ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2020年9月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 新型コロナウイルス感染拡大の第5波は急激に収束しつつあります。少しずつ以前の日常を取り戻しつつある方も多いのではないでしょうか。最近は、転職活動が本格化してきて、説明会や面接によく行っています。いい職場と巡り会えることを願っています。

 

 雑誌『五行歌』2020年9月号のお気に入り五行歌たちです。ごゆっくりご覧ください。

 

 

よく
見知ったラベルを
貼り付けて
安心したい
ひとたち

 

井椎しづく
34p.

 ひとは理解できないものや未知のものに恐怖を覚える。だから、それらに見知ったラベルを貼って一括りにし、理解した「つもり」になって安心しようとする。例えば、仕事をせず、学業もせず、結婚もせずに生活している人達のことを「ニート」と呼んだりするが、そのような状態になっているのは人それぞれの事情があるのにも関わらず、傍から見るとその人のイメージは「ニート」という語句の持つイメージで固定されてしまう。ただ、これはその人自身を深く知る術がない人達にとってはある意味仕方の無い部分もある。一方で、家族や友人など近しい人達からも同じようなラベル付けをされると、ご本人としては辛いに違いない。そんなことを考えさせられたお歌だった。

 

 

 

ハーネス脱いだ
盲導犬
鼻をくんくん
尻尾をふりふり
忽ちやんちゃな犬の顔

 

よもぎ
37p.

 この場合のハーネスというのは使用者が盲導犬をコントロールするために犬の胴体に装着する器具のこと。ハーネスを脱いだ盲導犬はどこか、スーツを脱いでオフのモードに切り替わったサラリーマンにも重なる。後半3行の表現がそんな盲導犬の様子をありありと伝えていて魅力的だ。1行目の「を」の助詞の省略や、5行目の「忽ち」の漢字表記から、発語したときのリズムや見た目の文字数にもこだわりが感じられる。

 

 

 

来世は末っ子
ぶっ飛んだ生き方
してやる
親に言えない
長女の誓い

 

中島さなぎ
45p.

 来世のことを詠った歌が好きだ。自作にも何首か来世のことを詠った歌がある。来世のことは、すなわち「ありえないこと」なので、無責任に何を詠っても許されるところが魅力ではないかと思う。「ありえないこと」を前提に、今世での純粋な願望を詠う。それを仮初めの希望にして、また今世を生きる力に変える。このお歌もまさにそういう作品ではないかと思う。ぶっ飛んだ生き方をするという力強い宣言をした後に、親への心遣いをすっと織り込むところが長女ならではという感じがして、このお歌を味わい深いものにしている。

 

 

 

関西人で
よかった
ぼちぼちいきます
って言える
心療内科

 

衛藤綾子
96p.

 特集「わたしをわたしにしてくれる」より。「ぼちぼちいきます」を標準語で言うと「ほどほどにいきます」とかになるのだろうか。意味はそれほど変わらないとは思うが、「ほどほど」は「ぼちぼち」より堅苦しい感じがする。やはり、心療内科の先生に対して言うには「ぼちぼち」の方が、自分に対してもあまりプレッシャーを掛けずにいい感じでやれそうな雰囲気がある。実感として腑に落ちるお歌だ。

 

 

 

逢えないとわかると
逢いたくなる
いつも逢える時は
そんなに逢いに
行かないくせに

 

杉本浩平
149p.

 コロナ禍での大切な人との交流について詠んだ歌だと解釈した。筆者も家族や友人と外出や会食をする機会がコロナ禍で激減したが、なくなってみて初めて、それらの時間が大切なものだったと気付いたところはある。人間というものは「やっちゃダメ!」と禁止されると、逆にそれがしたくなるものなのかもしれない。

 

 

 

詠んでも
読んでも
癒される
五行歌
名カウンセラー

 

静(せい)
160p.

 特集「鹿屋五行歌サロン」より。筆者は五行歌だけでなく、短歌も嗜んでいるが、詩歌全般にこのお歌のようなことは言えるのではないか。歌を詠むことにより、自分でも気が付かなかった感情や想いを知ることができ、そういった感情や想いを吐き出すことで、それらを客観化することができる。また、ある種の浄化作用も得られるというのが、私の個人的な実感だ。一方、他人の書いた歌を読むことで、他人の人生の疑似体験できたり、今までとは少し違う物の見方が得られたりする。一度もお目にかかったことのない方のお歌で感動することもある。五行歌の魅力を端的に表されたお歌だ。

 

 

 

眼裏に
蒼い波
とぷん と
あたしの解凍が
はじまる

 

小沢 史
171p.

 歌意はなかなかに難解だ。的外れになるのを覚悟で書くならば、涙を流している時のお歌と思って読んだ。瞼から涙があふれ出てしまい、そのことによって、凍り付いていた作者の心・感情が解凍されつつあるのだろう。「蒼い波」という表現が巧みであるし、「とぷん」というオノマトペも効いている。完成度の高い名歌だと思う。

 

 

 

このように
生きよう
と思えば
そのように
生きられる

 

鳥山晃雄
198p.

 達人の極意のようなお歌だ。実際に理想とする生き方を行動に移さずとも、「このように/生きよう」と思うだけで、もう「そのように/生きられる」という。正直、今の筆者には本当にそうだったらいいな、と半信半疑で思うことしかできないのだが、歳を重ねればいつか実感を伴ってこのお歌の詠っていることが解るようになるのだろうか。時が経ってから答え合わせのようにまた読み返してみたいお歌だ。

 

 

 

トンネルの
向こう
半円に
燃える
炎暑

 

衛藤加洋
235p.

 少ない文字数で、的確に景色を切り取っている。トンネルの反対側の景色が暑さで逃げ水のように揺らいでいる様子が目に浮かぶようだ。「炎暑」という言葉の置き方も巧みだと思う。筆者は叙景歌が苦手なので、こういうお歌が詠める方に憧れてしまう。

 

 

 

人でなしで終わる
一日の戒めに
硬い、硬い
スルメの身を
ひたすらに噛む

 

数かえる
241p.

 「人でなしで終わる一日」という把握がまず凄い。作者には「今日の自分が人でなしだった」という自覚があるのだ。そんな一日と取り合わされているスルメが文字通りいい味を出している。「硬い、硬い」という読点で繋げられた形容も、スルメの身の硬さをより強調し、その硬さを作者が確かめながら味わっているような趣きを出すことに成功している。こうした自省を行っている作者には、きっと立場や役割上、人でなしにならなければいけない事情があったのではないか、と推察する。大人ならではの悲哀が感じられて大好きなお歌だ。

 

 

 

このまま
死んでも良い
という前提で
どう
生きるか

 

吉田保
251p.

 筆者も人生のだいたいを味わい尽くしたような気になって、前2行のような気持ちになるときがある。自分の人生にある程度満足している証拠なのかもしれない。しかし、このお歌はそれはあくまで、「前提」であり、その上でどう生きるかが大切なのだと主張する。ある程度、歳を重ねた者にこそ響く熱いメッセージのあるお歌だと思う。

 

 

 

人生とは
自分が主演、監督
演出、メイク
スタントマンを務める
作品

 

からし
263p.

 面白いお歌だ。人生は何でも自分でやらなくてはいけない、ハードな作品だというのが一読した感想であったが、よく読むと、「脚本」や「撮影」は含まれていないことに気付く。つまり、人生の筋書きは自分で決められるものではなく、また、人生をどういったカメラワークでどのように記録するかは自分のあずかり知らないものだという主張も感じ取れる。個人的には4行目「スタントマン」が入っているところが気に入っている。人生には身体を張らなくてはいけない、という実感が感じられる。

 

 

 

愚痴を吐かない人は
大きな石臼を
持っている
ゆっくり擂り潰し
消化している

 

長谷川明美
334p.

 2行目「大きな石臼」の表現に惹かれた。イヤなこと、気に入らないことがあったときに一喜一憂して、ギャーギャーと騒ぎ立ててしまう筆者なので、この作品の「愚痴を吐かない人」に憧れてしまう。穏やかな人の心の動きが丁寧に描写されている。「擂り潰し」が漢字表記になっているところもこだわりが感じられて好み。

 

 

 

(了)