2020年自分的ベストコンテンツ
どうも、ひげっちです。
2020年もあとちょっとなので、
毎年恒例の自分的ベストコンテンツを書き記しておきます。
音楽・曲
トーチ/折坂悠太
折坂悠太 - トーチ (Official Music Video) / Yuta Orisaka - Torch
新型コロナウイルス禍とは切っては切れない一年となった2020年のムードにどんぴしゃだった一曲。この曲はbutajiさんというシンガーソングライターとの共作であり、歌詞は2019年秋の台風19号被害から着想を得て書かれたものであるという。決して落ち込んだ気分を明るく元気づけてくれるような単純な歌ではないが、butajiさん独特の中毒性のあるメロディーラインと、折坂さんの書く温かみのある歌詞が相まって、とにかくこの曲に惚れ込んでしまい、一年を通して何度もリピートして聴いていた。カラオケでもよく歌った。
音楽・アルバム
極彩色の祝祭/ROTH BART BARON
今年発見したアーティストで一番ハマったROTH BART BARON(ロットバルトバロン)の最新作。バンド名は知っている、くらいのスタンスでいたバンドだが、音楽評論家の柴 那典さんのツイートでこのアルバムのことを知り、聴いてみたのがきっかけでいっぺんに好きになってしまった。
サブスクのおかげで旧譜もすべて聴くことができたが、2019年発表の前作『けものたちの名前』で、「もしもここを生き残れたら/僕の本当の名前をあげよう」(けもののなまえ)や「さよならまたいつか/会えるその時まで/いくつもドアをあけて/僕らまた出会おう」(春の嵐)といった、すでにコロナ禍を予言しているような歌詞があるのも興味深い。
コロナ禍のもとで制作された本作は、明確にアフターコロナの時代に聴かれることを意識して作られている。「破壊された日常の向こう側」の道標となるような力強い作品だ。メロディーの美しさも特筆すべきだと思うが、詩歌を嗜んでいる身としては、やはり歌詞が気になった。三船雅也さんの書く歌詞は、何というか、嫉妬と羨望を禁じ得ない。「もし自分がロックバンドを組んでいたら、こういう歌詞を書きたいな」と思わされるような歌詞を実際に書いてらっしゃるからだ。ストレートなメッセージが響く歌もあれば、寓話的で空想を掻き立てる歌もある。そのどちらも、誠に勝手ながら、実に「波長が合う」感じがする。こういうバンドと同じ時代に生きることができて幸せだと思う。
リリース直後から何度も聴き直しているが、聴く度に新しい発見があり、飽きない。ものすごく細部までこだわって作られているのが伝わってくるし、アルバム全体を通した一つの作品としてのまとまりが良い。アルバムを作るのに必要だったであろう、緻密な計算と、膨大なエネルギーと、表現者としての執念の凄まじさみたいなものも感じられ、軽く畏怖の念を覚えるほどだ。ぜひ未聴の方は体験して欲しい。
映画
パラサイト 半地下の家族/ポン・ジュノ監督
コロナ禍のせいで映画館へ行く回数も減ってしまったので、今年は母数となる映画鑑賞作品の数が少ないが、その中で一本を選ぶとしたら、アカデミー賞作品賞にも輝いた本作だろう。元々、ポン・ジュノ監督は『殺人の追憶』ですごい!と思っていたが、本作はそれの数倍のインパクトがあった。
現代社会への風刺を盛り込みつつ、先の読めないストーリー展開で、ジェットコースターに乗っているかのような視聴体験ができる。ある意味インド映画的な盛りだくさんな要素もあるが、物語の質感はやはり東アジア特有の湿っぽさがある。視聴者が何かを感じるまで、とにかくやれることを全部やったかのような脚本は、称賛に値すると思う。
来年もたくさんの大好きなものと出会えますように!
(了)
雑誌『五行歌』2020年3月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
すっかりどころじゃなく、前回のお気に入り更新から4ヶ月も間が空いてしまいました。忙しかったり、精神状態が不安定だったりで、なかなか本誌と向き合う時間が取れなかったです。
3月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。
捌いた男を器に並べて骨抜き加減をみる小骨さえも許さない女かおる10p.
外国なら土足で家に上がるけど日本でされたら脅威に思えませんかハラスメントって そんな感じっす稲田準子30p.
正直者が天国へ行けるならそこには犯罪者が一杯いるだろう庄田雄二36p.
明日から何か変わるわけでもなく大晦日閉店までパチンコを打つよしだ野々39p.
ビニール袋2つ年賀状10枚人、ひとりの命などこんな物か病院から帰って来た父大森晶子57p.
脱ぎ散らかした靴を揃える誰かの手で今日も生かされている金沢詩乃88p.
子が親を選べるならばどれほどの人が親になれるだろうか島田正美89p.
これからは楽しいことをするのではないすることを楽しむのだ鮫島龍三郎129p.
ソファに凭たれ韓ドラ観終えて旅立っていった叔母美意識の塊りの様な人でした棚橋八重子137p.
私の話はいいのと笑顔で話を譲る私はあなたのはなしが聴きたいです中山まさこ194p.
できるものなら代わってやりたいなどと出来ないことを前提に言う眞 デレラ206p.
俺を馬鹿にした人が家に来て感謝とか言うああ弱ってきた徴だ中野忠彦241p.
従順さではない素直さが大切なんだよ自分の思いに素直であること今井幸男242p.
銀河系の大きさミジンコの大きさ脾臓の大きさいまのところぼくはかなり小さい山川 進242p.
デニムを少しだけ落としてはく君の若すぎない若さ井村江里281p.
【告知】全国文書大会についておしゃべりしよう!「第30回五行歌全国文書大会についてZoomで語り合う会」を開催します【参加者募集!】
どうも、ひげっちです。
12月5日(土)に「第30回五行歌全国文書大会についてZoomで語り合う会」を開催します!!
第30回五行歌全国文書大会に参加された皆さま、そろそろお手元に「大会誌」が届いたころかと思います。
参加者全員分のお歌と作者コメントが掲載されているのはもちろん、草壁先生の秀作コメントや各参加者の個人賞一覧なども収録されており、読みどころ満載の内容となっております。
この大会誌を読んで感じたことや好きだったお歌について語り合える場が欲しいと思ったので、Zoomを用いてオンラインでやってみようという試みです。
なお、五行歌の会事務局と直接は関係のない、非公式な会であることを
ご承知おきください。
あまり肩肘張らず、楽しくおしゃべりできる会にしたいと思っています。
どうぞ気楽にご参加頂ければ幸いです。
- 参加要件
- 第30回五行歌文書大会に参加された方、もしくは大会誌をお持ちの方。
- 開催時間にビデオ会議ソフト・Zoom(ズーム)をインストールしたPC・タブレット・スマホ等を利用できる環境にある方。
※Zoomについて
https://zoom.us/jp-jp/meetings.html
※Zoomは参加者の皆さんに自分の顔が見えるビデオ通話と、音声のみの通話が選べます。どちらを選ぶかは任意とします。
※参加者の皆さんへは当日10分前くらいにミーティングに接続するためのリンクを、TwitterのDMかメールにてお送りさせていただきます。
- 開催要項
日時:2020年12月5日(土)21時〜23時(予定)
準備:開催時間になりましたら、Zoomに接続してお待ちください。アルコールを摂取したい方はご自由に。
参加費:無料
定員:10名(先着)
申込み方法:Twitterアカウント(@hidgepaso)もしくはhidgepaso0713@gmail.com まで、参加希望の旨と、
①Zoomの表示名(ふりがな)
を記載してご連絡ください。
定員が埋まった場合募集を締め切りますが、先着10名以内であれば、当日1時間前くらいまで申し込みを受け付けます。
以上、よろしくお願いいたします!
雑誌『五行歌』2020年2月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
すっかり間が空いてしまいました。時間はあったはずなんですが、オンラインでごいたしたり、アニメ見たり、だらだらYouTube見たりするのに忙しく、ついつい本誌の読みを後回しにしてしまいました。
2月号のお気に入り五行歌を紹介いたします。
こころ
と呟くと
心のこえに
耳は
傾く
水源 純
9p.
「Hey, Siri」や「OK, Google」といった音声で起動するスマートスピーカーを連想した。作者は「こころ」と呟くことにより、自分の心のこえに耳を傾けることができるのだという。これは一種のおまじないのようなものだろうか。本当にこんな能力があるのなら、とても便利だと思う。判断に迷ったとき、悩んでいるときに、もう1人の自分の声を聴くことができる。そうした声を必要とする場面は案外たくさんあるのではないか。そんなことを感じさせてくれたお歌だった。
暮れの
大掃除のように
十二月に
俺を捨てる
女
よしだ野々
10p.
恋人との別離はただでさえ辛いものだが、よりによって十二月というのはクリスマスや年末など「誰かと集まって楽しく過ごす」予定が多い時期なだけに、余計に辛い。「大掃除のように」という比喩がまた効果的だ。捨てられた男の悲哀がよく伝わるが、どこか転んでもただで起きないような、力強さ・たくましさのようなものも感じられ、そこがすごく好みだった。
孤独の表面が
曇ってきたので
夜更け
静かな色の布で
磨いています
南野薔子
13p.
これは傑作だと思う。使われている言葉がどれも的確で効果的。作者にとっての「孤独」は、「透き通っているもの」であり、同時に「大事なもの」であるのだろう。自分の孤独としっかり向き合い、またそれを慈しんでいる人にしか、こういう歌は書けないのではないか。「静かな色の布」という表現がものすごく好き。
なんか
いいなあー
君がそこにいるだけで
なんか
いい
野村久子
50p.
言われてみたい台詞である。美辞麗句を並べ立てた褒め言葉より、「なんかいい」という言葉が何より嬉しい場合もある。しかも何かをしたり、言ったりといった「行動」を褒めているのではなく、「そこにいるだけ」という「存在」そのものの肯定である。ある意味、究極の褒め言葉ではないだろうか。もちろん言ってくれた方との関係性にもよるだろうけど。
自分が
気持ちいいときは
たいてい
失敗している
と思っていい
神島宏子
80p.
わかる、わかる、と大げさに頷いてしまう。自分が気持ちよく喋ったりしているときは、相手は意外と飽き飽きしてそれを聞いていたりして、基本的に出し手と受け手の「気持ちよさ」が合致することはあまりないと思っている。自分が「たまに」楽しいのは健康的だが、自分ばっかりが楽しいのはどこかバランスを欠いていると思った方が良い。大事な戒めを教えてくれるお歌だ。
横たわる
小さくなった
躰の脇で
ウタをメモする
ショーマストゴーオン
西條詩珠
113p.
特集「おっちゃん」より。亡くなられた泊舟さんのことを詠ったお歌であろう。なきがらの横で、五行歌づくりをしているという、何とも生々しい迫力のあるお歌。「ショーマストゴーオン」という言い回しが好きだ。何が何でも、どんなことでも、歌を書き続けてやろうという、作者の執念のような気魄が伝わる。
芯からわたしに
足りぬものは
金でしか
買えない
自由なのだ
金沢詩乃
211p.
金でしか買えない自由とは何だろう、と考えさせられた。自由とは束縛されていない状態のことであろうから、金のために束縛されているとすれば、一番に思いつくのは労働だろうか。作者は仕事に忙殺されており、自分のために使う時間が足りないのだと推察した。「金でも買えない自由」であれば、少々陳腐であるが、「金でしか買えない自由」というのが新鮮。不思議な説得力がある。
えらい
えらい
仕事をする
姿を見ると
みんなえらい
中野忠彦
222p.
ほんとうにそう思います。働くのは大変。みんなお疲れ様です、という気分になる。作者はもしかしたら、もう仕事をリタイアされているのかもしれないと思ったりもしたが、仕事をしている方への敬意を忘れない姿勢に好感を持った。みんな色々なものと折り合いを付けて、働いている。この歌のような気持ちを忘れずにいたい。
支えた夫が転(こ)くれば
私も転くる
手を引き上げれど
共に又転くる
かじかむ夜ふけ
矢野キヨ子
250p.
ご夫婦の姿を想像して温かい気持ちになった。歩くときも転ぶときも一蓮托生。綺麗事だけではないお二人の絆を感じた。ハートウォーミングなお歌のようにも読めるが、五行目の「かじかむ夜ふけ」から、どこか心許なさや不安感も想起させる。味わい深いお歌だと思う。
しょうがの漬物が
美味であった
茶にあうだろうと
思う私
十七才
長谷紗弥香
259p.
若い作者と、しょうがの漬物との取り合わせが面白い。渋好みの自分を自分で面白がっているかのようで、そこが逆に若さを引き立てていて、読後感がさわやかだ。「美味であった」という言い方や「お茶」ではなく「茶」と言うところも仰々しさが感じられてよい。
昔読んだ本に
意味不明の
アンダーライン
当時の自分が
理解できない
としお
261p.
あるある!と共感してしまった。受験勉強で読んだ本など、今見ると全然重要じゃない箇所に蛍光ペンでマークしてあったりする。たいていそういう本は当時の自分にはちょっと難しめな本であったりして、カタチだけでも理解した気になりたかったのか、一生懸命さが空回りしていたのか、どことなく微笑ましい気分にさせてくれるお歌だった。
「お笑い番組は
くだらないね」
と言いながら
二人で笑ってしまう
たいせつな時間
黒乃響子
308p.
なぜ「くだらない」と批判を受けつつも、お笑い番組がこの世からなくならないのか、その理由がわかるようなお歌。ドキュメンタリーやニュース番組ではなし得ない、「たいせつな時間」をつくる力がお笑い番組には確かにあるのだと思う。良いお笑い番組を見ると、ふっと肩の力が抜けて、悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなるような、前向きな気持ちになれる。それは現実から目を逸らす、気休めやガス抜きのようなものかもしれないが、心を整えるという点においては、他の難しい番組よりも、お笑い番組の方が原始的で強い力を持っているように思う。歌の中の「二人」というのがどのような関係かはわからないが、たいせつな人との時間のお供には、テレビからネットへと媒体は変わるのかもしれないが、お笑い的な要素のある番組があり続けるのではないか。
(了)
雑誌『五行歌』2020年1月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
仕事をお休みしているので、本誌の読み進めが快調です。前回に引き続き、雑誌『五行歌』2020年1月号のお気に入り作品をご紹介します。
遠慮ではなかった足りなかったのは本気と勇気宮川 蓮41p.
五才の孫娘がスティックと足で操る電子ドラムセット胎教のラルク・アン・シエルに夢馳せて静43p.
数本の深い傷を懐に薄っぺらく生きる岩瀬ちーこ51p.
猫が温めた椅子に信長の気分で座るようやった中山まさこ96p.
遠からずきみは死ぬだろう遠からずぼくも死ぬだろうその後も 雲は流れ木々は揺れ草は戦(そよ)ぐだろう村田新平119p.
きっと闇と戦い始めた坊やの輝き菅原弘助191p.
お菓子の空き箱を立体のアートに変える若き作家の指先には赤い胼胝(たこ)福田雅子194p.
風邪をひくとお隣から上の階から毎日お惣菜が届く高層団地の長屋暮らし秋川果南202p.
言うだけで何もしないのね言ってしまって自分の言葉に自分が傷ついている岡本育子276p.
「できない」とふつうに言えなんとか、やったあとも「できなかった」と普通に言え山川 進284p.
雑誌『五行歌』2019年12月号 お気に入り五行歌
トライが決まる日本勝利明日から変われる とたくさんの人がそう思った玉虫11p.
来世はだんご虫になってじっとしていたい河田日出子69p.
殺意殺人二つの間に物を置けいいものをおけ山川 進82p.
森離れ荒野に一本だけ立つ樹よ君だけが陽を全身に浴びているとしお97p.
歌詠みの歌知らず己の未熟を知らずして成長はないひさし101p.
スイミーよ怒れ君は 君自身として認められるべきだった役割ではなく宇佐美友見138p.
(夢)(うん)(嘘)(かもしれない)(あ)(気球)(だね)(遠く)(誰も)(きっと)(憧れ)(観覧車)(いつか)南野薔子170p.
A「夢」B「うん」A「嘘」B「かもしれない」A「あ」B「気球」A「だね」B「遠く」A「誰も」B「きっと」A「憧れ」B「観覧車」A「いつか」
柱を巣食う害虫から益虫へのキャリアアップ講座山崎 光177p.
人の死はほんのしばらくいのちのはかなさを諭すリプル210-211p.
ランチセットのコーヒーに小さいお菓子が付いていると午後はとても幸せ茶わん232p.
心の渇きが止みませんそれを埋める術さえ思いつきません大橋克明273p.
九十二歳の母は会うたびに綺麗になっていく生まれ変わる準備をしている藤田典子276p.
中島みゆきを熱唱する浪人生励ますつもりが負けじと唄うばあちゃんのすがた神島宏子286p.
歌詞をどう解釈するか?(5)
- キリンジ『奴のシャツ』
では、このシリーズの最後にちょっと変化球な楽曲を。
難解で深読みを誘う詞世界に定評のあるキリンジの5thアルバム『For Beautiful Human Life』に収録されている『奴のシャツ』を取り上げたい。
一読しただけでは、「何のこっちゃ」だろう。何についての歌なのか、何が言いたい歌なのか、よくわからない人が多いのではないかと思われる。
まず、何といっても登場人物が多すぎる。親戚がいっぱい出てきて誰が誰やら状態だ。頭の整理も兼ねて、楽曲の主人公について、歌詞から読み取れるのは、
・一人称が「俺」であることから、おそらく男性である
・平日からプラプラしており、「遺産があればしばらくしのげる」とあることから、「俺」はおそらく定職についていない
・「継母」とあることから、現在の母親は実の母ではないことがわかる
・「親父の通夜」とあることから、父親が亡くなった(と言うより、この楽曲の時系列の中で亡くなっている)ことがわかる
・「親父」は、「しばらくしのげる」程度の遺産を残してくれている
・「叔父」から見た「俺」は、「深刻さが足りない」ように感じられる
という複雑な状況におかれた「俺」であるが、いったい彼の抱えている問題とは何か?
上記の状況から、父親の死に直面したというのに、「定職についていない」「深刻さが足りない」(ように見える)ということは充分、「設定」たりうるだろうが、いささか表面的で、問題はもっと深層にあるような気がしてならない。
ここでは3度のサビで繰り返される以下のフレーズにこそ、真の問題が隠されていると考えたい。
「ボタンを掛け違えたまま大人になるのは嫌ね。」
(中略)
「ボタンを掛け違えたまま年をとるのは恥ずべきことだ。」
(中略)
「ボタンを掛け違えたまま年をとるのは切ない。」
1番は姪の視点、2番は叔父の視点、3番は「グラスの底に沈む顔と目が合えば」とあることから、おそらく「もう一人の自分自身」の視点ではないかと想像できる。
つまり、この楽曲における「設定」とは、
「俺」は「ボタンを掛け違えたまま年を取って」おり、それが良くないことだとと周りの人に思われている(あるいは自分でもそう思っている)ことである。
ここで、もう一度「俺」の境遇を思い返して欲しい。
「俺」の父親はそこそこの遺産を残していることから、ある程度、名を成した人物だと想像できる。
父親は「俺」の実の母親とは別れ、(死別か離別かは明言されていない)継母と再婚している。ある程度地位のある人物にありがちなことで、成功を収めてから、若い女性と再婚したとは考えられないだろうか。
いずれにせよ、そういった結婚は「俺」の望むところではなかっただろう。
また、父親の死因であるが、おそらくは病死であると考える。「今夜 あつらえた黒のスーツを下ろす」とあることから、礼服を(おそらくオーダーメイドで)新調する猶予があったことがわかる。突然死ではなく、「父親の死」を受け入れる期間があったからこそ、「そっか、じゃあ礼服を作ろう」と、「俺」は思ったのだろう。
「俺だけのシャツの着こなし」とある通り、この礼服を「俺」は「親父の通夜」で、独自の(おそらくは場違いな)着こなし方で着ているようだ。そこを叔父に見咎められ「深刻さが足りない」と説教をされているのだ。無理もない。叔父からしたら定職についていない甥が、彼の父親の通夜にチャラチャラした格好で現れたわけで、説教の一つもしたくなるというものだ。(「俺」はひょっとしたら、この通夜の喪主かもしれないのである)
名を成した人物の息子というのはとかく周囲に期待される。「俺」も決してその例外ではなかっただろう。厳しく育てられたか、甘やかして育てられたかは分からないが、「俺」が定職についていないであろうことから、その子育ては「父親」の望んだ通りにはいかなかったであろうと想像できる。(我が子の無職を願う親はあまりいないだろう)
いかん、ちょっと妄想が暴走してしまった。
つまり、何が言いたかったかというと、この楽曲の「設定」をもっと分かりやすく言い換えるなら、下記のようになるのではないだろうか。
「俺」は、周囲の人が望むような大人になれなかったと周囲の人から思われており、自分でもそう感じている。
この問題に対する「解決」は、上記で抜粋した「ボタンを掛け違えたまま~」の後ろの部分を見ればよいと思う。
ああ、聞いた風なことを言う娘だね
(中略)
親父の通夜でからまれる
(中略)
ああ、知ったふうな事を言うね
1番、3番を見る限り、「俺」は「ボタンを掛け違えたまま~ 」のくだりの助言(皮肉?)を真に受けていないように感じる。3番でその助言を言ったのは自分自身であるにもかかわらず、だ。
2番だけ、少し違うが、「からまれる」という表現からすると、叔父の助言が骨身に染みているとは言い難いだろう。通夜でおそらく酒も入っていることだろうから、「面倒くさいオッサンにからまられたな」くらいにしか感じていないのではないだろうか。
つまり、「俺」は周囲の人たちが期待するような大人になっておらず、そのことを折りにつれ周囲の人たち(自分自身も含めて)から指摘されているのにもかかわらず、そのことに「聞く耳を持たない」のである。
3番のサビの前半部分に、重要な部分がある。
俺だけのシャツの着こなし 姿見の前を逃げ出し
「俺だけシャツの着こなし」とは、前述の叔父に怒られたチャラ男ファッションのことであろうが、本当にそれだけの意味だろうか?今一度確認したいのは、この楽曲のタイトルが「奴のシャツ」だということである。つまり、この曲において、「俺」の「シャツ」は重要キーワードであるのだ。
「シャツの着こなし」とは何の比喩であろうか?
この場合のシャツは礼服・スーツであることにも注目したい。礼服はハレの日に着るもので、スーツは男性であれば仕事で毎日着るものだ。少し強引に解釈するなら、「シャツ」は「社会性」の象徴である、と言えるかもしれない。
「社会性の着こなし」というのであれば、それは「(社会における)生き方」と言い換えることもできるだろう。
次に、「姿見の前を逃げ出し」とあるが、これはもっとわかりやすい。
「姿見」とは「鏡」であり、「自分を客観的に見るための道具」である。「鏡の前を逃げ出し」ているのだから、「俺」は「自分を客観的に見ることを放棄」しているのである。
こうなれば、すでに自分自身からの助言にも耳を貸さないことは前述した通りである以上、「俺」を戒めるものは何もない、ということになる。
つまり、この楽曲の「解決」とは、
「俺」は、周囲の人たちからの助言・皮肉に対して、聞く耳を持たず、自分を客観的に見ることを放棄し、自分だけの生き方を貫いている。
あらためて、「設定」と「解決」をまとめると、この楽曲の物語は以下のように整理できる。
周囲の人が望むような大人になれなかった「俺」が、自分を客観的に見ることを放棄し、自己肯定に至るまでの物語
過去に取り上げた3つの楽曲は、どれも前向きな余韻を残す楽曲だったと思うが、この楽曲は果たしてハッピーエンドなのだろうか?
それは、聴く人の判断に任せられている、としか言いようがない。遺産を食いつぶして、破滅しか見えないバッドエンドと言う人もいれば、「俺」を苦しめてきた様々なしがらみから自由になり、自分だけの生き方を見つけた人への応援歌(今で言うなら「アナ雪」的な)と言う人もいるかもしれない。
他にも、「俺」は「継母の従兄弟」に何故会いに行ったのか?とか、「俺」っていったい何歳くらいなんだ?とか、いくらでも妄想を働かせて語ることはできるのだが、本筋から離れてしまうので、ここでは割愛する。
作詞・作曲の堀込(兄)さんがこの楽曲で伝えたかったのは、メッセージではなく物語だろう。わずか300字足らずの歌詞で、これだけ妄想をかきたてる作詞家の腕前には脱帽というしかない。
さて、この歌詞解釈シリーズはいったんここで終わりです。また書きたくなったら書くかもしれません。最後までお読みいただきありがとうございました。
※この記事は2016年1月7日にmixiの日記として公開したものに加筆・修正を加えたものです。
(了)