ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

【告知】みんなのオススメの曲教えて!「Zoom音楽鑑賞会」を開催します【参加者募集!】

 どうも、ひげっちです。

 

 5月1日(金)に「Zoom音楽鑑賞会」を開催したいと思います!

 

 ひげっちはカラオケで他の人の曲を聴いて、「こんな良い曲あるんだ~」「この歌詞いいな~」とか思ったりするのが大好きなのですが、なかなか誰かとカラオケにも行けないご時世。外出できないけど、音楽好きな人達と楽しい時間を共有したい、との思いから、また、Zoomに音声共有の機能があることを教えてもらったことから、この企画をやってみようと思いました。

 

  • どんなことをやるのか?

    現在のところ、以下のような流れで考えています。
  1.  事前準備
    参加者には事前に1人につき1曲、オススメの曲を用意してもらう。ジャンルは不問です。J-POP、洋楽、アニソン、JAZZ、演歌、クラシック・・・何でもアリです。

  2.  オンラインで集合
    当日時間になったら全員でZoomに接続。(ビデオのオン・オフは任意)

  3.  順番決め
    適当な方法でプレゼンの順番を決める。

  4.  事前プレゼン
    その楽曲の基本情報や、ネタバレにならない範囲で自分が好きなところについて語ってください。目安は一人5分くらいかな。とりあえず一回目は時間制限を設けずにやってみます。

  5.  楽曲の視聴
    実際に音声共有でみんなでオススメされた楽曲を視聴します。視聴中はマイクをミュート推奨です。

  6.  事後プレゼン
    楽曲の視聴後、あとのせサクサク的な感じで、歌詞に言及したり、裏話等を紹介したり、楽曲の魅力をより具体的に語ってください。事前プレゼンだけでよい人はやらなくても結構です。

  7.  雑談タイム
    楽曲とプレゼンを受けて、みんなで感想や質問などを言い合いましょう。好みは人それぞれですので、過度な批判や頭ごなしの否定はお控えください。

  8.  くり返し
    4.~7.を人数分くり返して、おしまい。全部で2時間くらいを予定しています。

  • 参加要件
  1.  当日(5/1)までに、オススメの楽曲を1曲ご用意できる方。
    ※当方、音楽のサブスクリプションサービスの「Apple Music」を利用しています。「Apple Music」内か「YouTube」で無料で視聴できる楽曲であると助かります。基本的に、音声共有はホストである私のPCから行おうと思いますが、ご自分のPC・タブレットスマホ等から、音声共有を希望される方はお申し付けください。
    ※あまりに演奏時間が長い楽曲は、みんなの集中力がもたないので、お控えください。目安としては演奏時間が10分以内の楽曲であると助かります。

  2.  開催時間にビデオ会議ソフト・Zoom(ズーム)をインストールしたPC・タブレットスマホ等を利用できる環境にある方。
    ※Zoomについて
    https://zoom.us/jp-jp/meetings.html

  • 開催要項

    日時:2020年5月1日(金)21時〜23時(予定)
    準備:開催時間になりましたら、Zoomに接続してお待ちください。
    参加費:無料
    定員:6名(先着)
    申込み方法
    Twitterアカウント(@hidgepaso)もしくは
    hidgepaso0713@gmail.com まで、

    参加希望の旨と、
    ①お名前(フリガナ)
    を記載してご連絡ください。

    以上、よろしくお願いいたします。

    初めての試みなので、ドキドキですが、楽しい集いになることを願っています!

雑誌『五行歌』2019年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。
 
 最近、紙上歌会やオンライン歌会に出まくっているので、歌のストックが底をつきつつあります。引きこもりまくりで、時間はあるのですが、ひらめき不足で、なかなか新しい歌ができません。でも、〆切に追われる日々というのも未体験で、少しワクワクする気持ちもあり、心細くもありますが、楽しいです。
 
 2019年10月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。
 
 
創りながら
壊している
ほんとうの姿が
まだ
見えないから
 
永田和美
8p.
 

 

 大いに共感し、また勇気付けられたお歌。作者ほどの方でも、まだ自分のほんとうの姿というものは見えないのだな、と素直に感動した。創りながら壊すというのは、表現活動の基本である試行錯誤を指しているのだと読ませていただいた。私から見れば、すでに作者は確固たる作風を確立されているように思えるが、現状に満足することなく創作に向かう姿勢が、大きな刺激になった。
 
 
 
 
遺書にすら
検閲のあった
あの時代
特攻隊員の本音は
潮騒の中
 
いぶやん
18p.

 

 筆者は、特攻隊のことを取り上げたテレビ番組か何かで、年端もいかない少年達による「お国のために死んできます」というような立派な遺書が紹介されているのを見て、素直に「すごい」と思ってしまったが、よく考えてみればこのお歌の通り、遺書にさえ検閲のあった時代であったのだ。彼らの遺書の言葉を額面通りに受け取って、特攻隊を美談にするような行為は危険だと感じた。本当は「怖い」「逃げたい」「帰りたい」といった本音を抱えていたかもしれない彼らを、英霊ではなく、ひとりひとりの人間として認識することで、改めて平和の尊さが真に感じられるように思う。
 
 
 
 
の娘 の妻
の母 の祖母という
ペルソナ取れば
カオナシの私の
眠る真夜中
 
三隅美奈子
20p.

 

 人間は、各々の社会的役割を拠り所にして生きる動物であるということに男女差はないと思われるが、女性の場合、家庭内での役割が男性に比べてより重要視されやすいという現実があるのだろう。そのペルソナと自分を切り離したときに、作者は自分のことを「カオナシ」と詠う。これは、筆者がそれだけ家庭の中での役割を懸命に果たしてきたことの証左だと思う。同時に、自分本来の願望・想い・価値観などを必死に我慢し、抑えてきた悲哀も感じる。作者の境遇と重なる部分は多くはないが、歌を通じて作者の想いが想像できる。名歌とはこういう歌を言うのだろう。
 
 
 
 
友が
死んだ
ぐんぐん ぐんぐん
炎天を
歩く
 
秋山果南
23p.

 

 3行目の「ぐんぐん ぐんぐん」が秀逸。友が亡くなって、打ちのめされそうになる気持ちを必死で堪えようと、せめて歩調だけは力強くあろうという感情が伝わってくる。左右対称の形も綺麗で好み。友が自分にとってどういう存在であったかの描写はないものの、故人が大切な存在であったことが読み手に伝わる。
 
 
 
 
そのままに
在ればいい
歌一首
逃げ隠れできない
自分なのだから
 
酒井映子
42p.

 

 

 

 圧倒的な説得力。なかなかこのお歌の境地には達することができないので、色々と小手先で何とかしようとしたり、自分を取り繕ったりしてしまうが、歌には嘘はつけないということだろう。作者の歌を読むと、いつも「歌は背骨である」と思わされる。生き様というか、生きる姿勢が書く歌に表出するものだと感じる。大切にしまっておいて、時々読み返したくなるようなお歌だ。
 
 
 
学校でのイジメ
会社でのパワハラ
介護施設での虐待
イバラの道の日本人
 
110p.

 

 イジメやパワハラや虐待は、何も日本人だけに限ったことではないだろうが、何となく日本ではそういった行為が陰湿化しやすいイメージがある。村社会の処世術が染み付いているせいか、自分が標的にされないために、あるいは自分達のストレスの捌け口のために、イジメやパワハラや虐待をどこかで容認してしまっている人も多いだろう。ニュースで見る他人事ならともかく、実際の現場にいたときに声を上げてこれらに「NO」を言える勇気がある人がどれだけ居るか。少なくとも私にはその勇気はない。そっと見て見ぬふりをする自信がある。5行目のまとめ方に、現実に対する諦観や憤怒とはまた違う、作者ならではの視点が感じられて惹かれる。
 
 
 
 
人気のタピオカドリンクに
三時間並ぶ少女たちの
知らない所で
水汲むために八時間も
砂漠を歩く少女がいる
 
嵐太
128p.

 

 タピオカドリンクという流行り物を取り入れた対比がお見事。事実のみを冷静に伝えて、何を感じるかは読み手に委ねるような淡々とした筆致が効果的だと思う。頭ごなしにタピオカ好きの少女達を否定していないところが好きだ。正しいこと、立派なことを述べる時には、その言い方・伝え方に注意しなければならないとつくづく感じている。相手の痛いところを突くような指摘は、あくまで丁寧に、高圧的にならないように伝えないと、相手の反発を招きかねない。その点、このお歌のスタンスは理想的ではないか。そっと事実を伝えて、読み手の気付きを促す。作者の人間性が伝わるお歌だ。
 
 
 
 
生を死が呑み込む前に
命は 命を
命に 手渡す
個体には死が
命には永遠が
 
岡田道程
145p.

 

 少々難解なお歌である。特に2,3行目の解釈が分れるところだろう。親から子、子から孫へと遺伝子やDNAを繋いでゆく、といった意味合いであるようにも取れるし、あるいはもっと観念的な意味合いで、命の神秘さについてのお歌のようにも思える。つまり、肉体というのは生命にとってあくまで容れ物に過ぎず、個体が肉体的な死を迎えても、命そのもの(あるいは魂のようなもの)は、新たな肉体へと受け渡されていき、生命自体は永遠と呼ぶべきものなのかもしれない。輪廻転生という言葉があるが、そういった世界観を連想した。完全に理解できたとは到底思えないが、とても惹かれるお歌だ。
 
 
 
 
一瞬で
ふきこぼれる
素麺に
集中力を
試されている
 
玉井チヨ子
217p.

 

 何気ない日常を切り取った描写が鮮やかで、非常に魅力を感じる。麺類の中でも短い時間で茹で上がる素麺は手軽で美味しいので、筆者も一人暮らしの時にはよく食べていた。沸騰したお湯の中に素麺を投入すると、一瞬、沸騰が静まるものの、このお歌の通り、ちょっと油断するとあっという間に吹きこぼれるのだ。まさに4,5行目の通り、集中力が試される場面だ。共感を覚えるとともに、些細な家事もきちんとこなそうとする姿勢に敬意を覚えた。
 
 
 
 
『あなたって
  そういう人よね』
はい
そういう人には
そういう人です
 
つるばみ
306p.

 

 「そういう人」が3回もリフレインされる、面白い歌。そういう人が具体的にどういう人であるかの説明はないものの、「そういう人」という言葉自体が持つどちらかと言えば否定的な「含み」のようなニュアンスと、お歌の文脈から、読み手はこの会話を交わしている二人がお互いにあまり好意的なイメージを抱いていないことを感じ取れる。人付き合いは鏡のようなもの、とよく言われるが、こちらが相手に悪意を抱いていると、それが相手に伝わり悪意を返されることが多い。もちろん、逆もまた真なりである。4,5行目のサバサバとした物言いが心地よく、痛快。
 
 
(了)
 

雑誌『五行歌』2019年9月号 お気に入り五行歌

 こんにちは、ひげっちです。
 
 新型コロナウイルス (COVID-19)の影響が日常生活を侵食している今日この頃です。学校に行けない、行きつけのお店に行けない、いつものあいつらに会えない、プロ野球もJリーグも見られない日々にストレスを感じている方も多いと思います。
 
 人々が集う歌会も各地で中止になっていますが、紙上歌会やオンライン歌会などの取り組みも行われているようです。私もここぞとばかりに各地の紙上歌会に参加表明をしました。利用できるものは全部利用して、楽しく愉快に引きこもりたいものです。
 
 どうか、詩歌をやっている方々も、いい歌いっぱい読んで、いい歌いっぱい書いて、乗り切って参りましょう。乗り越えた先で、また笑い合えることを信じております。
 
 前置きが長くなりましたが、2019年9月号のお気に入り五行歌を紹介します。
 
 
 
納得のいく
たった
ひとつの
ことを
しよう
 
詩流久
88p.
 読んでいるこちらの背筋を正されるような、気持ちの良いお歌。日常を生きていると、時に簡単に答えの出ない複雑な問題に直面することもあるが、そんな時でも作者はきっと「自分が納得できるかどうか」を基準にスパッと判断を下されるのでは。格好良さに憧れてしまうと同時に、見習いたいと思わされる。
 
 
小さくて
大きな事業
伴侶を愛し
生涯
守り抜くこと
 
吾木香 俊
119p.
 未婚の私にはとっては、平伏すしかないお歌。パートナーを大切にすることを、「事業」と表現されたのが斬新で惹かれた。大切な伴侶と添い遂げることは、結婚した誰もが目指すところではあろうが、時に多くの困難がつきまとうことでもあろう。「事業」という言葉を決して大げさと感じさせない説得力が、このお歌にはある。
 
 
ぼくはみかん
はこのなか
みんなだんだん腐っていく
でもぼくは
ぜったい腐らないぞ
 
北里英昭
125p.
 一読するとユーモラスで可愛らしいお歌であるが、単なるみかんのお歌では無いだろう。社会詠であると読ませていただいた。みかん箱はモラルの低下した現代日本のメタファーであり、みかんはそこに住む人々のことを指しているのではないか。こんな時代でも、周りに影響されて腐ってなるものか、という作者(みかん)の心意気が伝わってくる。
 
 
心の真芯に
沁み込んで
鈴を鳴らすような
歌が
ある
 
高樹郷子
138p.
 歌とは、楽曲のことか、詩歌のことかは断定できないが、とにかく惹かれてしまうお歌。完璧と言っていいほどの完成度ではないか。まず、使われている言葉が悉く美しい。1~3行目の「心の真芯」や「鈴を鳴らす」という表現がお見事。4、5行目の思い切ったまとめ方もビシッと決まっている。文句の付けようがない名作。
 
 
愚かだと
誰もが解っていて
戦争は
なくならない
私も誰かを嫌っている
 
酒井映子
140p.
 なんと言ってもこれは5行目に尽きるだろう。告白じみた本音を堂々と詠まれているところに感心する。綺麗事や建前に依ることなく、人間と自身の本質を鋭く見つめる作者の視点は見事としか言いようがない。聞き心地の良い言葉ばかりを並べた方が、他人には好かれるかもしれないが、そもそも他人に好かれようとして詩作をしているのではない、という気概と覚悟が伝わってくるお歌だ。
 
 
もうすぐ
残照も消えて
黒い海は
波音だけ
吐く
 
パンとあこがれ
145p.
 日暮れ時の海辺の情景が浮かぶ。簡潔な言葉で情景描写をしているだけなのに、不思議と心に響く。「残照」「黒い海」といった言葉がどことなく寂しげなイメージを想起させるためだろうか。作者は元々海のそばに住んでいる方なのか、旅先の海なのか。作者はお一人で海を見ているのか、誰かと黙って海を見つめているのか。情報量が少ないために、かえって色々と想像が膨らむ。
 
 
豊かさ 貧しさ
恥じるのなら前者
たいがいは
自分以外の汗で
造られたものだから
 
村岡 遊
146p.
 自分の中に漠然とあった想いを、よくぞ巧く言語化してくださったというお歌。筆者は一人暮らしをしていた大学生時代はそれなりに貧乏だったが、幸いなことに食べるのに困るような本当の貧しさというものを体験したことは無い。日本という比較的豊かな国の、比較的豊かな家庭に生まれ、比較的豊かな生活をしてきた。それら全ては自分の力で獲得したものでは無く、単なる幸運によるものと言っていい。そうした「用意された豊かさ」に対する、罪悪感やコンプレックスのようなものを一時期よく感じていたものだ。もちろん自分自身で苦労して掴んだ豊かさは誇るべきであろうが、人の価値は「何をしてもらったか」ではなく、「何をしてあげられたか」で決まるのではないか。
 
 
絶交した
小姑と
和解する
夢を見た
不吉だ
 
島田綺友
158p.
 これも5行目が見事なお歌。4行目まで読み進めると、読んでいる方は「夢が正夢になるのかな」などと淡い期待を抱くが、それを一発で打ち砕くまとめ方が切れ味抜群。小姑さんのことを絶対に許さないという固い決意が伝わる。お二人の間に何があったのか想像が掻き立てられてしまう。酒井さんのお歌と同じく、決して自分のことを美化しない点に惹かれる。
 
 
こてんぱに
された帰り道
満月は
慰めてくれないから
一番苦いビールを買う
 
かおる
176p.
 「こてんぱん」じゃなくて「こてんぱ」なところがカワイイ。何かに打ちのめされた時、負けた時のお歌であろうが、不思議と敗北感ではなく、爽快感を感じるところが好きだ。確かに「こてんぱ」にされたものの、それは苦いビールを飲んで忘れてしまえる程度のことであり、そこから立ち直れる自分のことを信じて疑わない余裕が感じられる。「一番苦いビール」という表現も面白い。何となく第3のビール発泡酒ではなく、プレミアムなビールを選んでいるような気がする。気分の落ち込みにかこつけてプチ贅沢をしていることもまた可笑しい。味わい深いお歌だ。
 
 
嫁も正論
姑も正論
どうしようもない
平行線
嫁が姑に変化するまで
 
302p.
 ものすごく好きなお歌。ひとつの真実を詠っているお歌だと思う。育ってきた世代も環境も違う、嫁と姑という存在。どちらかが間違っているわけではなく、お互いの言うことはどちらも正論であり、ちょうどいい距離を保つことはできても、決して交わることはできないという様を平行線に例えた4行目までが秀逸。これだけでも充分に素晴らしいお歌だと思うが、最後の5行目がさらにこのお歌を特別なものにしている。ご自身の立場が嫁から姑に変化することによって、かつての姑の立場や気持ちを理解できるようになったということだろうか。交わらないと思っていた平行線に交点は生まれるのか。そうした時の流れが愛おしく感じるとともに、かすかな希望を感じさせる。見事としか言いようがない。
 
 
夕方の街
人々は学生ではなくなって
会社員でもなくなって
ゆっくり
街に溶け込んでいく
 
中山まさこ
316p.
 夕暮れ時の人々が行き交う街の情景が浮かぶ。一日の務めを終えた人々が、家路を急ぐ、あるいはどこか楽しい時間を過ごしに行くところであろうか。そうした人々のどこか開放的で温かな雰囲気が伝わってくる。5行目の「溶け込んでいく」という表現が素晴らしい。会社や学校などにいる公的な時間ではなく、アフター5の私的な時間に「街に溶け込む」わけであるから、この「街」は繁華街あるいは住宅街ということであろう。断定はできないが、このお歌から感じる温かさからするに、ガヤガヤと騒がしい繁華街より、落ち着いた住宅街を想像した。
 
 
母の知らない
世界を見た
父の否定した
世界で生きた
覚悟に悔いなし
 
数かえる
323p.
 ご両親との確執、自分の道を生きた気概。そこはかとない寂しさと、現状を肯定する力強さが同居するお歌だ。自分の人生を生きるとき、両親のサポートが有るのと無いのとでは、だいぶ難易度が違う。物質的な援助はもちろん、精神的な援助が貰えないという点で、両親の否定する生き方を貫くのは並大抵のことではなかったはずだ。そうしたご苦労を経てなお、「悔いなし」と言い切る潔さに惹かれる。
 
 
 
 
(了)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

写真で五行歌、はじめました。

どうも、ひげっちです。

 

 先日のオンライン歌会には9名ものご参加をいただきありがとうございました。日本各地+バンコクと色んな場所から色んな方々のお歌が集まって、とても楽しく刺激的な時間を過ごすことができました。

 

 ただ、Skype環境が整っていない方や、オンライン通話に抵抗があるという意見もチラホラ聞きましたので、そういった方も気軽に参加できる五行歌の遊びはないものか、とぼんやり考えていました。

 

 そんな中、とある五行歌人の方がTwitter上でとても素敵な写真をアップされていて、直感的に「あ、この写真をもとに五行歌を書いてみたい」という気持ちになりました。写真と五行歌を組み合わせてSNSにアップすることは私もよくやっていましたが、大喜利の「写真で一言」みたいに、写真からインスピレーションを受けて五行歌を作り、それを歌会みたいにしてオンライン上で採点し合ったら面白いんじゃないか、というアイディアを思い付きました。

 

 「思い付いたら、とりあえずやってみよう」が信条なので、私の観測範囲で一番五行歌人が多い印象のあるFacebookで「写真で五行歌(仮)」というグループを作ってみました。

 

・写真で五行歌(仮)※閲覧するにはFacebookへのログインが必要です。

www.facebook.com

 

とりあえず第1回の写真詠の作品を募集中です。

ご興味がありましたら、ご参加いただけましたら幸いです。

 

 

(了)

【告知】ウイルスに負けるな!「オンライン五行歌会」を開催します【参加者募集!】

どうも、ひげっちです。

 

突然ですが、今週土曜日(3/7)に、
「オンライン五行歌会」を開催します!!

 

毎日毎日、新型コロナウイルス関係のニュースばかりでうんざりしますね。今週末も楽しみにしていた予定をキャンセルして、家で引きこもることになりそうなのですが、ふとオンラインで五行歌会を開いてしまえば良いのでは?と思いつき、早速実行することにしました。

 

ウイルス騒ぎでどこでも行けずに、お暇しているという方はぜひご参加を。こんな時だからこそ、歌会で楽しい時間を共有して、免疫力アップに繋げたいですね。オンラインでの歌会主催は、初の試みなので、不慣れな点もあるかと思いますが、楽しい会にしたいと思いますので、お気軽にご参加いただけたら嬉しいです。

 

  • 参加要件

1. 前日(3/6)までに、自分の五行歌を一首ご用意できる方。

2.開催時間に無料通話ソフト・Skypeスカイプ)をインストールしたPC・タブレット等を利用できる環境にある方。

五行歌作品は、メールもしくはTwitterのDMにてお送りください。

五行歌の経験・未経験は問いません。

Skypeについて(参照)

https://support.skype.com/ja/faq/fa11098/skype-noshi-ishi-mefang-wojiao-etekudasai

 

  • 開催要項
  • 日時:2020年3月7日(土)21時〜23時(予定)
  • 準備:開催時間になりましたら、Skypeに接続してお待ちください。プリントはメールかTwitterのDMを通じて事前配布いたします。
  • 参加費:無料
  • 定員:10名(先着)
  • 申込み方法
    Twitterアカウント(@hidgepaso)もしくは
    hidgepaso0713@gmail.com まで、

    参加希望の旨と、
    ①名前(フリガナ)
    Skypeのユーザ名
    五行歌作品1首
    を記載してご連絡ください。

 

※3/5追記

Skypeの通話は音声のみの通話を想定しております。

・人数が少なめの場合は、採点制ではなく匿名のお歌に対して自由にコメントを言い合う形式にすることも考えています。

・3/6の24:00の時点で、申込を締め切ります。

 

以上、よろしくお願いいたします!

雑誌『五行歌』2019年8月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。ここのところ、新型コロナウイルス関係でイベントの中止や外出自粛などの動きが広まっています。私の参加したことのある歌会でもいくつか中止の動きがあり、先行きの見えない不安もあって、どうにもこうにも気分が塞ぎがちですが、引きこもりをこれ幸いと、五行歌を書きためつつ、乗り切ってまいりましょう。
 
 遅くなりましたが、2019年8月号のお気に入り五行歌を紹介いたします。
 
 
「誠実」とか
「真剣」とかは
重いのかもしれない
捨てている人を
たまに見る
 
永田和美
9p.

 

 誠実さや真剣さを大事にして生きることは、確かに大切ではあるが、そうしていると自分に正直で居られる反面、誰かの些細な言葉に傷付きやすかったりする。それならば、「建前」や「体裁」を前面に出して生きるほうが、剥き出しの自分を触られることがない分、傷付きにくかったりする。たまに見る、どころか日常生活上では、「誠実」や「真剣」を捨てている人のほうが大半ではないだろうか。だが、大切な人や場面に直面した、ここぞという時であれば、話は別である。普段は引っ込めていてもいい「誠実」や「真剣」も必ず必要となる場面がある。そんなことを感じさせていただいたお歌。
 
 
教室に入れない子の
描く漫画を
黙って見ている
わたしも
寂しかった
 
小原淳子
10p.

 

 「教室に入れない子」へのあたたかな視線が感じられる。単なる共感ではなく、その子とかつての作者ご自身とを重ねられているかのよう。慰めや励ましの言葉をかけるのではなく、「黙って見ている」というスタンスが良い。そこからご自身の感情を吐露されている四、五行目が秀逸。こういう心持ちの大人がそばに居てくれるだけで、「教室に入れない子」はどれだけ救われていることだろう。
 
 
人に優しく
なりすぎた
社会に
馴染めない
私の優しさ
 
荒木雄久輝
14p.

 

 さりげない皮肉の効いた名作だと思う。「人に優しくなりすぎた社会」という表現で、パッと浮かんだのは「順位をつけない運動会」や「全員が主役の学芸会」など学校関係のことだが、こうした優しすぎる配慮は、本来ならばその場で主役となれる子の輝ける機会を奪うだけでなく、主役になれなかった大勢の子たちが、「じゃあ自分が主役となれる場所や機会はどこなのか」と自問自答するための契機をも奪ってしまっているという点で、子供たちを逆にスポイルしてしまっていると思う。成長は挫折や軋轢から生まれるのであって、生ぬるく弛緩した空気から生まれる訳では無いのではないか。作者の考える優しさというものをぜひ伺ってみたい。
 
 
私はたい焼き
型から漏れないように
がんばった
最近の人気は
外のカリカ
 
山崎 光
24p.

 

 往年の名曲『およげ!たいやきくん』を彷彿とさせる。型に嵌まった人間としての比喩がたい焼きというのが面白い。せっかく努力して型に嵌まったのに、持て囃されるのは外のカリカリだという。「個性を大切に」と言いながら、型に嵌めようとする教育への皮肉も見て取れる。しかも人気があるのは、あくまで「外側」「外見」であって、肝心な自分の餡子の部分、つまり「内面」を評価して貰えないことへのフラストレーションも感じる。一見面白いお歌のようだが、読み解くほどに苦悩のようなものが感じられる味わい深いお歌だ。
 
 
悪い時代だからこそ
気高くと
きっぱり
娘に
諭される
 
西垣一川
26p.

 

 娘さんとの良い信頼関係が伝わってくる。悪い時代に流されるのは簡単だが、それを是としない誇り高さ。損得勘定だけを考えれば、時代に乗った方が良い面もあるのだろうが、目先の損得よりも大切なものがあることを作者や娘さんは知っているのだろう。正直なところ、悪い時代に流されまくっている筆者であるが、このお歌を目にして心が洗われる思いがした。
 
 
枝は
幹を育てる
人は
自分のうたで
育っている
 
中野忠彦
30p.

 

 枝は幹から生えるものなのに、「枝が幹を育てる」という表現が意外で目を引いた。だが、よく考えれば確かに、伸びた枝葉が太陽の光を浴びて光合成を起こし、その栄養を幹に還元しているわけで、実に的を射た表現である。そこから、人とうたとの関係へ飛躍させた三~五行目が素晴らしい。うたを書くことは自分と向き合うという面もあり、そのことが自分を成長させてくれるということは、実感として確かにある。自分の中に大事にしまっておきたいタイプのお歌である。
 
 
出れば
出なければ
悔い
たんこぶ覚悟
 
山碧木 星
32p.

 

 言葉遊びのようでいて、自らを鼓舞しているようでいて、実は大事なことを言っているような、軽妙さが心に残る。何かを表現すれば、批判を受けたり、叩かれたりということは避けられない。かといって、表現したいものを抱えながら、それを表現しないままでいるのも後悔が残る。「たんこぶ」という絶妙に可愛くて、絶妙に脱力しているワードを持ってきた五行目が秀逸。大好きなお歌である。
 
 
つまりは
引き受けるしかないのだ
それぞれの
比較しようもない
痛みというもの
 
伊東柚月
93p.

 

 一、二行目の導入から、グッと読み手の心を掴んでくれ、後半で皆が納得できるまとめ方をしている、格好の良いお歌である。この場合の痛みというのは、恐らく身体的なものではなく、精神的なもの(=心の痛み)を指すものとして読ませていただいた。よく、悩みを抱えている人に対しての陳腐な励ましの言葉として、「アフリカの飢えた貧しい子供たちに比べれば、今のあなたはご飯も食べられて温かい布団で寝られるんだから恵まれている」などと言われたりする。確かに一理はある励ましだが、個人的にはこの手の励ましは大嫌い。いつの時代にもその時代を生きる人間なりの悩みや痛みがあるもので、一様に他の国や時代と比べられるものでは無い。そもそも、「かわいそうな状況」の代名詞として引き合いに出されるアフリカの子供たちに失礼というもの。少し話が逸れてしまったが、結局はこのお歌が言うとおり、自分オリジナルの痛みと向き合い、引き受けるしかないのだと思う。他人との比較から解決のヒントは貰えるかもしれないが、決して答えはそこにはない気がする。
 
 
思いっきり
派手なメガネ
少し気が引けた
だあれも
気が付かない
 
山田逸子
100p.

 

 身に覚えがあることを上手にお歌にされていて、惹かれた。身に付けるものや髪型を変えたときなど、自分にとっては大きな冒険であるが、周りの反応が無かったりすると、ガッカリするもの。勇気を出して選んだメガネなのに、誰からも何も言って貰えず、そもそもメガネを変えたことにも気付いて貰えない落胆ぶりと、メガネを選んだときの自分の逡巡ぶりが少し恥ずかしくなってくる様子が伝わってくる。しかも、ここから先は邪推かもしれないが、「他人から見れば所詮自分も他人のうちの一人なんだから、自意識過剰にならずに堂々と自己主張すればよい」というような前向きなメッセージも感じられるところが好きだ。
 
 
云いたいことは
わかってる
わかってるけど
泣き止むまで
体温をちょうだい
 
稲本 英
146p.

 

 ストレートな表現に惹かれた。相手の意図を汲むことができるくらいには冷静であるが、それでも泣き止むために、相手の体温を必要としているというところがいい。自分の強さと弱さを充分に把握し、分別をもった大人にしか書けないお歌だと思う。シチュエーションや背景をあえて省いて「あなたを必要としている」という点にフォーカスを絞ったところが、色々な想像を膨らませられる余地を残し、訴求力のある作品になっている。
 
 
花を生け
香をたく
供養とは
残されたものへの
いたわり
 
井椎しづく
194p.

 

 作者ご自身に起こったことを知っている身としては、弔意を感じつつ、大いに共感したお歌。近しい肉親を亡くされた時のお歌だろう。故人への供養が、故人のためではなく、むしろ残されたものへのいたわりであると詠われている。儀式とか供養というものの本質を言い当てていると思う。宗派は違えど、聖歌やお経の類いも唱えるものの精神を平静に保つためのものであろうし、上手く泣けない人にとっては、泣くことの代償行為として、それらが機能している面もあるだろう。祈りも、弔いも、本質的には残されたものの心の平穏のためのものであり、「故人のいない明日」を生き抜くための一つの区切りを設けるためのものであろう。大切なことに気付かせてくれたお歌だ。
 
 
(了)

雑誌『五行歌』2019年7月号 お気に入り五行歌

 このブログをご覧の皆さま、あけましておめでとうございます。ひげっちです。昨年の初めにブログを始めて、約1年が経ちました。ここまで続けてこれたのも、色々な形で反響をくださった皆さまのおかげです。

 

 1月11日には、2020年関東新年合同五行歌会に参加してきました。お久しぶりな方、初めましての方、いつもお世話になっている方など、色々な方々にお目にかかれて嬉しかったです。全体歌会の方は相変わらず泣かず飛ばずでしたが、小歌会では2席になることができて、嬉しかったです。ご一緒した方々、ありがとうございました!

 

 さて、だいぶ間が空いてしまいましたが、2019年7月号のお気に入り作品を紹介させていただきます。

 

善いことをしても
してなくても
二時間で
人は
灰になる

 

佐々野 翠
14p.

 

 火葬場にて着想を得られたお歌だろうか。そうすると作者は身近な方の死を体験されたのであろうが、そのことに対する作者自身の感情がほとんど伝わってこない、淡々かつあっけらかんとした筆致がこのお歌の魅力だと思う。生前、善い人間であろうとなかろうと、物理的に人間は燃やせば2時間で灰になるという事実。果たしてそのことは作者にとっての救済なのか、あるいは受け入れがたい現実なのか。考えさせられる余地と静かな余韻がある名作だと思う。

 

トップは
孤独なもの
きょうも一人で
社食のうどんを
啜る

 

嵐太
23p.

 

 サラリーマン社会では、アゴで使われる平社員も、上司と部下の板挟みになる中間管理職も、嫌われ役をこなしつつ様々な事項について判断を下さないといけない管理職も、それぞれに悲哀があるもの。基本的にいつの時代も組織の中で偉くなればなるほど、孤独になっていくのが常。作者自身が会社のトップで在られるのか、あるいは社員食堂でうどんを啜るトップの方を見かけての歌なのかは判断がつきかねるが、会社生活の一コマを上手く切り取った作品であり、一社会人として惹かれた。

 

こころとことばが
くっついている
こどものことば
やがて はがれて
おとなの言葉に

 

世古口 健
38p.

 

 これはもう発見と言ってもいいくらい「ひとつの真実」を言い当てているお歌ではないか。子供の言葉には、その一つ一つに「ああしたい」とか「こうしてほしい」とかいう気持ちがシールのようにくっついている。欲求や願望と言い換えてもいい。赤ちゃんの泣き声に「おなかすいた」や「ねむい」といった欲求が隠れているのと同様に、幼い子供は自分の欲求や願望を親や周りの大人に叶えて貰うことを目的として言葉を発する。大人になるにつれて「こころのシール」が剥がれた言葉を使うようになるが、注意深く見ていくと大人の言葉にもわりと心がくっついている時も多いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。

 

誰にも
叱られない処に
隠れていると
腐って
しまうのだよ

 

芳川未朋
44p.

 

 誰も自らすすんで叱られたくはないが、腐らないためには、叱られる状況に身を置くことも大切だとこのお歌は詠っている。「叱られない処」が、具体的に何を指すのかは読み手によって変わるだろう。個人的にはパッと不登校や引きこもりのようなイメージが浮かんだが、単純にそれらを批判しているようなお歌であるとは思えない。間違っているかもしれないが、独善的な読みが許されるなら、「叱られない処に隠れている」とは、「表現活動を行っていながら批判を恐れてそれを外部に発信しない人」の比喩ではないかと考えている。自分の創作したものを発信しなければ、批判を受けることもないし、他の誰かと比べられることもない。自分でひそかに趣味として楽しむために創作するというスタイルもありだろう。ただ、それは外部からの刺激を受けることもなく、表現者として成長するスピードも遅くなってしまう。批判を恐れずに、同好の士と切磋琢磨することの大切さを説いているお歌なのではないかと感じた。

 

どこかで
自分を
認めているから
なんとか
生きている

 

風子
137p.

 

 「どこかで」と「なんとか」の使い方が上手い。作者はきっとご自分に対して厳しい視点を持っている方なのだろう。具体的にご自分のどこを認めているのかには言及しないところが奥ゆかしくて好きだ。そうやって自分をどこかしら認めているからと言って、生きるのは簡単ではなく、やっとこさ生きているというような表現。これがまたいい。自己肯定感の低さと不器用さが滲む。自分のストロングポイントを自分で認識し、それを上手くセルフプロデュースしている人も魅力的だと思うが、個人的にはこういった慎ましやかな人に共感したくなる。

 

つぶあん
言ったでしょうよ
こしあんだって
あんパンでしょ
大切な夫婦喧嘩

 

窪谷 登
166p.

 

 とりとめのない夫婦のやりとりがあたたかく、面白い。「つぶあん」と「こしあん」の違いにこだわるところも微笑ましくて好きだ。筆者はどちらでも美味しくいただく派だが、違いが気になる人も確かに存在するようだ。そこから夫婦喧嘩が始まってしまうわけだが、五行目に「大切な」とあるため、これは夫婦喧嘩と言いつつも、実質はこのご夫婦のいつも通りのやり取りであり、決して深刻なものではないことがわかる。むしろ、作者はこうした夫婦間のコミュニケーションに価値を見出しているのであり、喧嘩の話かと思ったらのろけ話だったかのような、「心配して損した、ごちそうさま」という気持ちにさせる軽妙なお歌だ。

 

「運」に
寄りかかれば
倒れる
あくまでも
道標

 

中野忠彦
178p.

 

 納得させられるお歌である。「運」というのは不思議なものだと思う。苦難や困難の最中に幸運に救われたというような経験もしたことがあるが、かといってそうした幸運を頼ったり、甘えたりしてはいけない。幸運を、「あって当たり前」と思った瞬間、運というのは逃げていくような気がしてならない。四、五行目の「あくまでも/道標」という表現が非常にすとんと胸に落ちる感じがする。

 

わたしは
人間ではないような
気がする
ときどき人間に
もなるが

 

今井幸男
204p.

 

 自分の姿というものは鏡越しでなければ、自分で見ることができない。それゆえに人間の中で暮らしながら、自分だけは人間ではないのではないかという疑念は、古今東西、様々な表現者が向き合ってきたテーマであると思う。ある意味、使い古されたテーマでありながら、この歌が新しさと説得力を持っているのは、四、五行目の「ときどき人間に/もなるが」という自由さと、作者のキャラクターの為せる業かもしれない。

 

メンタルは
豆腐並みなんだって
弱いけど
柔らかいなら
良し

 

唯沢 遙
207p.

 

 「豆腐並みのメンタル」とは、精神力が弱いことの比喩としてよく使われる表現だが、それを逆手にとって豆腐ならではのストロングポイントを主張する後半三行が見事。まさしく柔軟性がキラリと光るお歌だ。私もメンタルが強い方では無いので、こんど自分の気持ちが折れそうになったら、この歌のことを思い出して、乗り切りたいと思う。弱くても、カチカチに固まった心より、柔らかい心を持ちたい。

 

自分が
燃えて
自分の
居場所を
照らす

 

伊藤赤人
215p.

 

 「天辺の歌人たち」より。寡聞にして作者のことをこの記事を読むまで存じ上げなかった。抜群の歌の良さに、がつんとやられた気分になった。記事ではいくつかのお歌が取り上げられていたが、中でもこのお歌に惹かれた。歌には生き様が滲み出る。自分が果たしてここまでの覚悟と自負を持って、歌を書いているのか、と自問自答せずにはいられなかった。今はまだ未熟で甘っちょろい私だが、いつか作者のような歌を書いてみたい。

 

誰かにとって
特別な人で
ありたい
症候群
です。

 

いわさきくらげ
220p.

 

 独特な文体と世界観が魅力な作者。短く簡潔な言葉を使いながら、読み手のイマジネーションを膨らませるようなお歌が多く、その才能に注目している。このお歌も簡単なことを詠っているようで、なかなか一筋縄ではいかない。誰かにとって特別でありたいというのは、多くの人が思っている自然な感情のように思うが、そこにポンと置かれた「症候群」という言葉、これが効いている。人間としての自然な感情が、病名を表すような仰々しい言葉と合わさることにより、色々な想像が膨らむ面白いお歌になっている。行が進むにつれて、だんだん小声になっていくかのような、文字数の並びも効果的。

 

「ピカにおうとらんのなら
だまっときんさい」
引き揚げ体験は
小学二年で
封印された

 

ともこ
275p.

 

 「戦争と五行歌」より。終戦後の朝鮮からの引き揚げというこの世の地獄を体験しながら、引き揚げ先が被爆地・広島だったことから、それを誰かに伝えることさえ許されなかった過酷な運命。想像を絶するような苦しみだと思う。命が粗雑に扱われる戦争の恐ろしさは歳を重ねるほどに身に染みて分かってくる。多種多様な価値観はあって然るべきだと思うが、戦争だけは肯定してはならないと強く思う。

 

生きるために と
飲みこんできた
女たちの物語は
寿ぎのかげで
今も地を這っている

 

宮崎史枝
299p.

 

 見過ごすことができなかったお歌。色々な解釈が成り立ちそうなお歌であるが、筆者は男性中心の社会に対する警鐘と、押し込められてきた女性たちのしたたかさを強く感じた。後半三行は出色だと思うが、「女たちの物語」と詠うことにより、一個人の女性というより、同時代を生きる多くの女性、あるいは世代を跨いだ幾人もの女性たちのことを指しているように感じられた。男性優遇の社会の裏で、我慢を強いられている女性が数多くいるという現実。目を背けてはいけない何かを伝えてくれているお歌だと思う。

 

樹木希林
いない日本映画は
キリンの
いないサバンナよりも
さみしい

 

漂 彦龍
310p.

 

 作者ならではの映画愛滲む名作。「希林」と「キリン」がかかっていることにクスリとさせられつつも、樹木希林さんへの等身大の追悼歌にもなっている。私はわりと晩年の希林さんしか存じ上げないが、清濁併せ呑んだ老婆を演じさせたら、右に出る者はいなかった印象だ。あの方にしかできない役が今までにも、これからにもたくさんある気がしてならない。

 

<恐怖>
子供 僕は幽霊が怖い
妻  私は戦争が怖い
夫  僕は女性が怖い
幽霊 私は人間が怖い

 

巨橋義顕
324p.

 

 実験的な作品であるが、個人的にはとても好み。一行目をタイトルに使うという発想がまず面白い。内容もよくできた絵本や寓話みたいで、気が利いている。このフォーマットを使って、一首書いてみたくなった。まだまだ五行歌は色々な可能性があり、試されていないことが多くあるのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれたお歌だ。

 

 (了)