ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

歌詞をどう解釈するか?(5)

 では、このシリーズの最後にちょっと変化球な楽曲を。

 

 難解で深読みを誘う詞世界に定評のあるキリンジの5thアルバム『For Beautiful Human Life』に収録されている『奴のシャツ』を取り上げたい。

 

キリンジ『奴のシャツ』歌詞

 

 一読しただけでは、「何のこっちゃ」だろう。何についての歌なのか、何が言いたい歌なのか、よくわからない人が多いのではないかと思われる。

 

 まず、何といっても登場人物が多すぎる。親戚がいっぱい出てきて誰が誰やら状態だ。頭の整理も兼ねて、楽曲の主人公について、歌詞から読み取れるのは、

 

・一人称が「俺」であることから、おそらく男性である
・平日からプラプラしており、「遺産があればしばらくしのげる」とあることから、「俺」はおそらく定職についていない
・「継母」とあることから、現在の母親は実の母ではないことがわかる
・「親父の通夜」とあることから、父親が亡くなった(と言うより、この楽曲の時系列の中で亡くなっている)ことがわかる
・「親父」は、「しばらくしのげる」程度の遺産を残してくれている
・「叔父」から見た「俺」は、「深刻さが足りない」ように感じられる

 

 という複雑な状況におかれた「俺」であるが、いったい彼の抱えている問題とは何か?

 

 上記の状況から、父親の死に直面したというのに、「定職についていない」「深刻さが足りない」(ように見える)ということは充分、「設定」たりうるだろうが、いささか表面的で、問題はもっと深層にあるような気がしてならない。

 

 ここでは3度のサビで繰り返される以下のフレーズにこそ、真の問題が隠されていると考えたい。

 

「ボタンを掛け違えたまま大人になるのは嫌ね。」

(中略)

「ボタンを掛け違えたまま年をとるのは恥ずべきことだ。」

(中略)

「ボタンを掛け違えたまま年をとるのは切ない。」

 

 1番は姪の視点、2番は叔父の視点、3番は「グラスの底に沈む顔と目が合えば」とあることから、おそらく「もう一人の自分自身」の視点ではないかと想像できる。

 

 つまり、この楽曲における「設定」とは、


 「俺」は「ボタンを掛け違えたまま年を取って」おり、それが良くないことだとと周りの人に思われている(あるいは自分でもそう思っている)ことである。


 ここで、もう一度「俺」の境遇を思い返して欲しい。

 

 「俺」の父親はそこそこの遺産を残していることから、ある程度、名を成した人物だと想像できる。

 

 父親は「俺」の実の母親とは別れ、(死別か離別かは明言されていない)継母と再婚している。ある程度地位のある人物にありがちなことで、成功を収めてから、若い女性と再婚したとは考えられないだろうか。


 いずれにせよ、そういった結婚は「俺」の望むところではなかっただろう。

 

 また、父親の死因であるが、おそらくは病死であると考える。「今夜 あつらえた黒のスーツを下ろす」とあることから、礼服を(おそらくオーダーメイドで)新調する猶予があったことがわかる。突然死ではなく、「父親の死」を受け入れる期間があったからこそ、「そっか、じゃあ礼服を作ろう」と、「俺」は思ったのだろう。

 

 「俺だけのシャツの着こなし」とある通り、この礼服を「俺」は「親父の通夜」で、独自の(おそらくは場違いな)着こなし方で着ているようだ。そこを叔父に見咎められ「深刻さが足りない」と説教をされているのだ。無理もない。叔父からしたら定職についていない甥が、彼の父親の通夜にチャラチャラした格好で現れたわけで、説教の一つもしたくなるというものだ。(「俺」はひょっとしたら、この通夜の喪主かもしれないのである)

 

 名を成した人物の息子というのはとかく周囲に期待される。「俺」も決してその例外ではなかっただろう。厳しく育てられたか、甘やかして育てられたかは分からないが、「俺」が定職についていないであろうことから、その子育ては「父親」の望んだ通りにはいかなかったであろうと想像できる。(我が子の無職を願う親はあまりいないだろう)

 

 いかん、ちょっと妄想が暴走してしまった。

 

 つまり、何が言いたかったかというと、この楽曲の「設定」をもっと分かりやすく言い換えるなら、下記のようになるのではないだろうか。


 「俺」は、周囲の人が望むような大人になれなかったと周囲の人から思われており、自分でもそう感じている。


 この問題に対する「解決」は、上記で抜粋した「ボタンを掛け違えたまま~」の後ろの部分を見ればよいと思う。

 

ああ、聞いた風なことを言う娘だね

(中略)

親父の通夜でからまれる

(中略)

ああ、知ったふうな事を言うね

 


 1番、3番を見る限り、「俺」は「ボタンを掛け違えたまま~ 」のくだりの助言(皮肉?)を真に受けていないように感じる。3番でその助言を言ったのは自分自身であるにもかかわらず、だ。

 2番だけ、少し違うが、「からまれる」という表現からすると、叔父の助言が骨身に染みているとは言い難いだろう。通夜でおそらく酒も入っていることだろうから、「面倒くさいオッサンにからまられたな」くらいにしか感じていないのではないだろうか。

 

 つまり、「俺」は周囲の人たちが期待するような大人になっておらず、そのことを折りにつれ周囲の人たち(自分自身も含めて)から指摘されているのにもかかわらず、そのことに「聞く耳を持たない」のである。

 

 3番のサビの前半部分に、重要な部分がある。

 

俺だけのシャツの着こなし 姿見の前を逃げ出し

 

 「俺だけシャツの着こなし」とは、前述の叔父に怒られたチャラ男ファッションのことであろうが、本当にそれだけの意味だろうか?今一度確認したいのは、この楽曲のタイトルが「奴のシャツ」だということである。つまり、この曲において、「俺」の「シャツ」は重要キーワードであるのだ。

 

 「シャツの着こなし」とは何の比喩であろうか?

 

 この場合のシャツは礼服・スーツであることにも注目したい。礼服はハレの日に着るもので、スーツは男性であれば仕事で毎日着るものだ。少し強引に解釈するなら、「シャツ」は「社会性」の象徴である、と言えるかもしれない。


 「社会性の着こなし」というのであれば、それは「(社会における)生き方」と言い換えることもできるだろう。

 

 次に、「姿見の前を逃げ出し」とあるが、これはもっとわかりやすい。

 「姿見」とは「鏡」であり、「自分を客観的に見るための道具」である。「鏡の前を逃げ出し」ているのだから、「俺」は「自分を客観的に見ることを放棄」しているのである。

 

 こうなれば、すでに自分自身からの助言にも耳を貸さないことは前述した通りである以上、「俺」を戒めるものは何もない、ということになる。

 

 つまり、この楽曲の「解決」とは、


 「俺」は、周囲の人たちからの助言・皮肉に対して、聞く耳を持たず、自分を客観的に見ることを放棄し、自分だけの生き方を貫いている。


 あらためて、「設定」と「解決」をまとめると、この楽曲の物語は以下のように整理できる。


 周囲の人が望むような大人になれなかった「俺」が、自分を客観的に見ることを放棄し、自己肯定に至るまでの物語


 過去に取り上げた3つの楽曲は、どれも前向きな余韻を残す楽曲だったと思うが、この楽曲は果たしてハッピーエンドなのだろうか?

 

 それは、聴く人の判断に任せられている、としか言いようがない。遺産を食いつぶして、破滅しか見えないバッドエンドと言う人もいれば、「俺」を苦しめてきた様々なしがらみから自由になり、自分だけの生き方を見つけた人への応援歌(今で言うなら「アナ雪」的な)と言う人もいるかもしれない。

 

 他にも、「俺」は「継母の従兄弟」に何故会いに行ったのか?とか、「俺」っていったい何歳くらいなんだ?とか、いくらでも妄想を働かせて語ることはできるのだが、本筋から離れてしまうので、ここでは割愛する。

 

 作詞・作曲の堀込(兄)さんがこの楽曲で伝えたかったのは、メッセージではなく物語だろう。わずか300字足らずの歌詞で、これだけ妄想をかきたてる作詞家の腕前には脱帽というしかない。

 

 さて、この歌詞解釈シリーズはいったんここで終わりです。また書きたくなったら書くかもしれません。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

※この記事は2016年1月7日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。

 

 

(了)