あけましておめでとうございます。
ひげっちです。
旧年中はブログをご覧いただきありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年はとてものんびりゆっくりした一年だったので、
情勢を見ながらではありますが、色々と動き出す年にしてゆきたいです。
TwitterやFacebookに投稿した、去年の自選5首をアップしておきます。
(五行歌と短歌でそれぞれA面とB面の10首ずつあります)
どうも、ひげっちです。
2021年もあとちょっとなので、
毎年恒例の自分的ベストコンテンツを書き記しておきます。
マヨイガ/羊文学
2021年も2020年に引き続き、新型コロナウイルスの影響が大きかった一年だった。先の見えない陰鬱な気分になることが多かったように思うが、今年は7月に発表されたこの曲に「救われた」という感覚が強い。本当に何度もリピートして聴いていたし、無謀にもカラオケでも歌ったりもした。サビのところはキーが高くて歌えなかったが。
羊文学は数年前から好きでよく聴いていたバンドの一つだが、最近の作品はどんどん多くの人に開かれた表現になってきているようで、頼もしい。この曲も『岬のマヨイガ』というアニメ映画の主題歌としてタイアップされたもの。静かで優しい曲調が心地よいし、崇高かつ包容力のある歌詞は不器用で未熟な存在をそっと見守って肯定してくれるような温かみを持つ。おそらく今後も自分の中で2021年といえば、この曲を思い出すことになると感じたので選ばせていただいた。
RIGHT TIME/butaji
今年はベストのアルバムを選ぶのにかなり悩んだ。ハナレグミ『発光帯』、折坂悠太『心理』、ROTH BART BARON『無限のHAKU』といったアルバムもかなり聴いていたが、一番まっすぐ胸に響いた作品という点で、このアルバムを選ばせていただいた。
butajiさんのお名前は2020年1月ごろにTwitter上で折坂悠太さんがbutajiさんの『中央線』という曲を紹介していたのを見たのがきっかけで知った。その後、折坂悠太さんとの共作『トーチ』や、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌『Presence』を手がけたことからも注目を浴びているシンガーソングライターだ。
アルバムの中でもSTUTSさんをフィーチャリングしている『YOU NEVER KNOW』と『I'm here』が特に好きだ。軽やかでカラッとしたビートとbutajiさんの温かみのある声質がうまくマッチしていると思う。特に、『I'm here』の以下の歌詞には泣きそうになるくらいグッときてしまった。
きっと聴かないでしょう 君は僕の歌を
だから辞めたり 始めたりして
続けることで僕が僕を知れる
伝えることでここにいれる
I'm here/butaji
14歳の栞/竹林亮監督
今年は例年より多くの映画を劇場で観ることができた。そんな中で、一番心に残っているのがこの作品。埼玉県にある実在の中学校2年のクラスの3学期の間、生徒35人全員に密着し、作られた映画だ。
生徒のキャラクターはさまざま。かっこいい生徒も居れば、おとなしい生徒も居れば、恋する乙女も居れば、ハンディキャップを持っている生徒や登校拒否の生徒も居る。観ているうちに、ついつい自分の中学時代を重ねて、クラス内での立ち位置が当時の自分に近かった生徒に感情移入してしまうが、彼もまたクラス内でも映画内でも1/35の存在でしかない。
私は中学時代、心底生きるのがしんどかった。深刻ないじめに遭ったり、登校拒否になったりしたわけではないが、とにかく自分自身をうまくコントロールできずに、自分に対しても周囲に対してもイライラしているところがあった。こんな自分は大人になってもきっとひとつも楽しい事なんて無いんだろうと思っていた。
そんな私がこの映画を観たことで、ハッと気付かされる感覚があった。自分が中学時代に抱えていたモヤモヤやイライラは自分にとってはとても大きなものと感じていたけど、先生や周囲の大人達から見ればごく些細なありふれたものだったに違いない。私自身も1/35のよくある拗らせた14歳でしかなかったのだと。しかも時間が過ぎるのは早く、1年経てばまた次の35人がクラスにやってくる。この映画を観ることで私はしんどかった自分の中学生時代を少し相対化できた気がするのだ。
来年もたくさんの大好きなものと出会えますように!
(了)
どうも、ひげっちです。
リアル歌会も各地で再開されるようになり、他の用事でも出かける頻度がぐっと増えました。相変わらず転職活動を続けている毎日です。来月までにはそろそろ内定が欲しいところですね。
さて、雑誌『五行歌』2020年10月号のお気に入り五行歌をご紹介します。ご覧いただければ幸いです。
孫たちの誕生日も病院の予約も忘れてどうと言うこともない日が過ぎて行く村田新平24p.
恋歌は もうおなかいっぱいでも ひとつだけ違う場所にしまってある宇佐美友見97p.
エネルギーの塊だ大人はこんなに大きな声でこんなに長く泣くことが出来ないおお瑠璃122p.
恵まれ過ぎて逆に苦労する若者たち全人格が育たない菅原弘助204p.
5がある通知表を初めて受け取ったけど嬉しくない線路の上を走るのは嫌いなんです水源カエデ244p.
今度 生まれてくる時はまた 猫がいい。猫がいい。こたつの中でピアノを聴こう。マイコフ245p.
いっぱい送ったのに一行しか返ってこないLINE穴が開くほど見つめる衛藤綾子260p.
どうも、ひげっちです。
新型コロナウイルス感染拡大の第5波は急激に収束しつつあります。少しずつ以前の日常を取り戻しつつある方も多いのではないでしょうか。最近は、転職活動が本格化してきて、説明会や面接によく行っています。いい職場と巡り会えることを願っています。
雑誌『五行歌』2020年9月号のお気に入り五行歌たちです。ごゆっくりご覧ください。
よく
見知ったラベルを
貼り付けて
安心したい
ひとたち
井椎しづく
34p.
ひとは理解できないものや未知のものに恐怖を覚える。だから、それらに見知ったラベルを貼って一括りにし、理解した「つもり」になって安心しようとする。例えば、仕事をせず、学業もせず、結婚もせずに生活している人達のことを「ニート」と呼んだりするが、そのような状態になっているのは人それぞれの事情があるのにも関わらず、傍から見るとその人のイメージは「ニート」という語句の持つイメージで固定されてしまう。ただ、これはその人自身を深く知る術がない人達にとってはある意味仕方の無い部分もある。一方で、家族や友人など近しい人達からも同じようなラベル付けをされると、ご本人としては辛いに違いない。そんなことを考えさせられたお歌だった。
ハーネス脱いだ
盲導犬
鼻をくんくん
尻尾をふりふり
忽ちやんちゃな犬の顔
よもぎ
37p.
この場合のハーネスというのは使用者が盲導犬をコントロールするために犬の胴体に装着する器具のこと。ハーネスを脱いだ盲導犬はどこか、スーツを脱いでオフのモードに切り替わったサラリーマンにも重なる。後半3行の表現がそんな盲導犬の様子をありありと伝えていて魅力的だ。1行目の「を」の助詞の省略や、5行目の「忽ち」の漢字表記から、発語したときのリズムや見た目の文字数にもこだわりが感じられる。
来世は末っ子
ぶっ飛んだ生き方
してやる
親に言えない
長女の誓い
中島さなぎ
45p.
来世のことを詠った歌が好きだ。自作にも何首か来世のことを詠った歌がある。来世のことは、すなわち「ありえないこと」なので、無責任に何を詠っても許されるところが魅力ではないかと思う。「ありえないこと」を前提に、今世での純粋な願望を詠う。それを仮初めの希望にして、また今世を生きる力に変える。このお歌もまさにそういう作品ではないかと思う。ぶっ飛んだ生き方をするという力強い宣言をした後に、親への心遣いをすっと織り込むところが長女ならではという感じがして、このお歌を味わい深いものにしている。
関西人で
よかった
ぼちぼちいきます
って言える
心療内科
衛藤綾子
96p.
特集「わたしをわたしにしてくれる」より。「ぼちぼちいきます」を標準語で言うと「ほどほどにいきます」とかになるのだろうか。意味はそれほど変わらないとは思うが、「ほどほど」は「ぼちぼち」より堅苦しい感じがする。やはり、心療内科の先生に対して言うには「ぼちぼち」の方が、自分に対してもあまりプレッシャーを掛けずにいい感じでやれそうな雰囲気がある。実感として腑に落ちるお歌だ。
逢えないとわかると
逢いたくなる
いつも逢える時は
そんなに逢いに
行かないくせに
杉本浩平
149p.
コロナ禍での大切な人との交流について詠んだ歌だと解釈した。筆者も家族や友人と外出や会食をする機会がコロナ禍で激減したが、なくなってみて初めて、それらの時間が大切なものだったと気付いたところはある。人間というものは「やっちゃダメ!」と禁止されると、逆にそれがしたくなるものなのかもしれない。
詠んでも
読んでも
癒される
五行歌は
名カウンセラー
静(せい)
160p.
特集「鹿屋五行歌サロン」より。筆者は五行歌だけでなく、短歌も嗜んでいるが、詩歌全般にこのお歌のようなことは言えるのではないか。歌を詠むことにより、自分でも気が付かなかった感情や想いを知ることができ、そういった感情や想いを吐き出すことで、それらを客観化することができる。また、ある種の浄化作用も得られるというのが、私の個人的な実感だ。一方、他人の書いた歌を読むことで、他人の人生の疑似体験できたり、今までとは少し違う物の見方が得られたりする。一度もお目にかかったことのない方のお歌で感動することもある。五行歌の魅力を端的に表されたお歌だ。
眼裏に
蒼い波
とぷん と
あたしの解凍が
はじまる
小沢 史
171p.
歌意はなかなかに難解だ。的外れになるのを覚悟で書くならば、涙を流している時のお歌と思って読んだ。瞼から涙があふれ出てしまい、そのことによって、凍り付いていた作者の心・感情が解凍されつつあるのだろう。「蒼い波」という表現が巧みであるし、「とぷん」というオノマトペも効いている。完成度の高い名歌だと思う。
このように
生きよう
と思えば
そのように
生きられる
鳥山晃雄
198p.
達人の極意のようなお歌だ。実際に理想とする生き方を行動に移さずとも、「このように/生きよう」と思うだけで、もう「そのように/生きられる」という。正直、今の筆者には本当にそうだったらいいな、と半信半疑で思うことしかできないのだが、歳を重ねればいつか実感を伴ってこのお歌の詠っていることが解るようになるのだろうか。時が経ってから答え合わせのようにまた読み返してみたいお歌だ。
トンネルの
向こう
半円に
燃える
炎暑
衛藤加洋
235p.
少ない文字数で、的確に景色を切り取っている。トンネルの反対側の景色が暑さで逃げ水のように揺らいでいる様子が目に浮かぶようだ。「炎暑」という言葉の置き方も巧みだと思う。筆者は叙景歌が苦手なので、こういうお歌が詠める方に憧れてしまう。
人でなしで終わる
一日の戒めに
硬い、硬い
スルメの身を
ひたすらに噛む
数かえる
241p.
「人でなしで終わる一日」という把握がまず凄い。作者には「今日の自分が人でなしだった」という自覚があるのだ。そんな一日と取り合わされているスルメが文字通りいい味を出している。「硬い、硬い」という読点で繋げられた形容も、スルメの身の硬さをより強調し、その硬さを作者が確かめながら味わっているような趣きを出すことに成功している。こうした自省を行っている作者には、きっと立場や役割上、人でなしにならなければいけない事情があったのではないか、と推察する。大人ならではの悲哀が感じられて大好きなお歌だ。
このまま
死んでも良い
という前提で
どう
生きるか
吉田保之
251p.
筆者も人生のだいたいを味わい尽くしたような気になって、前2行のような気持ちになるときがある。自分の人生にある程度満足している証拠なのかもしれない。しかし、このお歌はそれはあくまで、「前提」であり、その上でどう生きるかが大切なのだと主張する。ある程度、歳を重ねた者にこそ響く熱いメッセージのあるお歌だと思う。
人生とは
自分が主演、監督
演出、メイク
スタントマンを務める
作品
和からし
263p.
面白いお歌だ。人生は何でも自分でやらなくてはいけない、ハードな作品だというのが一読した感想であったが、よく読むと、「脚本」や「撮影」は含まれていないことに気付く。つまり、人生の筋書きは自分で決められるものではなく、また、人生をどういったカメラワークでどのように記録するかは自分のあずかり知らないものだという主張も感じ取れる。個人的には4行目「スタントマン」が入っているところが気に入っている。人生には身体を張らなくてはいけない、という実感が感じられる。
愚痴を吐かない人は
大きな石臼を
持っている
ゆっくり擂り潰し
消化している
長谷川明美
334p.
2行目「大きな石臼」の表現に惹かれた。イヤなこと、気に入らないことがあったときに一喜一憂して、ギャーギャーと騒ぎ立ててしまう筆者なので、この作品の「愚痴を吐かない人」に憧れてしまう。穏やかな人の心の動きが丁寧に描写されている。「擂り潰し」が漢字表記になっているところもこだわりが感じられて好み。
(了)
どうも、ひげっちです。
すっかり間が空いてしまいました。コロナ禍&無職でいくらでも時間はあったはずなのですが、遊びほうけていました。前回の更新以降、スマホが壊れて買い替えたり、ワクチン2回打って副反応に悶えたりしていました。
一年以上前のお歌達ですが、名作揃いです。どうかお付き合い下さい。
黒澤映画を見ると
昔は本物の大人が
いたなあと思う
今は大人の顔をした
子供ばかりだ
杉本浩平
5p.
「大人の顔をした子供」の自覚がある私としては耳が痛いお歌。黒澤映画は代表作を何本か見た程度だが、彼の登場人物たちに在って、今の現代人に無いものとは何であろうか?私は一言で言うなら、「覚悟」だと思う。危機に瀕した際、我が身を犠牲にして、次代を生かそうとする姿勢。そういった覚悟が現代人には足りない気がする。しかしそれは裏を返せば、現代がそういった覚悟を持つ必要の無い、平和な時代であることの証左とも言えるだろう。今の平和が脅かされた時、現代人の持つ本当の顔が見えるのかもしれない。
母が息絶えた夜
こんなに悲しいのに
腹が減る
みんな泣きながら
おにぎりを食う
鮫島龍三郎
7p.
どんな時でも腹は減る。最愛の人を亡くしたその日でも、お腹は空くのだ。生きていくことのある種の「しぶとさ」「みっともなさ」がよく表されている。みんなで食べるのがおにぎりというところもいい。ここは、お寿司でもサンドイッチでもダメだ。生活感と日常性を感じさせるおにぎりでなくては成り立たない。残された者たちの人生はこれからも続いてゆく。力強い生命賛歌のお歌だと思う。
真の
団らんのない
家に
三つの
個
紗みどり
12p
3人のご家族が暮らしている家のことを詠んだお歌だろうか。家庭に真の団らんはないと言い切り、ご家族のことを「個」というどこか突き放した感じで表現されているところが魅力だと感じた。「真の団らん」がないという表現は、逆説的に「偽りの団らん」が存在していることが窺える。つまり、ご家族3人の仲は言い争いの絶えない状態と言うより、むしろ少なくとも表面上は仲良く暮らしているのではないかと推察できる。しかし、救いがないのは作者がそれを「真の団らんではない」と認識している点だ。ご家族の間に何があったのかは知る由もないが、現状を書き切る姿勢に迫力を感じたお歌だった。
書物にもぐり込んでいて
ことばまみれの私が
白昼の巷を
よろめきながら
歩いていく
柳瀬丈子
48p.
作者が読書に夢中になるあまり、どこか頭でっかちになってしまい、一時的に現実の世界に上手くフィットできない感覚に陥っているように読んだ。その状態を表す言葉として、2行目の「ことばまみれ」が実に巧く、効いている。後半3行も、眩しすぎる昼間の街の、どこかクラクラする感じが表われていて好みだった。
93歳の母のもとに
90歳の叔母のお見舞い
手を取り合って
顔のシミの話をしている
え!? そこ? シミの話?
倉本美穂子
52p.
ご高齢の母と叔母。2行目にお見舞いとあるので、おそらく母は入院されているか、少なくとも体調を崩されているのだと推察できる。お見舞いにやってきた叔母と母が手を取り合って話をしており、その話題が顔のシミの話であるという。この意表を突かれるリアリティにやられた。5行目に作者自らがツッコミを入れていることもあり、読者は可笑しく感じてしまいつつも、笑うのが若干不謹慎に感じられてしまう。絶妙な感情を呼び起こす、珍しいタイプのお歌だ。
別れ際に
そんなこと言うから
ここで
傘の滴を
見送っている
紫野 惠
135p.
別れ際の相手の一言に呆然としてしまい、立ち尽くしてしまっているのだろうか。どんな一言だったのかが非常に気になる、思わせぶりな書き方で魅力を感じる。4、5行目の表現も好きだ。雨中の光景であることがさりげなく描写され、読者の想像力を掻き立てる。
裏返しで
生きている
そんな気がする時がある
何の裏返しか
忘れてしまったが
甲斐原 梢
143p.
作者がときおり感じる「生」に対する違和感を的確に、軽妙に表現されている。洋服を裏返しで着るように、裏返しで生きているような気分になる時があり、しかも、それは何の裏返しかも忘れてしまった、という。元々は「裏返しでない」=「表向き」の生き方があったが、現在はその「表向き」とは真逆の生き方をしているような気がする、しかも、元の「表向き」の生き方もどんなものか忘れてしまった、といった解釈することが出来るだろうか。こうして書くとずいぶん救いのない状況だと感じるが、それでもこのお歌には、「自分も同じかもしれない」と感じさせる力があるように思う。
立った言っては喜び
歩いたと言っては
喜んだのに
いつか他の子と
比べ始め
憂慧
167p.
子供が生まれたばかりの頃はささやかな成長を感動しながら喜んでいたのに、大きくなるにつれて「言葉が早い/遅い」「自転車に乗れる/乗れない」「勉強ができる/できない」などといった点を他の子供と比べてしまう親の残酷な性(さが)と、比べられる側の子供の辛さの両方を代弁してくれているようなお歌。ここからは親になったことのない私の想像でしかないのだが、親という生き物は、子供に対しての「存在そのものの肯定」はベースとして持ちつつ、自分の子を社会の中で一人前に育てないといけないという責任感から、子供が成長するに伴って、他の子と比べて優れている所/劣っている所がないかについて、一喜一憂するようになるものなのではないか。子の出来/不出来は親の自尊心に直結しやすいため、前述の「存在そのものの肯定」がたまに疎かになり、「優れていなければ存在を肯定されない」子供もたまに散見されるように感じる。迷ったときに原点に立ち返るのは大事。親子関係に悩む方々にヒントをくれるお歌ではないだろうか。
初給料を
在宅勤務で
いただく
孫のふくざつな
笑顔
木村斐紗子
198p.
とても現代的なお歌。新型コロナウイルス感染拡大のため、大学を卒業して新社会人になってもほとんどオフィスには出勤せず、もっぱらテレワークで仕事を教わる新入社員もいると聞く。このお孫さんも同じような状況らしく、在宅勤務がメインのまま、初めてのお給料をいただいたという。嬉しく、誇らしくもあるが、どこか不完全燃焼であるような複雑な気持ちを4、5行目が上手く表現していると感じる。
乳児の目の
光る
湖に
漂う
安心
小原淳子
209p.
不思議な雰囲気のあるお歌。5行全部に無駄がなく、効果的なことがまず好印象。前半3行の「乳児の目に光る湖」という表現に惹かれる。乳児は成人に比べて身体に水分が多く、その目も潤みがちでキラキラしていることが多い印象がある。そういった乳児の目、あるいはそこに溜まっている涙を「湖」に喩えたところが面白い。涙がしょっぱいことや、生命の起源は海であることなどから、この場合「海」に喩えた方が読む方の納得感は増す気もするが、その分既視感のある歌になってしまっていたのではないか。後半2行のまとめ方も好きだ。人間が子をなし、命のリレーが続いていくことへの温かい安心感のようなものが感じられる。
まるで
賽の河原の鬼のようだ
消毒のため
子らのレゴブロック作品を
バラバラにする
仁田澄子
214p.
コロナ禍でお子さんを感染させまいと奮闘している作者の様子が窺える。お子さんが作ったレゴブロックの作品を消毒のため、バラバラにするという。念入りな消毒のためにはやむを得ない行為だとわかっているものの、せっかくのお子さんの作品を解体してしまうのには、罪悪感が伴うのだろう。そこで自らのことを、子供が石積みをするとそれを壊すという、賽の河原の鬼になぞらえている。この比喩がとても魅力的だと感じた。ただ、賽の河原の鬼は子供を苦しめるために石積みを壊しているが、この作者はお子さんの安全のためを思ってブロックを壊し、消毒している。行為の外見は似ているかもしれないが、目的は大きく異なる。作者には、「こんなに子供想いの鬼はいませんよ」と言ってあげたくなる。
愛
そんなもの
ぼったくりバーに
並んでいる
瓶
いわさきくらげ
266p.
面白いお歌だ。「愛」=「ぼったくりバーの瓶」だと、このお歌は主張する。ぼったくりバーというのは、サービスに見合わない高額な代金を請求される飲食店のことを指す。そこに並んでいる瓶、というのは2通りの解釈が出来そうだ。ひとつは、お客に普通に提供するためにカウンターなどに並んでいるお酒の瓶という解釈。もうひとつは、常連客がボトルキープしているお酒の瓶という解釈。どちらの解釈でも、「愛とは、それに見合わない対価を払わないと飲ましてもらえないお酒のようなもの」という作者の世界観が読み取れるところが好きだ。愛に対する不信感・警戒感を隠さない。愛を「そんなものどこにもない」と全否定するのではなく、「あるところにはあるけど、あえて自分で手に入れようと思わない」という作者の姿勢はとても誠実だと思う。
大黒摩季の
「夏が来る」を
聞きながら
のりのりでつくる
かぼちゃの煮物
加藤温子
272p.
歌手の大黒摩季さんは、世代ど真ん中なのでいくつかの楽曲はサビだけならソラで口ずさめるくらいには聴いてきた。代表曲「夏が来る」は夏の到来を心待ちにする女子の気持ちを歌った名曲なのだが、その曲を聞きながらのりのりで「かぼちゃの煮物」をつくっているという。楽曲の持つワクワク感のあるイメージと煮物という生活感のある言葉のギャップ、そして、大黒摩季という絶妙に懐メロになりつつある世代の歌手の組み合わせにグッときた。なんとなくではあるが、こうしてつくられたかぼちゃの煮物はとても美味しそうに思える。
きつく
しかられるより
だまって
ゆるされたほうが
ききます
村橋ひとみ
290p.
真理を突いている類いのお歌。全部ひらがなで書かれているのも、この場合、小さい子供に言い聞かせているような雰囲気も感じられ、効果的だと思う。悪いことをして、きつく叱られるのは誰でもイヤなことだ。だが、悪いことをしたはずなのに、どこが悪かったのか指摘を受けず、何も言われずに許されたほうがしんどい、とこのお歌は主張する。おそらくは、作者は自分が悪いことをした時、怒られないと逆に居心地の悪さを感じるタイプなのだろう。確かに、そういったケースもあるとは思うが、世の中には意外と「悪いことをしているのに、自分ではそれが悪いと思っていない」というタイプも居る気がするので、そうした方々にはこのお歌のような心情は当てはまらないのかもしれないとも思った。
忘れたいこと
忘れたくないこと
ウイルスは
私のそばで
遊んでる
田村深雪
293p.
コロナ禍を詠ったお歌は本誌に溢れているが、このお歌は独特の手触りを感じて好みだった。ウイルスを小さな家族やペットのように描写している後半3行がどこか達観したような味わいがあって魅力的だ。社会も世界も目に見えない小さなウイルスに一喜一憂し、踊らされている中で、作者の動じない、腹の据わり具合には憧れる。心や魂は、危機に瀕した時にその性質が明らかになるものだと思う。作者のような境地までいつか辿り着きたいなと感じる。
(了)
どうも、ひげっちです。
前回の更新からずいぶん間が空いてしまいました。この間、ひげっちは勤めていた職場を退職したり、オンライン短歌会に参加したり、ごいたオンラインしたり、枡野浩一さんの著書を読みあさったり、人生最高体重を記録して慌ててダイエットを始めたりしていました。
私に職が無いのも、金が無いのも、スマートな身体が無いのも、全部コロナの所為だ。
と、現実逃避はこれくらいにして、雑誌『五行歌』2020年7月号のお気に入り作品をご紹介します。
五行歌の話をするかみ合ってもかみ合わなくても楽しい塚田三郎22p.
昔は良かったと言える過去なんか無いいつだって手ぶらの旅は続く金沢詩乃51p.
少年よ孤独なら自立をしたということだ大人たちよ 孤独ならみんな仲間ということだ三隅美奈子73p.
定期試験の平均点言い換えれば教え方の点数島田正美82p.
何を見ながら生きてゆくのかそこを間違えなければたぶん大丈夫だ川原ゆう136p.
「元気」を断つ「人生」を捨てる「宇宙」から離れるこれでまた少し笑える山川 進198p.
強いリモコンがあれば早送りして何事も無かったように再生したい小鳥遊 雅272p.
こんにちは。ひげっちです。
コロナ禍がグズグズと続いていますが、皆さまお変わりないでしょうか?ペースが遅くなっておりますが、雑誌『五行歌』2020年6月号のお気に入り作品をご紹介します。
この時を見ておけこの時にどう生きるか見ておけ夕月6p.
録音をすると自分が全部見えるきつい声自信のない声石川珉珉16p.
こんな時こそ大盛り定食命のしぶとさを噛み締めろ金沢詩乃60p.
母から送られて来る写真のピントが少しずつずれて来る寂しさ高原郁子74p.
現実は肯定する出来ないことは夢にする私にストレスはない塚田三郎156p.
国家は冷淡なのだ判らせるためにそのウイルスはやってきた佐藤沙久良湖165p.
人間は何のために努力するのかそれは結局怠けたいからだ庄田雄二187p.
自分を責めて満足するな心を開いて包み込め川岸 惠188p.
初心はすべて意義あるとは限らない戻りたくない初心もある三好叙子190p.
雨雲がぐんぐん押し寄せてくるもうすぐ もうすぐさあ いまです泣きますゆうゆう194p.