何処の職場にもお一人くらいは「ご当人」のような方がいらっしゃるであろう。ハラスメント講習を受けているご当人の心持ちやいかに。「自分には関係ない」と聞き流しているのか、多少は思うところがあって反省しているのか、はたまた別の誰かの顔を思い浮かべているのか。ハラスメントとは、大人の世界の「いじめ」であろう。ハラスメント対策においては、多くの場合、加害者に注意を促すという傾向にある。一方、話は少し変わるが、子供の世界のいじめにおいては、未だに「いじめられる側に問題がある」「もっと強くならないといけない」などと、被害者に責任があるかのような物言いがまかり通っているように思う。子供の世界においても、はっきりといじめの加害者に注意を促すようになって欲しい。
 
 
 
幻想を
常食する
種族に
生まれついた
というけだるい呪い

 

南野薔子
178p.
 
 なかなか解釈に迷うお歌だが、筆者なりに感じたことを書かせていただく。「幻想を常食する種族」とは、小説、漫画、映画、詩歌などの創作物を好んで読んだり見たりする人間であるということだろうか。そういったタイプの人間として生まれたことは、「けだるい呪い」であるという。筆者も創作物に触れるのは大好きな人間であるが、そういった人種のことを決して美化していないところが、逆に好感が持てる。全体から感じるどこか耽美的な印象も魅力的だ。
 
 
 
ぼくは
とべない鳥だ
みんなや家族は
とべて
ぼくはとべないみんなはとべて

 

明光小学校三年
北本恵太郎
206p.
 
 自分に自信が持てない男の子のお歌だろうか。読んでいて切なくなった。ありきたりは慰めは言いたくないが、どうか、書くことを続けて欲しい。それが五行歌でなくてもいい。作者の気持ちにみんなが気付けるのも、そこから何かを感じ取れるのも、ほんとうの気持ちを書いたらこそ。ほんとうの気持ちを文字にして書けるというのは、いつか作者の力になるはずだ。
 
 
 
決して
忘れているわけではない
言葉にするのが
困難なだけなのだ
戦争は

 

ともこ
231p.
 
 戦争経験者の方々も高齢になり、だんだんと戦争体験を語れる人は少なくなってきている。幼少のころ、夏に親に連れられて戦争体験の話を聞く会に行った覚えがあるが、退屈だし、怖いし、早く帰ってテレビゲームがしたいと思いながら聞いていた。今にして思えば、大変失礼で勿体ないことをしていた。語り手の方々はそれぞれ辛い思いと向き合って話をしてくれていたのに。辛い体験を言葉にして語れるのは、その体験をある程度自分の中で消化できているからだと思う。戦後74年が経っても、それすらできずに戦争体験を未消化のまま心に抱えている人がたくさんいるということだろう。
 
 
 
おばあさんは
散歩中の
保育園児の群れに
孤独を
そっと置いてきます

 

村岡 遊
259p.
 
 なんとも言えない余韻を残すお歌。歌の主体のおばあさんは、おそらく作者のことだと読ませていただいた。作者は、お散歩中の園児たちと遭遇し、そっと孤独を置いていくという。これは、楽しそうにお散歩している園児たちに、おそらくは孤独を体現しているような作者ご自身の姿から何かを感じ取って欲しいという想いが込められているのではないかと思った。しかし、相手は園児たちであることから、そもそも「孤独」がどんなものであるのか分からない子もいることだろう。ゆえに、この想いはさほど切実ではなく、「君たちにはまだわからないだろうけど、こういう孤独なおばあさんもいるのよ」というような、どこか余裕と温かな眼差しが感じられる。この匙加減がたまらなくいい。
 
 
 
ゴールしたいから
スタートに
就くのではない
スタートしたいから
スタートに就くのだ

 

高原郁子
275p.
 
 何かを始めるとき、最初から具体的な到達点を思い描く人もいるだろうが、それはどちらかと言えば少数派だと思う。例えば、歴史に残るようなスポーツ選手がいたとして、その人も最初にそのスポーツを始めたときは、「このスポーツで世界一になるんだ」という思いより、「そのスポーツが楽しくてしょうがない」という純粋な思いの方が強かったのではないか。端的に言えば、衝動は野心に優る、ということを伝えようとしているお歌だと感じた。最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。自分のゴールを設定するのは、スタートを切った後でも構わない。何かを始める前にあれこれ皮算用してしまう筆者に喝を入れてくれるお歌だ。
 
 
 
嫌われる
疎まれる
あぁ歪んでいるから
面白がられる
愛される
 
今井幸男
291p.
 
 真ん中の行の「歪んでいる」ということ軸に、とある人達からは嫌われ、疎まれる一方、また別の人達からは面白がられ、愛されるという二面性が詠われている。同じ歪み、言い換えれば「個性」でも、受け止め方は人それぞれということだろう。これは考えてみれば、当たり前のことで、誰かから好かれている人は、同時に同じくらい別の誰かからは嫌われているのが自然なのだろうと思う。それでも人間は欲張りなので、できることなら多くの人に好かれたいと願うもの。いわゆる八方美人な人は、自分の歪みを上手に隠すとともに、自分を好きでいてくれる人を意識的・無意識的に取捨選択しているのだと思う。きっと作者はそういうことはせず、嫌われることを覚悟で自分の歪みをオープンしつつ、誰とでも分け隔てなく付き合う方なのではないか。この潔さに惹かれる。
 
 
 
しあわせを
何かに
たとえ
人に
嫌われよう

 

いわさきくらげ
311p.
 
 シンプルな言葉しか使われていないが、発想が面白く、解釈も難しいお歌だ。しあわせを何かにたとえる、というのはさほど悪い行為とは思えないが、それをすると人に嫌われる、と詠われている。しかも、それを承知で、自分から能動的に人に嫌われようとしているのが面白い。的外れになることを覚悟で、少し突っ込んだ解釈を試みると、しあわせに関するたとえ話をするというのは、おそらくは自分自身がしあわせな状態な時に行う行為だろう。作者自身のしあわせを何かにたとえて話すというのは、失礼だが少しキザな、分かった風な行為であることだろう。人間は妬みっぽい生き物なので、どちらかと言えば他人の幸せより不幸が好きなもの。ゆえに、自分のしあわせを何かにたとえるというのは、そういった人達を敵に回す行為だという自覚があるのだろう。そして、大事なのはそれを自覚した上で、すすんで自分の幸せを何かに喩えようとしている点。一読した時はつかみどころのないお歌だと感じたが、こうして読み込むと、肚の据わった力強いお歌であることがわかる。
 
 
 
よく考えてみると
僕は嘘ばかり
事実は話せても
本心は話せない
自分にすら話せない

 

川越市立高階中学校二年
伊藤雷静
358p.
 
 3、4行目に惹かれた。客観的な事実は話せても、自分の本心は話せないという。作者のことは存じ上げないが、どちらかというと他者とのコミュニケーションの際に、表面を取り繕ってしまい、体裁の良い言葉ばかりを言ってしまうタイプのお方なのかと想像した。会話していても、自分の本心が置き去りになってしまうので、当然それは楽しくないし、ストレスやフラストレーションが溜まってしまう。そういったことを続けているうちに、自分自身でも自分の本心というものが分からなくなってしまう。何とも苦しく、切ないお歌だ。しかし、こういった方は、裏を返せば、空気が読めて、他人を気遣えるやさしい心を持っているのだと思う。どうか、自分のことを卑下せずに、コミュニケーションの中に自分の「ほんとうの気持ち」を少しずつ出せるようになっていただけたら嬉しい。それと同時に、他の誰かの「ほんとうの気持ち」に敬意を忘れないこと。それさえ出来れば、会話というものは楽しく、ストレスが溜まるどころか、むしろストレス解消になることに気が付くはずだ。
 
 
 
人と出会って
成長した人は
別れても
成長出来るはず
がんばれ!

 

中村幸江
368p.
 
 気持ちいいほどの直球!ズバンと心を撃ち抜かれたので、選ばずにはいられなかった。歌のつながりや体裁を無視して、私情が溢れまくっている5行目が最高。進学や就職などの門出に立っている人に向けたエールだろうか。その人の成長を実感し、また、さらなる成長を期待している温かな視点がいい。作者の相手を想う気持ちが十二分に伝わってくる。こんな風に誰かを思えることは幸せなことに違いなく、また、こんな風なエールを送ってもらえる人というのも、幸せな方だと思う。
 
 
 
ドローン
AI
遺伝子操作
蒼い地球は涙袋
幼い女の子一人救えない

 

天野七緖
372p.
 
 スケールが大きく、かつ詩情に溢れ、考えさせられる。とても完成度の高いお歌だと思う。4行目の表現が好きだ。「幼い女の子」が特定の事件の被害者を想定しているのかどうかは分からないが、テクノロジーが進歩する一方で、そういったものの恩恵をまったく受けることなく、絶望的な状況で追い詰められている、か弱い命も多い。テクノロジーは時に人間の心にも影響を与えるものだと思うが、それは果たして良い影響なのかどうか。効率や通り一遍の善悪にばかり固執して、思考停止し、人間性を失う恐れはないか。願わくば、テクノロジーの進歩が、か弱きものを救い、彼らが生きやすくなるような社会であって欲しい。
 
 
 
失敗した
人生であっても
生きることには
なんの
支障もない

 

会沢光子
384p.
 
 誰だって失敗よりかは成功した人生を歩みたいもの。しかしながら、挫折や躓きと無縁で、何もかもが順風満帆である人生などそうそう送れるものではない。誰だって大小の差はあれど、失敗を経て成長してゆく。そんな人生を真っ向から肯定してくれている点がいい。一度も転んだことがない人より、転んでから起き上がった人の方が強くさえあると個人的には思う。もちろん、まったく転ばないというのも素晴らしい才能であると思うが、転んだことのない人は、転んで苦しんでいる人の気持ちが本質的に理解できないのではないだろうか。他人の苦しみに共感できるというのは、多くの人が考えているより、ずっと大切な資質ではないかと、最近強く思う。
 
 
 
(了)