ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

中村佳穂について

 中村佳穂さんという、京都在住のシンガーソングライターがいます。
最近、ひげっちが色んなところで色んな人にお勧めしている方です。

 

nakamurakaho.com

 

 ひげっちがここ10年くらい一番好きなバンドであるGRAPEVINEが今年の3月に対バンしたことで、初めて名前を知ったのですが、どんな方なんだろう?とYouTubeで聴いてみたら、ぶったまげるくらい良かったので、いっぺんにファンになってしまいました。

 

 まずは、私が2019年上半期で一番再生したであろう下記の動画をどうぞ。

 


Kaho Nakamura SING US - Wasureppoi Tenshi / Sono Inochi [live ver]

 

 歌われている2曲とも素晴らしいのですが、特に『そのいのち』の演奏は自分にとって鳥肌モノでした。演奏自体が素晴らしいのはもちろんなのですが、画面越しでもポジティブな空気感がバシバシ伝わってきて、その波動みたいなものの中心にいる中村佳穂さんから目が離せなくなります。歌っているときの彼女は本当にいい顔をしているんですよね。

 

 先日、横浜で行われたGREENROOM FESTIVAL 2019で初めて中村佳穂さんのライブを観ることが出来ました。幸いにもかなり近い距離で観ることが出来たのですが、何というかライブやフェスに通うようになって20年くらい経ちますが、体験したこと無い類いのライブでした。

 

 感覚としては、音楽性は全然違いますが、BRAHMANのライブを始めて観た時に近かったです。BRAHMANTOSHI-LOWさんは、ステージ上で見えない音と必死に闘っているようなステージングをされるのですが、中村佳穂さんのそれは、見えない音とダンスを踊っているようだな、と感じました。

 

 友達に紹介してもらった脇田茜さんの『ライアーバード』という大好きな漫画があるのですが、その主人公のコトちゃんをちょっと連想しました。自分の中に渦巻いているわけの分からないものを吐き出すために音楽をやっているような、音楽をすることで初めて呼吸ができるような、そんな切実さとスリルを感じることの出来るライブでした。

 

www.comic-ryu.jp

 

 こう書くと、まるでライブがヒリヒリしたものだったと思われそうですが、全然そんなことはなく、むしろライブ自体は終始ハッピーなムードに包まれたものでした。中村佳穂さんは歌いながら常にニコニコ客席に笑いかけていましたし、バンドの演奏者も含めて、音を鳴らすのが楽しくてしょうがない、歌を歌うのが楽しくてしょうがない、という人達が真剣に、夢中で、奏でている音楽だと感じました。

 

 「いい演奏をしよう」という気負い衒いも、もちろんあったのでしょうが、驚くほどそういったものを感じさせない、自然体でのびのびとしたステージでした。表現者というのはやはり、自分を表現するときには、これくらい解放されているべき、救われているべきと思いますし、そういう人達の音楽を聴いていると、観ていて嬉しく、気持ちよく、心が洗われるような感覚になるものです。

 

 純粋に『そのいのち』が生で聴けたという嬉しさもあり、大満足なライブでしたし、同じ表現者の端くれとして、「表現者はかくあるべし」というお手本のようなものを見せてもらったライブだったので、きっとまた彼女のライブに足を運ぶことになると思います。

 

 というわけで、中村佳穂さん、超オススメです!

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2019年2月号 お気に入り五行歌

どうも、ひげっちです。
 
1月号とずいぶんと間が空いてしまいましたが、
五行歌2月号のお気に入り五行歌をご紹介致します。
 
 
仏間と玄関に
花が活けてあれば◎
リビングだけなら○
萎れていたら×
母の体調の目安となる
 
倉本美穂子
39p.
 
 一緒に住んではいない、病気がちなお母様のお宅を訪問したときのお歌だろう。お母様は花が大好きなのか、家のあちこちに花を活けているご様子。その花の活けてある場所と、花の鮮度がお母様の体調のバロメーターとなっているとの着眼点が面白い。こういう些細なところに気が付くのも、作者がお母様のお宅に行く時間を大切にして、小さな変化も見逃すまいと目配りをしているからだろう。母思いの作者のお人柄が伝わる、素敵なお歌だ。
 
 
心ひらけば
解りあえる
そんな幻想が
生み出す
かなしい諍い
 
神島宏子
76p.
 
 人は皆違う。当たり前だが、本当に人は皆違う。心をひらいて解りあえるのは、たいてい気の合う人間同士の場合だけで、そうではない場合は、心をひらくことで、むしろお互いの立場や意見の違いが鮮明になる場合が多い。時にはこの歌のように諍いにまでなってしまうケースもあるだろう。でも、諍いになったとしても、心をひらいて自分の意見をぶつけ合うことは決して無意味ではないように思う。私にはこのお歌は悲しいだけのお歌とは思えない。諍いの後に、相互理解が待っていることも有るに違いない。双方がやわらない心を持ってさえいれば。
 
 
すでに
戦前かも知れない
平成の世は
かくのごとく
終わらんとしている

 

深見 犇
89p.
 
 平成も終わりに近付いているが、時代は閉塞感を増しているように思う。どの国のどのリーダーも、語るのは自国の利益を如何に確保するかということばかり。テロや銃の乱射事件も頻繁に起きすぎて、もはや感覚が麻痺している。私達は時代にゆっくりと狂わされているのかもしれない。平成は少なくとも日本の国土が戦場になることはなかった時代として終わりそうであるが、次の時代もそれを継続していくために、自分は何が出来るのか。そんなことを考えさせられたお歌。
 
 
捨てるのではなく
放つ
時が来たらきっと
かたちを変えて
現れるだろう

 

コバライチ*キコ
184p.
 
 解説するのが難しいが、理屈抜きに感覚として、とても好きなお歌。放つ、としたのは素直に読めば、自分のお気持ちのことか。自分が囚われていた気持ちや感情から自由になり、距離と時間をおくことで、その気持ちや感情との関係性も変わってくるということだろうか。作者のお歌はいつも凛とした清々しさがあって惹かれてしまう。
 
 
寒風の中
赤くなれないトマトを
かじってみた
悪い夢が詰まったような
苦い味

 

野田 凛
187p.
 
 冬のトマトは見た目が悪い、値段が高い、味がまずい、と三拍子揃っていると思うが、それでもお店に並ぶトマトは赤く熟している気がするので、1~2行目から察するに、家庭菜園で作ったトマトの歌のように思う。4行目の表現が斬新で魅力的。トマトが美味しくなる季節が待ち遠しくなるお歌。
 
 
歪んだ世界に
歪んだ自分を置けば
まっとうな人間に
見えるという
テクニック

 

王生令子
188p.
 
 これは実は多くの人が知らず知らずのうちに駆使しているテクニックではないか。世界も自分も歪んでいるくらいが健全であると考えているので、まっとうに見える人の正体というのは、歪み具合がたまたまその世界にマッチしているだけ、というものなのかもしれない。世界がまっとうだと考えている人も、自分がまっとうだと考えている人も、どちらも同じようにたちが悪いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。
 
 
自分の至らなさを
認める 嗤う 落ち込む
そこからだ
何かが
回り始めるのは

 

富士江
191p.
 
 ものすごく共感を覚えるお歌。二行目の「嗤う」がいい。自分の未熟さ、どうしようもなさを、認めるだけでなく、嘲笑する姿勢。ここに惹かれた。嘲笑できるというのは、自分を客観視できているということであり、自分を俯瞰で見ているような、ある種の別人格のようなものがあるということだろう。そういう人はきっと追い込まれてからでも粘り強い。自分の至らなさを心底思い知った後で、前に進もうとする意志を感じる力強いお歌だ。
 
 
ジャージの上下
口から出たのは
ジョージのジャーゲ
それだけで
一日が明るい

 

はる
214p.
 
 ささいな言い間違いであるが、「あるある」と共感してしまう。きっとこの言い間違いから、笑いが生まれて楽しい気分になられたのだろう。しかし作者は、ちょっとその場が明るくなるだけならいざ知らず、五行目で「一日が明るい」とまで書いている。これは、よほど普段からハッピーで笑いの絶えない生活をされているのか、逆にささいな笑いを繰り返し反芻して味わう必要があるくらい、シビアな現状に置かれている方なのかもしれない、と考えた。願わくば、前者であって欲しいが、果たして。
 
 
かけ蕎麦が
食べたい
好きな人のことを
想って
力の限り泣いたら

 

河辺ちとせ
249p.
 
 後ろ三行から推測するに、作者は失恋あるいは悲しい別離を体験されたのだろうか?食べたくなるのが「かけ蕎麦」であるのが良い。「ラーメン」だとちょっと俗っぽいし、「パスタ」だとちょっとオシャレすぎる。「かけ蕎麦」の庶民感がとても良い味を出しているお歌だと思う。無条件で、この作者を応援したくなる気持ちになる。
 
 
骨壺のしまる瞬間
姿を見せる最後に
骸骨は
微笑んでいたい
微笑んであげたい

 

足立洸龍
332p.
 
 骸骨になってまで、自分を送ってくれる人に対して微笑んでいたい、と思うお気持ちに打たれた。そこには、日頃自分に良くしてくれている人達への感謝があるのだろう。そしておそらく作者は、ご自分が骨壺に入る瞬間というのを、そう遠くない未来として捉えている方のように感じる。四、五行目の表現も巧み。
 
(了)

歌集についての雑記と、これからの話。

 どうも、ひげっちです。

 

 先日、日本現代詩歌文学館というところに、私の歌集を寄贈させていただいたのですが、今日、丁寧な御礼のお手紙が届いて、嬉しい気持ちになりました。早速、文学館のサイトで蔵書検索して、自分の歌集がヒットして(当たり前と言えば当たり前なんですが)、二度嬉しい気持ちになりました。

 

 ひげっちは図書館情報学のしつけを受けてきた人間なので、まず自分の本の目録データがあるという事実にそこそこの興奮を覚えます。さらに、「請求記号」とか「閲覧可」という表示があることでゾクゾクしてしまいます。あんまり書くと変態だと思われるので、この辺でやめておきます。要は、それくらい自分の本が「館」と名の付くところに所蔵されているという事実が嬉しかったのです。

 

 先週の日曜日には、読売新聞の地域欄の読者記者をしている方に、私の歌集について、取材してもらいました。取材を受けるのは、初めての経験でしたが、その方も五行歌人であると同時に、母の友人でもあったので、終始和やかなムードで身の上話をし合うような、ゆるくて楽しい取材でした。記事になるかどうかはわからないそうですが、こういったご縁をいただけるのも、歌集を出したからこそですね。

 

 話は少し変わりますが、私は今まで五行歌や短歌を書くにあたって、勉強っぽいことをまったくと言っていいほど、してきませんでした。例えば入門書を読んだり、古典を学んだりといったようなことです。歌会のプリントや、他の方の歌集は喜んで読んでいましたが、それもあくまで読者として楽しんでいただけで、意識的に表現の手がかりを求めるような読み方ではありませんでした。そんな人間が歌集を出してしまうのですから、厚顔無恥もいいとこですが、私は詩歌の勉強を、半分は意図的に、半分は成り行きで、避けてきたと言ってもいいと思います。

 

 ひとつには、自分の好きな詩歌という趣味を「お勉強」にしてしまいたくない、という気持ちがあったと思います。半端な勉強ではかえって表現の幅が狭まり、窮屈になってしまいそう、という思い込みもありました。もうひとつには、自身が抱えていた「表現欲求」とも言うべきものがパンパンに膨らんでいたため、インプットを受け入れる余地が無かったようにも思います。

 

 歌集というのは、不思議なもので、「本当に自分が書いたのか?」と疑いたくなるほどよく出来ているようにも思えるし、自分の幼さ・拙さばかりが目立つ、浅はかなものにも思えるのです。どちらにせよ、笑っちゃうくらい自分っぽくて、とびきりいとおしい本なのは間違いないのですが。

 

 今、私はなかなか納得のいく歌が書けないモードなのですが、正直な話、この『だらしのないぬくもり』の自己模倣のような歌であれば、これからも書き続けられるだろうな、という確信のようなものはあります。でも私はできれば、それはしたくないです。いつまでも、自分で自分をわくわくさせられるような歌を書いていたい。そのためには、今さらながら、勉強が必要だと気付きました。解消された表現欲求で空いた隙間に、次の弾を込める作業と言っても良いかもしれません。入門書、古典、小説、漫画、映画、もちろん歌集も、意識的で能動的なインプットを心掛けたいです。一時的に、歌がつまらなくなることも、窮屈になることもあるでしょう。でもそれは、次の20年、あるいは40年、楽しく詩歌と向き合っていくために、きっと必要なことなのだと思います。歌集という目に見える形を残せたからこそ、今度は思い切って、今までの自分を改築する段階に入ってゆきたいです。次の歌集のために。

 

 

歌集に関わる諸々の御礼。

こんばんは、ひげっちです。

 

私の五行歌集『だらしのないぬくもり』が予想以上に多くの方に読んでいただけているようで、嬉しい限りです。

 

毎日のように、お祝いや感想が届きます。幸せすぎてどうにかなってしまいそうです。

 

いただいたメール、お手紙、LINE、Amazonのレビュー等、すべて舐め取るようにじっくりと読ませていただいてます。メールやLINEはすぐにお返事するようにしていますが、お手紙は筆不精のため、なかなかお返事が出来なくてすみません。この場を借りて、お詫びと御礼を申し上げます。

 

さて、今週末には「俺の!五行歌会!!」の開催や、歌集についての読売新聞(神奈川版)の取材も控えており、より一層、『だらしのないぬくもり』を宣伝していければと思っております。

 

今後とも歌集をどうぞよろしくお願い申し上げます!

反響、本当にありがとうございました。

 

 

五行歌集 だらしのないぬくもり (そらまめ文庫)

五行歌集 だらしのないぬくもり (そらまめ文庫)

 

 

五行歌集『だらしのないぬくもり』の予約ができるようになりました!

こんばんは、ひげっちです。

先ほど、出版社の方から嬉しい知らせがありました。

来週末の発売日に先駆けて、私の初五行歌集『だらしのないぬくもり』が

Amazonさんで予約できるようになりました!

 

五行歌集 だらしのないぬくもり (そらまめ文庫)

五行歌集 だらしのないぬくもり (そらまめ文庫)

 

 

ここまで、あっという間なようで結構長かったです。

 

 「歌集を出します」と宣言したのは2018年6月16日のAQ五行歌会の2次会だったと記憶していますが、「歌集を出したい」と思い始めたのはもういつだったか忘れてしまいました。10年くらい前に母の五行歌集の編集を手伝ったときには、すでにうっすら「自分もいつか歌集を出したい」と思っていたような気がします。

 

 チコちゃんに叱られまくるくらい、ボーッと生きてきた私ですが、「歌集を出す」と宣言してからのこの9ヶ月くらいは濃密に自分と向き合う、しんどくも楽しい時間でした。自分が世の中に何を問いたいのか、この本をどういう人に届けたいのか、悩んだ時期もありましたが、「歌集を出したい」と思った自分の直感を信じて、自分に嘘だけはつかないようにと決めて、歌集づくりに取り組んできました。

 

 嬉しくて初めて読んだ時悶絶するほど喜んでしまった跋文を書いてくださった草壁焔太先生をはじめ、10年以上前から五行歌をやっている母・紫かたばみや、今回表紙の黒猫の絵を描いてくれた幼稚園からの幼馴染みで画家をやっている吉澤敬二さんや、著者近影のイラストを描いてくれた大学時代の友達や、素敵な装丁をしてくださった井椎しづくさん(大学の大先輩でもあります)など、多くの人に背中を押していただいて、ここまで漕ぎ着けたと思っています。

 

一人でも多くの人に届いたら嬉しいです。

 

どうぞよろしくお願いします!

 

 

雑誌『五行歌』2019年1月号 お気に入り五行歌

こんにちは。ひげっちです。

五行歌』2019年1月号のお気に入りの五行歌を紹介させていただきます。

1月号は本当に良いお歌が多く、

取り上げたいお歌も多くなってしまいました。

 

 

はげ隠しのボウズですか?
不登校だったガキがいう
そこまでに到達したかと
喜んでやるよ!
図星だし

 

からし
9p.

 

 ぶっきらぼうな物言いが小気味よく、痛快。おそらくは息子さんとのやりとりだと思われるが、憎たらしくも愛おしい、我が子との関係性が伝わってきて、温かい気持ちになった。「不登校」という言葉が特段強調されず、さらりと使われているのにも惹かれた。

 

 

息があるうちは
収集できません
ダンボールの仔猫
二度目の電話で
受け付けられる

 

中島さなぎ
14p.

 

 感傷的にならず、淡々と事実のみを述べた、後ろ二行が秀逸。こういう書き方のほうが、かえって鮮烈な余韻を残せるという見本のよう。作者自身の思い入れや感情が述べられていない点も効果的だと思う。残酷な歌であるが、その残酷さに、読者がものを思ったり考えたりするためのちょうどいい余白がある。同じ光景を見たとしても、なかなかこうは書けない。作者の筆力のなせる技だと思う。

 

役満
テンパれば
タバコに3本
火をつけてた
ちっちぇ~男よ

 

よしだ野々
27p.

 

 麻雀好きとしては見逃せないお歌だった。知らない方のために説明すると、役満とは麻雀の中で一番点数が高くて、一番凄い手役のことです。役満にも色々種類があるので、どんな役満をテンパったのかが気になるところ。「アガった」とは書いてないので、テンパイどまりだったのかな?、テンパイしてからタバコ3本吸う暇があるんだから、割と早い巡目でテンパったのかな?、などと色々妄想が膨らんでしまう。

 

 

十二億年この方
雌雄(めお)未だ分かれざる時への郷愁を
未来に投射して
己が分身との合一を希い
恋う心

 

一歳
35p.

 

 作者の歌を前にすると、いつも自分の不勉強さを恥じたくなるが、書かれている内容から想像するに、十二億年前というのは生物がまだ雌雄同体だった頃なのだろう。その時への郷愁という表現も、三行目の「未来に投射」という表現もいい。恋心を歌った歌で、これほどのスケールのお歌はなかなかお目にかかれない。感服するしかない恋歌。

 

 

支配欲は
すぐ伸びる爪のよう
時折
魔女の手を
見かける

 

水源 純
88p.

 

 「支配欲」と「すぐ伸びる爪」の共通点は、「知らない間に生長している」「伸びすぎると相手を傷付けてしまう」といったところだろうか。想像になってしまうが、四行目の「魔女」という言葉は、爪の伸びすぎた手のビジュアルをイメージして欲しくて使っただけで、支配欲に取り憑かれる可能性について、男女問わずに警鐘を鳴らしているお歌だと考える。もう一つが、作者ご自身のことを念頭に置いて書かれたお歌である可能性だ。爪が伸びているのを一番気付きやすいのは自分自身だが、はてさて。今度作者ご本人にお会いしたときに聞いてみたい。

 

 

待ち合わせは
夫であっても
嬉しい
照れた顔も
新鮮だ

 

水野美智子
88p.

 

 純粋に羨ましい。こういう夫婦関係は素晴らしいと思う。二行目の「夫であっても」が、男性としてはちょっと引っかかる気もする言い方だが、全体から滲み出るラブラブ夫婦っぷりの前では、それも些細なこと。「ごちそうさまでした」と手を合わせたくなるお歌だ。

 

 

手の届く範囲に
愛はなかったから
自由を選んだ
仕方なくとも
人生は続く

 

金沢詩乃
116p.

 

 孤独や寂しさといったシビアな現状認識と、それでも前を向こうとする決意を感じさせるお歌の多い、作者の作風の大ファンであるが、このお歌にも痺れた。自由を選んだ人生であれば、かつては届かなかった愛にも手が届く日が来るかもしれない。もちろんそんな日は来ない可能性だってあるが、かすかな期待を抱くのは勝手だし、その方が心の健康のためにも良いような気がする。少なくとも私は最近そう思うようにしている。

 

 

消しゴムを
さいごまで使い切った
記憶がない
のに
捨てた覚えもない

 

芳川未朋
155p.

 

 言われてみれば確かに、というお歌。私の筆箱には、かれこれ15年くらい前から使っている消しゴムが入っているが、一向に使い切る気配がない。今はそもそもパソコンやスマホが普及して鉛筆やシャーペンで文字を書く機会が減っているせいもあるだろうが、思い返してみれば、学生時代から消しゴムが全部カスになって消えた瞬間というのは、見たことがないように思う。書いててちょっと都市伝説みたいで怖くなってきた。

 

 

薬剤師が
気の毒そうに
小声で薬の説明をする
もっと事務的で
あってくれたほうがいい

 

萌子
176p.

 

 私も持病で月に1度の病院&薬局通いが欠かせない人間だが、昔はもっと無機質な感じがした薬剤師が、数年ぐらい前からやたらあれこれ親身に聞いてくれるようなになった印象がある。「かかりつけ薬剤師」だか何だか知らないが、このお歌のように、人間味を前面に押し出すよりも、薬の効能と副作用等について淡々と説明してくれた方が、その薬剤師のことを頼もしく感じられると思う。

 

 

私はうれしいよ
他人には
言えない
嫌なことを
私にだけは言ってくれて

 

石村比抄子
190p.

 

 話し相手に嫌なこと、ネガティブなことを話されるのは、できれば遠慮したいと常々思っているが、相手が心を許している大切な人間であれば話は別ということだろう。よくよく考えてみれば、私たちは良いことよりも、嫌なことを話すときのほうが慎重に相手を選んでいるのかもしれない。ときに「ここだけの話」などという前置きを付けながら。作者の繊細な感性が光るお歌だと思う。
 

 

にんげんの
ほんとうの
在り方を
ほんきで考えないと
みんなあぶない

 

鳥山晃雄
206p.

 

 「人間の在り方」という大きなテーマについて、真っ向から警鐘を鳴らしている。確かに、現代は子供も大人も高齢者もそれぞれに危うさを抱えている時代だと思う。肌感覚として、テクノロジーの進歩が人間の嫌な面・マイナス面を拡張してしまうことが多く、また、それがよく目に付くようになっているのが、現代という時代のように感じる。このお歌に書かれているように、今一度、人間というものの在り方について想いを巡らせてみるのは、大切なことだと思う。

 

 

うるさーい
たまには自分で考えろー
何でも屋さんかっ
私はお母さんかっ
あ、お母さんじゃん

 

田渕みさこ
212p.

 

 育児のストレスをストレートに吐露していて好感が持てる。五行目のセルフつっこみも効いている。キレるだけでは終わらず、最後にユーモアを交えて終わるところが楽しい。テンポがよく、五行なのに、何となく4コマ漫画のような構成になっているところがいい。

 

 

落ちるスベる上等!
受からないわけがない
落ちたら
学校が見る目がない
謎の自信

 

水源カエデ
264p.

 

 受験シーズンなので、受験生を応援する意味でも、受験生代表として作者のお歌をひかせてもらった。受験生の鑑のようなメンタリティをお持ちの作者には感嘆するしかない。受験は学生にとっては一大イベントなので、ついつい人生の一大事として捉えてしまいがちだが、テストの点数で悪かったからといって、その人の人間性までが否定されるということは断じてない。ほんとうに大切なことは、試験では測れない。そういう大事なことを、作者は既に感覚的に理解している点が頼もしい。

 

 

横に眠る
男を愛した
たしかに
殺したくなる
なぜだろう

 

山本富美子
267p.

 

 ちょっと演歌の『天城越え』を連想した。横に眠る男、とは道ならぬ恋の相手なのだろうか。それとも旦那さんなのだろうか。どちらにせよ、過剰な愛情は殺意に変わるものなのだろうか。そこまでの情念を異性に対して抱いたことのない身としては、ある種のフィクションのように、ドキドキしながら読ませていただいた。

 

 

見えない半分は
求めない
この
半分だけを
丸くしていこう

 

山碧木 星
286p.

 

 味わい深いお歌。人間は誰しもが裏表がある。その裏面ばかりを気にして、「あの人はウラがある」とか言ってしまいがちだ。だが、裏面とは自分の本性であり、そこを矯正しようとすることはなかなかにエネルギーがいるものだし、不自然な行為であるとも言える。それよりも、相手に見える面だけを綺麗に保とうとする作者の姿勢に大いに共感した。「丸くしていこう」という表現もいい。

 

 

淡雪が
あるのなら
淡恋もアルだろう
人に触れる前に
消えてしまうような

 

漂 彦龍
294p.

 

 ばっちり決まっているお歌。相手に気持ちを伝える前に、消えてしまったような儚い恋心を作者もきっとお持ちだったのだろう。「純愛」というほど輪郭がくっきりしてないけど、面と向かって伝えるほどでもない、かすかな相手への好意を確かに私も経験したことがあるように思う。「淡恋」という言葉をぜひ広辞苑に登録して欲しい。

 

 

折坂悠太について

ひげっちは、ひとりの時間には暇さえあれば音楽を聴いている人間ですが、

最近のお気に入りの一人が折坂悠太さんです。

 

orisakayuta.jp

 

ホームページによれば、折坂さんは、

  • 平成元年、鳥取生まれのシンガーソングライター
  • 幼少期をロシアやイランで過ごした
  • 2013年よりギター弾き語りで活動を開始

といったプロフィールの持ち主です。

 

百聞は一聴に如かず。まずは私が最初に聴いた折坂さんの曲をどうぞ。

 


折坂悠太 - 道(MV)

 

折坂さんの魅力はなんと言ってもその声だと思います。

朴訥としていて力強く、どこか懐かしい、不思議な温かみのある声質です。

 

最初、このMVに出ている俳優さんが折坂悠太さんご本人だと勘違いして、

「曲も良いけど、本人も役者さんみたいなルックスだなあ」

と勝手に感心してました。この俳優さんは徳永桜介さんという方だそうです。

 

続いては、最新のアルバムからの一曲をどうぞ。

 


折坂悠太 - さびしさ (Official Music Video)

 

この曲は最近毎日と言って良いほど聴いています。

サビの最後の部分の絶叫が気持ちいいんですよね。

 

折坂さんは、色々な人とコラボもしているようで、

そういった動画もYouTubeで見られます。

 


『鳥』(折坂悠太 x 小田晃生)

 

 


折坂悠太 x 三輪二郎『オールドレインコート』

 

どちらも最高じゃあないですか?

これらを聴き終わったときには、私はもう

無意識に最新アルバムをAmazonでポチってましたね。

 

今はまだ周りに「折坂悠太が良い!」と言ってもぽかーんとされますが、

そのうち、誰もが知る存在になってくれたら嬉しいです。