ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

雑誌『五行歌』2018年12月号 お気に入り五行歌

毎月、購読と投稿をしている、雑誌『五行歌』の中から、
心に残った作品をピックアップして、勝手に評をさせていただこうと思います。

 

作品の下に作者名(敬称略)を記載させていただいてます。

作者名の下の数字は、雑誌での掲載ページです。

 

仲の良いフリが
特技だったのか
10年信頼した人の
中身を見た
虚しさ

 

作野 陽
31p.

 

 長く付き合い、信頼を置いていた人への幻滅のお歌。ショックの大きさや怒りでは無く、諦観にも似た静かな余韻が伝わるところに惹かれた。作者はきっと冷静で穏やかな性格の持ち主なのだと思う。見えてしまった相手の中身がどんなものだかはわからないが、作者としては許すことの出来ない一線を越えてしまうものだったのだろう。こういった心情にある人にかける言葉はなかなか見つからないが、どうか人間不信にだけは陥らないで欲しいと願う。誰も信じられない状態というのは想像以上にしんどい。生きていて疲弊する。どうかこれに懲りずにまた人を信じて欲しい。信じるに値する人間はきっとこの世に少なくはない。少なくとも私はそう思っている。

 

細かくて口うるさい上司と
自分を過大評価する部下がいる
会社なら
とっくに
辞めている

 

大本あゆみ
48p.

 

 「家庭」というコミュニティを「職場」に喩えて、うまく皮肉を効かせている。夫婦は同僚と思いたいので、「口うるさい上司」はお姑さん、「自分を過大評価する部下」はお子様といったところか。ありきたりな家族賛美ではないが、会社であればとっくに辞めている状態でも、作者はこの家庭を見放さないのだ。そこには確かな責任感と愛情が感じられる。やはり母親というものは強いと思わされたお歌。

 

父の二十才の私へ
「水飲み百姓の娘だ
気取って生きるな」
なんと不思議な
お祝いの言葉

 

山本富美子
117p.

 

 括弧書きで書かれた、お父様からの成人祝いの言葉が味わい深い。この一言だけでこのお父様のことを好きになってしまいそうだ。自分の血筋を飾ることなく話し、子供に地に足を着けて生きて欲しいと願うお父様はとても実直で格好良いと思う。作者もこの言葉が印象に残っているからこそ、歌にされたのだと想像する。父娘の微妙な、しかしきっと温かみがあるに違いない関係性が偲ばれるところがいい。

 

まず否定から入る
不平不満を
エネルギーとして生きる人
青白い炎は
暖めてはくれない

 

紫かたばみ
132p.

 

 こういう「負の感情をエネルギーとして生きる人」は割とよく居ると思う。気を付けなければいけないのは、こういう人が必ずしも「他人に不平不満をぶつけてばかりいる人」とイコールではないところ。内なる負の感情をエネルギーにしながらも、周囲には優しく接することが出来る人もいる。その一方、自分自身が負の感情をばらまいて、それに対して返ってくる負のリアクションをまたエネルギーに変えるような、ネガティブ自家発電みたいなことをしている人もいる。生き方に優劣はなく、全ての人の生き方がその人なりの「正解」だと考えているが、色々なことを考えさせられるお歌だ。

 

蛇は
自分の抜け殻に
何の興味も示さない
生まれ直した
のだから

 

柳瀬丈子
150p.

 

 蛇の脱皮を、「生まれ直した」と表現してるのがいい。抜け殻とは自分自身の残滓であり、自分の過去の比喩だと読ませていただいた。潔い蛇の有り様を想い、蛇のようにありたいと、作者ご自身を鼓舞しているかのように感じられた。人間は知能や時間の認識があるぶんだけ、爬虫類よりかは、過去に拘ってしまう生き物だと思う。個人的には過去に拘ってくよくよしている人も嫌いではない。すっぱり生まれ直せる人よりも、人間らしくて魅力的でさえあると思うからだ。それはともかく、凛と背筋を伸ばされる感じするお歌。流石と言うしかない。

 

困ったな
実家を
なくした日から
腹に
力が入らない

 

中島さなぎ
176p.

 

 肉体感覚として、実家をなくすというのはこういう感じなのだろうな、というのがストレートに伝わってくる。飾りの無い心情の吐露のような文体もいい。四、五行目の「腹に力が入らない」が特に素晴らしい。涙が止まらないとか、ずっと落ち込んで何も出来ないほどの状態ではなく、おそらくは日常生活をそれなりには送れているものの、身体から力が抜けるような喪失感がずっと付きまとっているのだと思う。逆説的に言えば、作者の実家やご両親は、それだけ作者の力の源だったのだろう。大事なものは失ってから気付くとよく言われるが、本当にその通りだと思う。

 

今日の
言い訳が
明日
後悔する
原因

 

秋桜
251p.

 

 納得するしかない。まるで、ことわざや格言のような、完成度の高い五行歌だと思う。自分に言い訳ばかりして、「なんとかなるさ」と「ま、いっか」が口癖の筆者としては大いに身につまされた。作者ご自身が、言い訳をしてしまうタイプで自分への戒めのお歌なのか、それとも、言い訳ばかりの他人を窘めるお歌なのかが気になる。

 

動かなくなった
ロボット掃除機を
捨てた
ゴミ袋の重さが
手に残っている

 

仁田澄子
345p.

 

 愛着のある家具・家電を処分する時は、少なからず寂しい思いをするものだと思うが、それが自分で動くロボットの類いだと、また違った感覚があるのかもしれない。どちらかと言うと、亡くなったペットとお別れするときの気分に近いのだろうか。もしかしたら、そこにはロボットの「命のようなもの」に対する想いがあるのかもしれないと思った。何とも絶妙なテーマと感覚でお歌を作られる方だと感銘を受けた。

 

思いやりが届かない
君の心はまだ
気づいていない
そのくらいが
ちょうどいいのだ

 

葵空
374p.

 

 一読して面白いお歌だと感じた。思いやりや優しさは、相手に届いて、相手からもまた優しさが返ってくるのが望ましいと、誰でも考えそうだが、作者は思いやりが届かないくらいがちょうどいい、と言う。これは、「世の中そんな良い人ばっかりじゃないから、届かないのが普通と考えとけよ」という前向きな諦観なのか、「大事なのは相手の反応じゃなくて、思いやりを持つこと自体が大切」というポリシーなのか、そこまでは読み切れなかったが、心に残る味わい深いお歌だと思う。