ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

2021年自分的ベストコンテンツ

どうも、ひげっちです。

 

2021年もあとちょっとなので、

毎年恒例の自分的ベストコンテンツを書き記しておきます。

 

音楽・曲

マヨイガ/羊文学


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 2021年も2020年に引き続き、新型コロナウイルスの影響が大きかった一年だった。先の見えない陰鬱な気分になることが多かったように思うが、今年は7月に発表されたこの曲に「救われた」という感覚が強い。本当に何度もリピートして聴いていたし、無謀にもカラオケでも歌ったりもした。サビのところはキーが高くて歌えなかったが。

 

 羊文学は数年前から好きでよく聴いていたバンドの一つだが、最近の作品はどんどん多くの人に開かれた表現になってきているようで、頼もしい。この曲も『岬のマヨイガ』というアニメ映画の主題歌としてタイアップされたもの。静かで優しい曲調が心地よいし、崇高かつ包容力のある歌詞は不器用で未熟な存在をそっと見守って肯定してくれるような温かみを持つ。おそらく今後も自分の中で2021年といえば、この曲を思い出すことになると感じたので選ばせていただいた。

 

音楽・アルバム

RIGHT TIME/butaji

 今年はベストのアルバムを選ぶのにかなり悩んだ。ハナレグミ『発光帯』、折坂悠太『心理』、ROTH BART BARON『無限のHAKU』といったアルバムもかなり聴いていたが、一番まっすぐ胸に響いた作品という点で、このアルバムを選ばせていただいた。

 

 butajiさんのお名前は2020年1月ごろにTwitter上で折坂悠太さんがbutajiさんの『中央線』という曲を紹介していたのを見たのがきっかけで知った。その後、折坂悠太さんとの共作『トーチ』や、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌『Presence』を手がけたことからも注目を浴びているシンガーソングライターだ。

 

 アルバムの中でもSTUTSさんをフィーチャリングしている『YOU NEVER KNOW』と『I'm here』が特に好きだ。軽やかでカラッとしたビートとbutajiさんの温かみのある声質がうまくマッチしていると思う。特に、『I'm here』の以下の歌詞には泣きそうになるくらいグッときてしまった。

 

きっと聴かないでしょう 君は僕の歌を

だから辞めたり 始めたりして

続けることで僕が僕を知れる

伝えることでここにいれる

 

I'm here/butaji

 

 

映画

14歳の栞/竹林亮監督

14-shiori.com

 今年は例年より多くの映画を劇場で観ることができた。そんな中で、一番心に残っているのがこの作品。埼玉県にある実在の中学校2年のクラスの3学期の間、生徒35人全員に密着し、作られた映画だ。

 

 生徒のキャラクターはさまざま。かっこいい生徒も居れば、おとなしい生徒も居れば、恋する乙女も居れば、ハンディキャップを持っている生徒や登校拒否の生徒も居る。観ているうちに、ついつい自分の中学時代を重ねて、クラス内での立ち位置が当時の自分に近かった生徒に感情移入してしまうが、彼もまたクラス内でも映画内でも1/35の存在でしかない。

 

 私は中学時代、心底生きるのがしんどかった。深刻ないじめに遭ったり、登校拒否になったりしたわけではないが、とにかく自分自身をうまくコントロールできずに、自分に対しても周囲に対してもイライラしているところがあった。こんな自分は大人になってもきっとひとつも楽しい事なんて無いんだろうと思っていた。

 

 そんな私がこの映画を観たことで、ハッと気付かされる感覚があった。自分が中学時代に抱えていたモヤモヤやイライラは自分にとってはとても大きなものと感じていたけど、先生や周囲の大人達から見ればごく些細なありふれたものだったに違いない。私自身も1/35のよくある拗らせた14歳でしかなかったのだと。しかも時間が過ぎるのは早く、1年経てばまた次の35人がクラスにやってくる。この映画を観ることで私はしんどかった自分の中学生時代を少し相対化できた気がするのだ。

 

来年もたくさんの大好きなものと出会えますように!

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2020年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 リアル歌会も各地で再開されるようになり、他の用事でも出かける頻度がぐっと増えました。相変わらず転職活動を続けている毎日です。来月までにはそろそろ内定が欲しいところですね。

 

 さて、雑誌『五行歌』2020年10月号のお気に入り五行歌をご紹介します。ご覧いただければ幸いです。

 

 

 

孫たちの誕生日も
病院の予約も
忘れて
どうと言うこともない
日が過ぎて行く
 
村田新平
24p.
 「老い」というものがリアルに感じられるお歌。そこそこ大事な予定を失念するようになってしまうことは、ある程度高齢になるとよくあることなのかもしれない。そんなご自分を責めるのではなく、茶化すのでもなく、淡々と平静に締めくくった後半2行が見事。「老い」というものに対する静かな受容が感じられる。この自然体とも言うべき姿勢は、一朝一夕に身に付くものではないだろう。この境地に至るまでの作者の逡巡や葛藤を想像せずにはいられない。
 
 
 
恋歌は もう
おなかいっぱい
でも ひとつだけ
違う場所に
しまってある
 
宇佐美友見
97p.
 特集「きぼう」より。面白いお歌だ。作者が恋歌はもう食傷気味なのか、あるいはもう恋歌に共感できなくなってしまったのかは明示されていないが、恋歌の熱心な読者ではなくなってしまった今でも、別格として違う場所にしまってあるお歌がひとつだけあるという。非常に読者の興味をそそるのが巧い書き方である。なんとかして、特別扱いしている恋歌をこっそり教えて貰いたくなる。
 
 
 
エネルギーの塊だ
大人はこんなに
大きな声で
こんなに長く
泣くことが出来ない
 
おお瑠璃
122p.
 泣いている赤ん坊を観察してできたお歌だろう。この歌のとおり、泣いている赤ん坊を見ると、どうしてあんなに小さな身体からあんなに大きな声が出せるのかと思うときがある。言語を覚える前の原始的な表現である赤ん坊の泣き声に対して、もしかして我々大人は羨望に近い感情を抱いているのかもしれない。1行目の表現も、赤ん坊や生命そのものへの敬意が感じられて好み。
 
 
 
恵まれ過ぎて
逆に苦労する
若者たち
全人格が
育たない
 
菅原弘助
204p.
 感覚としてものすごく腑に落ちるお歌。筆者はもう若者顔はできない年齢だが、今の時代に生きる若者が苦労しがちであるのは、幼少期に恵まれすぎた環境で育ったことと無関係ではないような気がする。求めるものが何でも与えられる環境では、この歌の言うように全人格は育ちにくいのかもしれない。不自由さこそが工夫や成長を生むというのもひとつの真実だろう。その一方で、もちろん、子供が大切に育てられることに反対なわけではない。青少年が家族の庇護も受けながら、積極的に色々なことにチャレンジすることを手助けし、傷ついたり失敗したりしたときは家族の力も借りながら、またやりたいことに再チャレンジできるような社会になればいいのに、とぼんやり思う。大切に育てられた人間は、他の誰かを大切にできるはず。今の時代の子供たちのポテンシャルを信じたい。
 
 
 
5がある通知表を
初めて受け取ったけど
嬉しくない
線路の上を走るのは
嫌いなんです
 
水源カエデ
244p.
 周りの大人の顔色ばかりを窺い、線路の上をはみ出さないように、おっかなびっくり歩いていた学生時代の自分に教えてあげたくなるお歌。当時の私は通知表に5があると純粋に喜ぶような、今思うと実におめでたい子供だった。一方、作者はすでに通知表の成績が単なる評価の数字であることを理解し、他人からの評価に一喜一憂しない芯の強さを持っている。通知表の成績は進学のためには多少役に立つかもしれないが、社会に出たらほとんど意味を持たないと感じる。4、5行目の力強い言い切りが何とも頼もしい。
 
 
 
今度 生まれてくる時は
また 猫がいい。
猫がいい。
こたつの中で
ピアノを聴こう。
 
マイコフ
245p.
 不思議な魅力を感じたお歌。1、2行目からすると、作者はすでに猫として生まれているらしい。つまりこれは猫目線で書かれたお歌ということになる。この猫は来世も猫に生まれたいと感じ、4、5行目から察するにどうやら人間に飼われている猫という立場を望んでいるようだ。こたつの中で猫が小さなピアノを弾いているところを想像して、絵本の世界に迷い込んだような気分になる。わりと荒唐無稽な世界観であるのに、不思議とすっと受け入れてしまうような人懐っこいお歌だ。筆者が猫好きであるという点を差し引いても、魅力的なお歌であることは間違いない。
 
 
 
いっぱい送ったのに
一行しか返ってこない
LINE
穴が開くほど
見つめる
 
衛藤綾子
260p.
 恋歌だと受け取らせていただいた。離れて暮らしている家族からのLINEの歌という読みもできるとは思うが、4、5行目から感じる熱量はやはり想いを寄せる方からのLINEだからこそと思いたい。現代で恋をしている人なら誰もが多かれ少なかれ同じような経験をしたことがあるのではないだろうか。片想い等で、LINEの送り手と受け取り手の熱量に差があるとき、このお歌のようなことが起きやすい。相手の短い返信の意図をあれこれ想像したり、絵文字やスタンプの意味を真剣に考えたり、恋をしている人は何かと疲れる。作者の恋がどうか両想いであることを願う。
 
 
 
(了)
 

雑誌『五行歌』2020年9月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 新型コロナウイルス感染拡大の第5波は急激に収束しつつあります。少しずつ以前の日常を取り戻しつつある方も多いのではないでしょうか。最近は、転職活動が本格化してきて、説明会や面接によく行っています。いい職場と巡り会えることを願っています。

 

 雑誌『五行歌』2020年9月号のお気に入り五行歌たちです。ごゆっくりご覧ください。

 

 

よく
見知ったラベルを
貼り付けて
安心したい
ひとたち

 

井椎しづく
34p.

 ひとは理解できないものや未知のものに恐怖を覚える。だから、それらに見知ったラベルを貼って一括りにし、理解した「つもり」になって安心しようとする。例えば、仕事をせず、学業もせず、結婚もせずに生活している人達のことを「ニート」と呼んだりするが、そのような状態になっているのは人それぞれの事情があるのにも関わらず、傍から見るとその人のイメージは「ニート」という語句の持つイメージで固定されてしまう。ただ、これはその人自身を深く知る術がない人達にとってはある意味仕方の無い部分もある。一方で、家族や友人など近しい人達からも同じようなラベル付けをされると、ご本人としては辛いに違いない。そんなことを考えさせられたお歌だった。

 

 

 

ハーネス脱いだ
盲導犬
鼻をくんくん
尻尾をふりふり
忽ちやんちゃな犬の顔

 

よもぎ
37p.

 この場合のハーネスというのは使用者が盲導犬をコントロールするために犬の胴体に装着する器具のこと。ハーネスを脱いだ盲導犬はどこか、スーツを脱いでオフのモードに切り替わったサラリーマンにも重なる。後半3行の表現がそんな盲導犬の様子をありありと伝えていて魅力的だ。1行目の「を」の助詞の省略や、5行目の「忽ち」の漢字表記から、発語したときのリズムや見た目の文字数にもこだわりが感じられる。

 

 

 

来世は末っ子
ぶっ飛んだ生き方
してやる
親に言えない
長女の誓い

 

中島さなぎ
45p.

 来世のことを詠った歌が好きだ。自作にも何首か来世のことを詠った歌がある。来世のことは、すなわち「ありえないこと」なので、無責任に何を詠っても許されるところが魅力ではないかと思う。「ありえないこと」を前提に、今世での純粋な願望を詠う。それを仮初めの希望にして、また今世を生きる力に変える。このお歌もまさにそういう作品ではないかと思う。ぶっ飛んだ生き方をするという力強い宣言をした後に、親への心遣いをすっと織り込むところが長女ならではという感じがして、このお歌を味わい深いものにしている。

 

 

 

関西人で
よかった
ぼちぼちいきます
って言える
心療内科

 

衛藤綾子
96p.

 特集「わたしをわたしにしてくれる」より。「ぼちぼちいきます」を標準語で言うと「ほどほどにいきます」とかになるのだろうか。意味はそれほど変わらないとは思うが、「ほどほど」は「ぼちぼち」より堅苦しい感じがする。やはり、心療内科の先生に対して言うには「ぼちぼち」の方が、自分に対してもあまりプレッシャーを掛けずにいい感じでやれそうな雰囲気がある。実感として腑に落ちるお歌だ。

 

 

 

逢えないとわかると
逢いたくなる
いつも逢える時は
そんなに逢いに
行かないくせに

 

杉本浩平
149p.

 コロナ禍での大切な人との交流について詠んだ歌だと解釈した。筆者も家族や友人と外出や会食をする機会がコロナ禍で激減したが、なくなってみて初めて、それらの時間が大切なものだったと気付いたところはある。人間というものは「やっちゃダメ!」と禁止されると、逆にそれがしたくなるものなのかもしれない。

 

 

 

詠んでも
読んでも
癒される
五行歌
名カウンセラー

 

静(せい)
160p.

 特集「鹿屋五行歌サロン」より。筆者は五行歌だけでなく、短歌も嗜んでいるが、詩歌全般にこのお歌のようなことは言えるのではないか。歌を詠むことにより、自分でも気が付かなかった感情や想いを知ることができ、そういった感情や想いを吐き出すことで、それらを客観化することができる。また、ある種の浄化作用も得られるというのが、私の個人的な実感だ。一方、他人の書いた歌を読むことで、他人の人生の疑似体験できたり、今までとは少し違う物の見方が得られたりする。一度もお目にかかったことのない方のお歌で感動することもある。五行歌の魅力を端的に表されたお歌だ。

 

 

 

眼裏に
蒼い波
とぷん と
あたしの解凍が
はじまる

 

小沢 史
171p.

 歌意はなかなかに難解だ。的外れになるのを覚悟で書くならば、涙を流している時のお歌と思って読んだ。瞼から涙があふれ出てしまい、そのことによって、凍り付いていた作者の心・感情が解凍されつつあるのだろう。「蒼い波」という表現が巧みであるし、「とぷん」というオノマトペも効いている。完成度の高い名歌だと思う。

 

 

 

このように
生きよう
と思えば
そのように
生きられる

 

鳥山晃雄
198p.

 達人の極意のようなお歌だ。実際に理想とする生き方を行動に移さずとも、「このように/生きよう」と思うだけで、もう「そのように/生きられる」という。正直、今の筆者には本当にそうだったらいいな、と半信半疑で思うことしかできないのだが、歳を重ねればいつか実感を伴ってこのお歌の詠っていることが解るようになるのだろうか。時が経ってから答え合わせのようにまた読み返してみたいお歌だ。

 

 

 

トンネルの
向こう
半円に
燃える
炎暑

 

衛藤加洋
235p.

 少ない文字数で、的確に景色を切り取っている。トンネルの反対側の景色が暑さで逃げ水のように揺らいでいる様子が目に浮かぶようだ。「炎暑」という言葉の置き方も巧みだと思う。筆者は叙景歌が苦手なので、こういうお歌が詠める方に憧れてしまう。

 

 

 

人でなしで終わる
一日の戒めに
硬い、硬い
スルメの身を
ひたすらに噛む

 

数かえる
241p.

 「人でなしで終わる一日」という把握がまず凄い。作者には「今日の自分が人でなしだった」という自覚があるのだ。そんな一日と取り合わされているスルメが文字通りいい味を出している。「硬い、硬い」という読点で繋げられた形容も、スルメの身の硬さをより強調し、その硬さを作者が確かめながら味わっているような趣きを出すことに成功している。こうした自省を行っている作者には、きっと立場や役割上、人でなしにならなければいけない事情があったのではないか、と推察する。大人ならではの悲哀が感じられて大好きなお歌だ。

 

 

 

このまま
死んでも良い
という前提で
どう
生きるか

 

吉田保
251p.

 筆者も人生のだいたいを味わい尽くしたような気になって、前2行のような気持ちになるときがある。自分の人生にある程度満足している証拠なのかもしれない。しかし、このお歌はそれはあくまで、「前提」であり、その上でどう生きるかが大切なのだと主張する。ある程度、歳を重ねた者にこそ響く熱いメッセージのあるお歌だと思う。

 

 

 

人生とは
自分が主演、監督
演出、メイク
スタントマンを務める
作品

 

からし
263p.

 面白いお歌だ。人生は何でも自分でやらなくてはいけない、ハードな作品だというのが一読した感想であったが、よく読むと、「脚本」や「撮影」は含まれていないことに気付く。つまり、人生の筋書きは自分で決められるものではなく、また、人生をどういったカメラワークでどのように記録するかは自分のあずかり知らないものだという主張も感じ取れる。個人的には4行目「スタントマン」が入っているところが気に入っている。人生には身体を張らなくてはいけない、という実感が感じられる。

 

 

 

愚痴を吐かない人は
大きな石臼を
持っている
ゆっくり擂り潰し
消化している

 

長谷川明美
334p.

 2行目「大きな石臼」の表現に惹かれた。イヤなこと、気に入らないことがあったときに一喜一憂して、ギャーギャーと騒ぎ立ててしまう筆者なので、この作品の「愚痴を吐かない人」に憧れてしまう。穏やかな人の心の動きが丁寧に描写されている。「擂り潰し」が漢字表記になっているところもこだわりが感じられて好み。

 

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2020年8月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 すっかり間が空いてしまいました。コロナ禍&無職でいくらでも時間はあったはずなのですが、遊びほうけていました。前回の更新以降、スマホが壊れて買い替えたり、ワクチン2回打って副反応に悶えたりしていました。

 

 一年以上前のお歌達ですが、名作揃いです。どうかお付き合い下さい。

 

黒澤映画を見ると

昔は本物の大人が

いたなあと思う

今は大人の顔をした

子供ばかりだ

 

杉本浩平

5p.

 「大人の顔をした子供」の自覚がある私としては耳が痛いお歌。黒澤映画は代表作を何本か見た程度だが、彼の登場人物たちに在って、今の現代人に無いものとは何であろうか?私は一言で言うなら、「覚悟」だと思う。危機に瀕した際、我が身を犠牲にして、次代を生かそうとする姿勢。そういった覚悟が現代人には足りない気がする。しかしそれは裏を返せば、現代がそういった覚悟を持つ必要の無い、平和な時代であることの証左とも言えるだろう。今の平和が脅かされた時、現代人の持つ本当の顔が見えるのかもしれない。

 

 

 

母が息絶えた夜

こんなに悲しいのに

腹が減る

みんな泣きながら

おにぎりを食う

 

鮫島龍三郎

7p.

 どんな時でも腹は減る。最愛の人を亡くしたその日でも、お腹は空くのだ。生きていくことのある種の「しぶとさ」「みっともなさ」がよく表されている。みんなで食べるのがおにぎりというところもいい。ここは、お寿司でもサンドイッチでもダメだ。生活感と日常性を感じさせるおにぎりでなくては成り立たない。残された者たちの人生はこれからも続いてゆく。力強い生命賛歌のお歌だと思う。

 

 

 

 

真の

団らんのない

家に

三つの

 

紗みどり

12p

 3人のご家族が暮らしている家のことを詠んだお歌だろうか。家庭に真の団らんはないと言い切り、ご家族のことを「個」というどこか突き放した感じで表現されているところが魅力だと感じた。「真の団らん」がないという表現は、逆説的に「偽りの団らん」が存在していることが窺える。つまり、ご家族3人の仲は言い争いの絶えない状態と言うより、むしろ少なくとも表面上は仲良く暮らしているのではないかと推察できる。しかし、救いがないのは作者がそれを「真の団らんではない」と認識している点だ。ご家族の間に何があったのかは知る由もないが、現状を書き切る姿勢に迫力を感じたお歌だった。

 

 

 

 

書物にもぐり込んでいて

ことばまみれの私が

白昼の巷を

よろめきながら

歩いていく

 

柳瀬丈子

48p.

 作者が読書に夢中になるあまり、どこか頭でっかちになってしまい、一時的に現実の世界に上手くフィットできない感覚に陥っているように読んだ。その状態を表す言葉として、2行目の「ことばまみれ」が実に巧く、効いている。後半3行も、眩しすぎる昼間の街の、どこかクラクラする感じが表われていて好みだった。

 

 

 

 

93歳の母のもとに

90歳の叔母のお見舞い

手を取り合って

顔のシミの話をしている

え!? そこ? シミの話?

 

倉本美穂子

52p.

 ご高齢の母と叔母。2行目にお見舞いとあるので、おそらく母は入院されているか、少なくとも体調を崩されているのだと推察できる。お見舞いにやってきた叔母と母が手を取り合って話をしており、その話題が顔のシミの話であるという。この意表を突かれるリアリティにやられた。5行目に作者自らがツッコミを入れていることもあり、読者は可笑しく感じてしまいつつも、笑うのが若干不謹慎に感じられてしまう。絶妙な感情を呼び起こす、珍しいタイプのお歌だ。

 

 

 

 

別れ際に

そんなこと言うから

ここで

傘の滴を

見送っている

 

紫野 惠

135p.

 別れ際の相手の一言に呆然としてしまい、立ち尽くしてしまっているのだろうか。どんな一言だったのかが非常に気になる、思わせぶりな書き方で魅力を感じる。4、5行目の表現も好きだ。雨中の光景であることがさりげなく描写され、読者の想像力を掻き立てる。

 

 

 

 

裏返しで

生きている

そんな気がする時がある

何の裏返しか

忘れてしまったが

 

甲斐原 梢

143p.

 作者がときおり感じる「生」に対する違和感を的確に、軽妙に表現されている。洋服を裏返しで着るように、裏返しで生きているような気分になる時があり、しかも、それは何の裏返しかも忘れてしまった、という。元々は「裏返しでない」=「表向き」の生き方があったが、現在はその「表向き」とは真逆の生き方をしているような気がする、しかも、元の「表向き」の生き方もどんなものか忘れてしまった、といった解釈することが出来るだろうか。こうして書くとずいぶん救いのない状況だと感じるが、それでもこのお歌には、「自分も同じかもしれない」と感じさせる力があるように思う。

 

 

 

 

立った言っては喜び

歩いたと言っては

喜んだのに

いつか他の子と

比べ始め

 

憂慧

167p.

 子供が生まれたばかりの頃はささやかな成長を感動しながら喜んでいたのに、大きくなるにつれて「言葉が早い/遅い」「自転車に乗れる/乗れない」「勉強ができる/できない」などといった点を他の子供と比べてしまう親の残酷な性(さが)と、比べられる側の子供の辛さの両方を代弁してくれているようなお歌。ここからは親になったことのない私の想像でしかないのだが、親という生き物は、子供に対しての「存在そのものの肯定」はベースとして持ちつつ、自分の子を社会の中で一人前に育てないといけないという責任感から、子供が成長するに伴って、他の子と比べて優れている所/劣っている所がないかについて、一喜一憂するようになるものなのではないか。子の出来/不出来は親の自尊心に直結しやすいため、前述の「存在そのものの肯定」がたまに疎かになり、「優れていなければ存在を肯定されない」子供もたまに散見されるように感じる。迷ったときに原点に立ち返るのは大事。親子関係に悩む方々にヒントをくれるお歌ではないだろうか。

 

 

 

 

初給料を

在宅勤務で

いただく

孫のふくざつな

笑顔

 

木村斐紗子

198p.

 とても現代的なお歌。新型コロナウイルス感染拡大のため、大学を卒業して新社会人になってもほとんどオフィスには出勤せず、もっぱらテレワークで仕事を教わる新入社員もいると聞く。このお孫さんも同じような状況らしく、在宅勤務がメインのまま、初めてのお給料をいただいたという。嬉しく、誇らしくもあるが、どこか不完全燃焼であるような複雑な気持ちを4、5行目が上手く表現していると感じる。

 

 

 

 

乳児の目の

光る

湖に

漂う

安心

 

小原淳子

209p.

 不思議な雰囲気のあるお歌。5行全部に無駄がなく、効果的なことがまず好印象。前半3行の「乳児の目に光る湖」という表現に惹かれる。乳児は成人に比べて身体に水分が多く、その目も潤みがちでキラキラしていることが多い印象がある。そういった乳児の目、あるいはそこに溜まっている涙を「湖」に喩えたところが面白い。涙がしょっぱいことや、生命の起源は海であることなどから、この場合「海」に喩えた方が読む方の納得感は増す気もするが、その分既視感のある歌になってしまっていたのではないか。後半2行のまとめ方も好きだ。人間が子をなし、命のリレーが続いていくことへの温かい安心感のようなものが感じられる。

 

 

 

 

まるで

賽の河原の鬼のようだ

消毒のため

子らのレゴブロック作品を

バラバラにする

 

仁田澄子

214p.

 コロナ禍でお子さんを感染させまいと奮闘している作者の様子が窺える。お子さんが作ったレゴブロックの作品を消毒のため、バラバラにするという。念入りな消毒のためにはやむを得ない行為だとわかっているものの、せっかくのお子さんの作品を解体してしまうのには、罪悪感が伴うのだろう。そこで自らのことを、子供が石積みをするとそれを壊すという、賽の河原の鬼になぞらえている。この比喩がとても魅力的だと感じた。ただ、賽の河原の鬼は子供を苦しめるために石積みを壊しているが、この作者はお子さんの安全のためを思ってブロックを壊し、消毒している。行為の外見は似ているかもしれないが、目的は大きく異なる。作者には、「こんなに子供想いの鬼はいませんよ」と言ってあげたくなる。

 

 

 

 

そんなもの

ぼったくりバーに

並んでいる

 

いわさきくらげ

266p.

 面白いお歌だ。「愛」=「ぼったくりバーの瓶」だと、このお歌は主張する。ぼったくりバーというのは、サービスに見合わない高額な代金を請求される飲食店のことを指す。そこに並んでいる瓶、というのは2通りの解釈が出来そうだ。ひとつは、お客に普通に提供するためにカウンターなどに並んでいるお酒の瓶という解釈。もうひとつは、常連客がボトルキープしているお酒の瓶という解釈。どちらの解釈でも、「愛とは、それに見合わない対価を払わないと飲ましてもらえないお酒のようなもの」という作者の世界観が読み取れるところが好きだ。愛に対する不信感・警戒感を隠さない。愛を「そんなものどこにもない」と全否定するのではなく、「あるところにはあるけど、あえて自分で手に入れようと思わない」という作者の姿勢はとても誠実だと思う。

 

 

 

 

大黒摩季

「夏が来る」を

聞きながら

のりのりでつくる

かぼちゃの煮物

 

加藤温子

272p.

 歌手の大黒摩季さんは、世代ど真ん中なのでいくつかの楽曲はサビだけならソラで口ずさめるくらいには聴いてきた。代表曲「夏が来る」は夏の到来を心待ちにする女子の気持ちを歌った名曲なのだが、その曲を聞きながらのりのりで「かぼちゃの煮物」をつくっているという。楽曲の持つワクワク感のあるイメージと煮物という生活感のある言葉のギャップ、そして、大黒摩季という絶妙に懐メロになりつつある世代の歌手の組み合わせにグッときた。なんとなくではあるが、こうしてつくられたかぼちゃの煮物はとても美味しそうに思える。

 

 

 

 

きつく

しかられるより

だまって

ゆるされたほうが

ききます

 

村橋ひとみ

290p.

 真理を突いている類いのお歌。全部ひらがなで書かれているのも、この場合、小さい子供に言い聞かせているような雰囲気も感じられ、効果的だと思う。悪いことをして、きつく叱られるのは誰でもイヤなことだ。だが、悪いことをしたはずなのに、どこが悪かったのか指摘を受けず、何も言われずに許されたほうがしんどい、とこのお歌は主張する。おそらくは、作者は自分が悪いことをした時、怒られないと逆に居心地の悪さを感じるタイプなのだろう。確かに、そういったケースもあるとは思うが、世の中には意外と「悪いことをしているのに、自分ではそれが悪いと思っていない」というタイプも居る気がするので、そうした方々にはこのお歌のような心情は当てはまらないのかもしれないとも思った。

 

 

忘れたいこと

忘れたくないこと

ウイルスは

私のそばで

遊んでる

 

田村深雪

293p.

 コロナ禍を詠ったお歌は本誌に溢れているが、このお歌は独特の手触りを感じて好みだった。ウイルスを小さな家族やペットのように描写している後半3行がどこか達観したような味わいがあって魅力的だ。社会も世界も目に見えない小さなウイルスに一喜一憂し、踊らされている中で、作者の動じない、腹の据わり具合には憧れる。心や魂は、危機に瀕した時にその性質が明らかになるものだと思う。作者のような境地までいつか辿り着きたいなと感じる。

 

 

(了)

 

雑誌『五行歌』2020年7月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 前回の更新からずいぶん間が空いてしまいました。この間、ひげっちは勤めていた職場を退職したり、オンライン短歌会に参加したり、ごいたオンラインしたり、枡野浩一さんの著書を読みあさったり、人生最高体重を記録して慌ててダイエットを始めたりしていました。

 

 私に職が無いのも、金が無いのも、スマートな身体が無いのも、全部コロナの所為だ。

 

 と、現実逃避はこれくらいにして、雑誌『五行歌』2020年7月号のお気に入り作品をご紹介します。

 

 

話をする
かみ合っても
かみ合わなくても
楽しい
 
塚田三郎
22p.
 「わかる!」と大声で叫びたくなるようなお歌。好きなことの話をするのは楽しい。相手と会話がかみ合えばもちろんのこと、かみ合わなくても、相手の自分の違いなどが分かったりして、それなりの楽しみがあるものだ。この歌を読んで、歌会と歌会の二次会が恋しくなった。コロナ禍が落ち着いたら、大いに五行歌の話がしたい。
 
 
 
昔は良かった
と言える
過去なんか無い
いつだって
手ぶらの旅は続く
 
金沢詩乃
51p.
 振り返って郷愁に浸るような過去をハナから持っていないという力強い宣言。作者は女性であるので適切な表現ではないかもしれないが、とても「男前な」お歌であると思う。手ぶらであるというとは、身軽でもあり、その手にまだ何かを掴む可能性を秘めているということでもあろう。旅の行く末に希望があることを願う。
 
 
 
少年よ
孤独なら
自立をしたということだ
大人たちよ 孤独なら
みんな仲間ということだ
 
三隅美奈子
73p.
 「孤独」が少年にとっては成長の証であり、大人たちにとっては連帯の条件であるという。「孤独」をそういうものと捉えている作者の感性がとても良いと感じた。前に歌会でとある方に言われたことがあるのは、「孤立」は一つの状況であり避けるべきものであるかもしれないが、「孤独」はもっと個人的なものであり、共存すべきものである、ということ。孤独と向き合い、受け入れて、それと共に生きてこそ一人前ということだろう。
 
 
 
定期試験の
平均点
言い換えれば
教え方の
点数
 
島田正美
82p.
 視点を変えることにより、面白い歌が生まれる好例だと思う。試験の点数というのは、生徒個々人の努力の結果であると思われがちだが、教師の目線で見れば、自身の授業のわかりやすさの指標でもあるだろう。努力が求められるのは双方とも同じであり、授業というものは決して一方通行なものではないのだ(中には一方通行な授業もあるかもしれないが)。学生時代にこういったことに気付けるような心の余裕が欲しかったな、と思う。
 
 
 
何を見ながら
生きてゆくのか
そこを
間違えなければ
たぶん大丈夫だ
 
川原ゆう
136p.
 どなたかに呼びかけているような文体に惹かれた。最近、「見る」ということの持つ力は実は凄いのではないか、と考える。「百聞は一見にしかず」という諺もあるとおり、「見る」ということは、他人からの伝聞や文字による伝達よりもはるかに生々しい、リアルな情報をインプットすることができる。野球選手になりたい少年は一流選手のプレイを見たがるだろうし、落語家になりたい少年は寄席に行きたがるだろうし、ノーベル賞を取りたい少年はノーベル賞受賞者がいる大学に入りたがるだろう。「何を見るか」の選択は、実は自分の将来や目標の選択に他ならない。見たいものを見て、なりたいものになる。シンプルで大事なことに気付かせてくれたお歌だ。
 
 
 
「元気」を断つ
「人生」を捨てる
「宇宙」から離れる
これでまた
少し笑える
 
山川 進
198p.
 1~3行目に「断捨離」という言葉が隠れている。何を、断ち、捨て、何から離れるのかの選択が実にユニークだ。まず、いきなり「元気」を断つ、という。それを断つなんてとんでもない!とツッコミが入りそうだ。某プロレスラーではないが、「元気があれば何でもできる!」のではなかったか。困惑しているうちに、次は「人生」を捨てるという。えー!ダメダメ!「人生捨てたもんじゃない」が座右の銘である方だって居るだろうに……。とどめは、「宇宙」から離れる、という。未だかつてこの地球上に産まれ落ちた生命で、宇宙から離れて存在し得たものがあっただろうか……。と、銀河系レベルの断捨離について想いを馳せていると、4、5行目のこの締めくくり方である。作者にとっての断捨離は、常識や先入観、世間一般で良いとされているもの、当たり前とされているものから自由になることを意味しているのだろうか。実に面白くて奥深い。傑作だと思う。
 
 
 
強いリモコンが
あれば
早送りして
何事も無かったように
再生したい
 
小鳥遊 雅
272p.
 もし人生が録画されたテレビ番組なら、コロナ禍の現在は退屈すぎて早送りしたいほどの毎日だということだろうか。「強いリモコン」という言葉が絶妙だ。あるはずのない、ドラえもんひみつ道具みたいなリモコンなのだろうが、ここに説明的すぎる言葉を持ってくると、変に小難しくなってしまって、お歌の訴求力を削ぐことになりかねない。お歌の持つメッセージには大いに共感する。コロナ禍の終わった未来まで一気にワープしたいと願いながら、毎日マスクをして、手を洗い、うがいをして早寝早起きをしている。強いリモコンが心の底から欲しい。
 
 
(了)

雑誌『五行歌』2020年6月号 お気に入り五行歌

 こんにちは。ひげっちです。

 

 コロナ禍がグズグズと続いていますが、皆さまお変わりないでしょうか?ペースが遅くなっておりますが、雑誌『五行歌』2020年6月号のお気に入り作品をご紹介します。

 

 

 

この時を
見ておけ
この時に
どう生きるか
見ておけ
 
夕月
6p.
 コロナ禍に、家族が、友人が、隣人が、同僚が、政治家が、どう振る舞ったかに刮目せよ、という意味だと受け取った。危機に際して、その人の本性が露わになる、とは昔から言われていること。コロナ禍は確かに大きな困難ではあるが、反面、身近な人達や国政に携わる人達がどういう人間なのかを解らせてくれる側面もあると思う。もちろん、彼らとの分断を生むリスクもあるので、一概に良い面ばかりとは言えないが、とても大切なことに気付かせてくれたお歌だ。
 
 
 
録音をすると
自分が
全部見える
きつい声
自信のない声
 
石川珉珉
16p.
 ごくたまに、自分の声を褒められることがあるが、筆者自身はこの歌と同じように、自分の声や喋り方があまり好きではない。自分に自信の無い捻くれ者なので、「良い声しているね」という褒め言葉も、「他に褒めるところがないから無理して褒めてくれているんだな」くらいにしか受け取れない。そのことをこうして文章に書いていても自分で「何だコイツ、偉そうでイヤな奴だな」と思う。要は、自分を客観的に見ると、粗ばかりに気付いてしまうのだ。そこに大いに共感した。
 
 
 
こんな時こそ
大盛り定食
命の
しぶとさを
噛み締めろ
 
金沢詩乃
60p.
 大好きなお歌。作者ならではの反骨心というか、気概のようなものが滲む後半三行が秀逸。心身ともに疲弊してしまう時代ではあるが、いつの時代も、しぶとく生き残るには食事と睡眠をしっかりとることが基本である。あ、でも筆者はダイエット中なので、ご飯は小盛りでお願いします。
 
 
 
母から
送られて来る
写真のピントが
少しずつずれて来る
寂しさ
 
高原郁子
74p.
 離れて暮らしているのであろう、母親の「老い」を送られてくる写真のピントで知るという、リアルな気付きが歌に説得力を与えている。五行目からは、母親のことを案じながらも、寄り添ってあげられないもどかしさ・悔しさも感じる。確かな余韻の残る良歌だと思う。
 
 
 
現実は
肯定する
出来ないことは
夢にする
私にストレスはない
 
塚田三郎
 一読して、見習いたいと感じたお歌だが、なかなかこの境地には行けない。まず現実を肯定し、対処できないことは夢にカテゴライズするという、この竹を割ったような潔さに惚れ惚れする。ちょっと「夢」という概念を都合良く使いすぎなような気もするが、確かにこういう風に思えたら、ストレスとは無縁だろうな、と羨ましく思う。
 
 
 
国家は
冷淡なのだ
判らせるために
そのウイルスは
やってきた
 
佐藤沙久良湖
165p.
 ウイルスによって国家の冷淡さが浮き彫りになったのではなく、国家の冷淡さを判らせるためにウイルスがやってきたのだという、逆説的な視点が面白い。夕月さんのお歌と同じように、コロナ禍を良い教訓とせよ、というメッセージも感じる。こうした名歌が生まれるのもコロナ禍の一つの副産物。
 
 
 
人間は
何のために
努力するのか
それは結局
怠けたいからだ
 
庄田雄二
187p.
 努力の究極の目的は怠けることだと、このお歌は言う。確かに、現役世代の時に一生懸命働くのは、老後に悠々自適の生活を送るためだったりするだろうから、納得できる部分はある。しかし、どこか反論したくなるというか、「それだけじゃないのでは」という想いが湧いてくるお歌でもある。たとえば努力をするのは、「自身の成長」や「他人・社会への貢献」のため、といった側面もあるかもしれないが、いかにも表面的で嘘っぽい。直感ではあるが、このお歌の方がより真理に近いように感じてしまう。努力とは何か、について考えさせられたお歌。
 
 
 
自分を責めて
満足するな
心を
開いて
包み込め
 
川岸 惠
188p.
 なんだか自分のことを詠われているような気がして、ドキッとしたお歌。「自分のことをこんなに貶めてますよ」「勘違いはしていませんよ」というアピールのような歌ばかり書いている筆者にとっては、刺さる表現だった。自分を責めるというのは、難しいようでいて、実は蜜の味である。自分に責められてしまうような自分自身であるのだから、本来は全然ちゃんとしていないのに、日本人は謙虚な人が好きなので、へりくだって自分のことを悪く言う人を「ちゃんと自覚がある人」みたいに認めてしまう傾向があると思う。後半三行の響きは優しいのに、私には辛辣に響く。こうありたいとは願うものの、中々難しい。
 
 
 
初心は
すべて意義あるとは
限らない
戻りたくない
初心もある
 
三好叙子
190p.
 初心に戻ることの大切さはよく言われるところである。何かを始めたきっかけや目標など、純粋な気持ちを忘れてはいけないということだろうが、人が何かを始める際、必ずしも純粋な気持ちばかりが動機とは限らない。邪な感情や不純な想いが動機になっていることも充分有り得るだろう。この歌の良いところは、動機が何であれ、何かを始めること自体は良いことなんだよ、と肯定してくれている感じがする点だと思う。
 
 
 
雨雲が
ぐんぐん押し寄せてくる
もうすぐ もうすぐ
さあ いまです
泣きます
 
ゆうゆう
194p.
 自分で自分を実況中継しているかのような、不思議で魅力的な文体。雨雲は、不安や泣きたい気持ちの比喩と思って読ませていただいた。泣きたい気持ちが自分ではコントロールできずに押し寄せてきて、泣いてしまう様を詠っているのだが、四、五行目の「ですます調」が、どこか自分を突き放しているような印象を受けるのも相まって、歌全体の独特の味わいを生んでいると思う。
 
 
 
 
(了)

雑誌『五行歌』2020年5月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。
 
 なんと、前回からたった4日で本誌を一冊読み終え、お気に入りの作品を選ぶことができました。やればできる!
 
 というわけで、雑誌『五行歌』2020年5月号のお気に入り作品をご紹介させていただきます。
 
 
 
 
いろんなことを
にこにこ
こなして
いくのが
おとな
 
永田和美
10p.
 シンプルかつ大事なことを簡潔なことばで書かれている。作者ならではの凄味というか説得力があり、読んでいて「そうだよな、大人ってそういうもんだよな……」と納得させられてしまう。前提として、大人には色々大変なこともあるという、シビアな現状認識があり、それでも辛い顔を見せずに、それらをにこにこしながらこなせ、と主張する。どちらかというと、「そのようにありたい」という理想というよりも、作者は実際そうしてきた、という自負のようなものも感じられるところが好きだ。
 
 
 
 
数学も物理も
解りやすく
教えてくれた兄が
介護はしないと
言い切る
 
ひまわり
33p.
 四、五行目のお兄様の言動について、作者がどう感じたのか、どういう気持ちになったのかが直接書かれていないところが巧み。代わりに、お兄様との思い出が事実として述べられているだけなのだが、これが余白と余韻を生んでおり、お兄様のキャラクターや介護はしないと言ったときの言い方などについて読み手の思いが膨らむような歌の作りになっている。
 
 
 
 
浮かんだ歌は
一首たりとも捨てない
なんて思うからしんどい
歌は思っていれば
また浮かぶ
 
塚田三郎
34p.
 生活していて、ふと浮かんだ歌のアイディアを、メモに取る前に忘れてしまうときがある。そんな時は「逃がした魚は大きい」状態で、忘れてしまったことを後悔しがちであるが、最近は自分の中で「忘れてしまったアイディアは所詮その程度だったということ」と思うようにしている。少し方向性は違うかもしれないが、このお歌も同じようなことを言ってくれている気がして共感した。作者のようにゆったりとした気持ちで歌と向き合いたい。
 
 
 
 
捨て猫を迎え
パパ ママと
呼び合っていた
子を亡くした妹夫婦
おかしいですか
 
つるばみ
41p.
 思わず「何もおかしくはないですよ」と応えたくなるお歌。五行目の呼びかけが効いている。作者は妹さん夫婦のことをどなたかに「おかしい」と言われたのだろうか。私の感覚では、おそらくその人に何の迷惑もかけていないのに、他人の痛みを知らずに簡単に「おかしい」と言ってしまえるその人の方がよっぽど「おかしい」と思う。
 
 
 
 
勘違いから始まる
思い上がる
己惚れる
そして自滅
それさえも気付かない
 
井上澄子
153p.
 五行全てが痛烈。この痛烈さは作者ご自身に向けられたものなのか、あるいは、特定のどなたかに向けられたものなのか。作者に聞いてみないとわからないが、筆者はどこか自分のことを言われているような気がして、ドキッとした。読んでいて同じような感覚に陥った方も多いのではないか。また、何度か読み返すうちに、この勘違いしている主体は割と幸せなんじゃないかと思えてきた。「自滅」とあるからには、もしかすると周囲に何らかの迷惑をかけているのかもしれないが、本人はその事にも気付いていないのである。鈍感、無神経も極まるとハッピーなのかもしれない。
 
 
 
 
切実な
理由のない人ほど
もて遊ぶように
死の
話をする
 
種村悦子
168p.
 「種村悦子 遺作集」より。生前の交流は無かったが、遺作集のお歌は目を見張るものが多かった。一度で良いから生前にお目にかかってみたかった。本作は生と死について、人一倍向き合ってきた方でないと書けない類いのお歌だと思う。筆者も生と死をテーマにして歌を書くことがあるが、そこに切実な理由があるかと問われると、怪しいものだ。生死をテーマにするなら、本当に死と向き合っている人に失礼に当たらないような作品を書かなくてはいけない。良い戒めをいただいたお歌。
 
 
 
 
諦めなさい
わたしの想いは
もう
君の中に溶け込んで
君を励まし続ける
 
伊東柚月
182p.
 これは愛の歌である。しかもとびきり濃い愛の歌だ。お子さんに向けた歌だと解釈した。なんと言っても、一行目がインパクト大。お子さん本人がどう思おうが、どこへ行こうが、そんなことは関係ない。作者の想いはもう、お子さんと一体になり、お子さんを勇気付けるのだ。これほど重い愛の歌があろうか。ものすごく伝わるものがある一方、お子さんサイドからするとちょっと重いのでは……と邪推してしまった。あ、歌としては大好きです。念のため。
 
 
 
 
どちらともなく
こころ離れ
どちらとも寂しい
でも
まだ ふたりでいる
 
村松清美
184p.
 
 夫婦関係のお歌だと解釈した。温度を感じない反面、ある意味で強固な結び付きを感じる、不思議な関係を詠われていて惹かれた。五行目の「まだ」は希望か、妥協か。色々な読み方ができるお歌だと思う。
 
 
 
 
心の底から
笑っている
君の肖像画
僕の胸には
飾ってあるよ
 
渡良瀬流馬
202p.
 「渡良瀬流馬 遺作集」より。作者とは生前何度か歌会でご一緒させていただいた。当時五行歌を始めたばかりの筆者に、気さくに声をかけてくださり、筆者の歌にも嬉しいコメントを寄せていただいたことをよく覚えている。それだけに、突然の訃報には驚いた。どちらかと言えばシニカルなお歌が多いイメージであったが、このお歌が特に好きだ。筆者は、作者のことをとびっきりのロマンチストであったと思っている。理想が高い分、自分に向ける視線もまた厳しくならざるを得ない。故に周囲からは自虐的、皮肉屋のようなイメージを持たれていたのではないか。このお歌のような作品をもっと読みたかった。早すぎる逝去が残念でならない。
 
 
 
 
「家に帰って
家にいなさい!」
家のあることが
大きな幸運なのだと
知る人は少ない
 
佐藤沙久良湖
211p.
 一、二行目はコロナ禍での自粛要請、いわゆる「ステイホーム」についての表現であろうが、家にいたくても、そもそも帰る家も無い方々もいるのだということを思い起こさせてくれる後半が秀逸。作者は東日本大震災を経験している方でもあるので、もしかすると実際に被災して帰る家が無い思いをされたのかもしれない。当たり前と思っているものの価値を再認識させてくれた。
 
 
 
 
膝に
猫が乗った者は
全てのことが
免除される
よく知られたことだ
 
中山まさこ
217p.
 筆者は猫を飼ったことはないが、作者の家にはきっと猫がいるのだろう。膝に猫が乗った者は、「全てのこと」が免除されるのだと言う。「全てのこと」とは、食事の後片付け、宿題、お風呂掃除、などだろうか。とにかく、猫の平穏が何よりも優先される。この家では「猫ちゃんファースト」なのだ。しかも、それがさも当然だと言わんばかりの五行目が面白い。微笑ましいご家庭の様子が伝わるお歌。
 
 
 
 
思うさま
翼を広げて
よいはずだ
私が飛べる
空もある
 
上田貴子
226p.
 とても気持ちの良い読後感で惹かれた。文体から、どこか遠慮がちで自分を表現することに躊躇いがあるような作者の性格が伝わり、それでも勇気を持って一歩を踏み出そうとしているその瞬間を切り取ったよう。平易な言葉で書かれているが、それなのに、こんなまっさらで清々しい心象風景を表現ができているところが素晴らしい。好きなお歌だ。
 
 
 
 
今度生まれてくるときは
お酒が呑めて
大恋愛を二つぐらいして
駅ピアノが弾けて……
眠れない夜のひとり遊び
 
酒井典子
251-252p.
 生まれ変わった自分に求めるスペックが面白い。お金持ちや権力者になりたいとかではなく、何とも具体的で小粋なスペックの列挙。お酒が呑めないのは体質的なものなので、仕方がないとしても、大恋愛×2と駅ピアノは今からでも何とかなるのでは?と、筆者は無責任なことを思ってしまった。
 
 
 
 
用もないのに入った
薬局で行列
カラの商品棚の脇で
五輪チケットの懸賞ハガキが
虚しく揺れる
 
266p.
 コロナ禍を独特の視線で切り取っていて惹かれた。マスク、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、消毒用アルコール、イソジンうがい薬など、様々なものが品切れになった2020年。平常時であれば、商品棚は満杯で、五輪の懸賞ハガキはあっという間になくなっていたのかもしれない、と思うとまた味わい深い。
 
 
 
 
 
(了)