ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

歌詞をどう解釈するか?(1)

 どうも、ひげっちです。

 

 どっぷりmixi世代のひげっちなので、mixiにも過去に書いたお気に入りの記事があるんですが、ひょっとしたらひょっとする場合に備えて、こちらに転載しておくことを思い付きました。暇だし。より多くの人に読んで貰えたら嬉しいし。

 

 というわけで、今回は音楽の歌詞についてのお話です。もう5年近く前の記事なので、拙いところもありますが、興味のある箇所だけでも読んでいただけたら幸いです。

 

 

  • 日記を書こうと思った経緯

 

 とある友人が当時、とても興味深い日記を書いた。映画や漫画のストーリーを理解するためには、「設定」と「解決」に注目すればよい、という話だ。

 

「主人公は冒頭、どのような問題を抱えているか?」(設定)
「ラスト、その問題はどのように変化したのか?」(解決)


例示される数々の映画・漫画の分析を読むにつれ、この理論はすごい、と思うようになった。今まで好きな作品を語るときには、

「このシーンが良い」「この俳優の演技がすごい」
「このキャラのセリフが堪らない」「この構図が素晴らしすぎる」

といった、いわゆる「感想」しか語る言葉を持たなかった。
多くの映画ファン・漫画ファンとはそういうものだろう。

 

だが、この理論を応用すれば、ある種の「評論」的な語り方を可能にする、指針のようなものが得られる気がしたのだ。

 

彼の日記を読んで、自分は好きな「歌詞」について、この理論を応用してみたいと思った。

 

  • なぜ歌詞に注目したのか?

 

 昔から、音楽、特に邦楽を聞く時には歌詞を重視している。

アーティストを好きなるきっかけはメロディーであることが多いが、「好き」が「大好き」に変わるきっかけは歌詞であることが多いと思う。

 

 メロディーは天性のものであり、選ばれた人間にしか降りてこない魔法のようなものだと思っている。一方、歌詞は言葉である以上、日本語(そして多くの場合少しの英語)を操れる人間なら誰でも書ける。人間が書いた歌詞である以上、歌詞には必ず作詞家の意志が表れており、何らかのメッセージが含まれる。

 

同じことばかり繰り返し歌われる歌詞には、
「一つの(大事な)ことを伝えたい」
というメッセージが含まれているし、

 

どうでもいい歌詞には、
「歌詞なんてどうでもいい」
というメッセージが含まれているし、

 

意味のない言葉を並べただけの歌詞には、
「歌詞に意味なんて必要ない」
というメッセージが含まれている、と考える。

 

 素晴らしいメロディーが、必ずしも素晴らしい人間に降りてくるとは思わないが、素晴らしい歌詞を書く人間には、何かしら素晴らしい点があるか、少なくとも、素晴らしくあろうとする意志があると思う。

 

 それゆえに、自分の好きな邦楽で、特に作曲家と作詞家が同じアーティストを聞く時には、メロディーよりも歌詞に注目した方が、「そのアーティストがどのような人間であるか」を理解しやすいと考える。

 

 以上のような、意識を持った上で、私は「設定」と「解決」の理論を歌詞に当てはめて、考えてみたいと思う。

 

※この記事は2015年12月28日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。

 

(続く)