ひげっちが好むものごと。

詩歌とボドゲを中心に書きたいことを書きます。

五行歌の評価基準(ひげっち流)

 どうも、ひげっちです。

 

 いわさきくらげさんの歌会での新採点方式に関する以下の記事を読んで、大変感銘を受け、自分は五行歌を読むときにどこに注目しているのか、と自問しました。

 

blog.livedoor.jp

 

 

 半年遅れくらいのペースになってはいるものの、雑誌『五行歌』に載っているすべての歌を読むということをある程度続けてきて、朧気ながら自分の中に歌の評価基準というものができてきたように思います。

 

 自分が五行歌を評価するときに注目している点は、下記の5点です。

 

1.想い・伝えたいこと・世界観
   その歌に込められた想い、歌を通して誰かに伝えたいこと、提示したい世界観などが感じ取れるかどうか。また、それらが自分の好みに合うかどうか。


2.言葉遣い・表記
   1.を表現するための手段として、ひらがな・漢字表記、口語・文語、旧仮名遣い、同義語、記号(カッコ、疑問符、感嘆符、句読点等)などの選択が適切であるかどうか。また、それらが3.と調和しているかどうか。


3.呼吸・リズム・構成
   1.を表現するための手段として、改行、一行ごとの文字数、韻律、台詞(会話文)、倒置法などの選択が適切であるかどうか。また、それらが2.と調和しているかどうか。


4.詩の形象
   文字に書かれた状態における歌の視覚的な外観と、それから読み手が受ける印象やイメージが、1.~3.と調和しているかどうか。


5.新規性・工夫・アイディア
   1.~4.の表現に、目新しさや工夫、アイディアなどが感じられるかどうか。ありきたりで平凡な歌になっていないかどうか。

 

 もちろん他にも評価基準はあり得るでしょうが、今のところ、私はこの5項目にある程度納得しています。1.~5.のどこに重きを置くのかは人によって様々でしょうし、極端な話、その日の気分や体調によっても変わってくるものでしょう。どんなに基準を設けても、最後は人間が評価するのですから、評価は生モノ。だから歌会は楽しいんでしょうね。あ~早くリアル歌会に行きたいです。

 

 

(了)

雑誌『五行歌』2019年11月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。

 

 相変わらずコロナの影響が続いており、それなりにストレスフルな毎日ですが、その一方、オンラインのあれこれを使ってそれなりにこの状況を楽しんでいる毎日でもあります。まだまだ油断は禁物ですが、少しずつ日常が戻り始めている気配も感じます。

 

 雑誌『五行歌』2019年11月号のお気に入り作品をご紹介します。

 

 

どんなに
独房を
共有しようとしても
そこには
あなた一人しかいない

 

憂慧
6p.

 

 「あなた」が誰を指すのかで、解釈が変わってくるであろうお歌。歌から読み取れるのは「あなた」は「独房を共有しよう」としている存在であるというだけである。「独房」を言葉通り解釈するなら、何らかの罪を犯して刑務所のようなところに居る人ということになろう。「あなた」がその境遇を「共有しよう」としているとは、一体どういうことだろう。何かの比喩のようにも思える。例えば、大きな事件を起こして捕まっている人が自身の考えを正当化したり、共感してもらおうとしたりする行為のこと指すのかもしれないと思った。そうした行為に対して、その考えを是としない、きっぱりと拒絶するような作者の姿勢がよい。「あなた」がいま「独房」に居るということ、それ自体が「あなた」がしたことの答えなのだよ、と言うかのような冷静な視点に惹かれた。

 

 

何十年も
何の努力もせずに
才能ないもんなあと
言っている馬鹿は
この私です

 

樹実
14p.

 

 どこまでも潔いお歌だと思う。私もよく、すごい人のお歌を見て打ちのめされ、「どうせ自分には才能がないしなあ」などと思ったりする。そうした自分をあれこれ言い訳することなく、「何の努力もせず」「馬鹿」と切り捨ててみせる思い切りの良さに清々しさを感じる。これは逆説的にほんとうに才能のない人には書けないお歌ではないか。これほどシビアな自己批評と現状認識が感じられるお歌もなかなかない。

 

 

二度手間
三度手間
たくさんの人に
かけてもらって
育ってきたよ

 

芳川未朋
21p.

 

 周りの人たちの丁寧なサポートのおかげで成長できた人物のことを詠っている。この「育ってきた」主体が作者ご本人なのか、あるいは作者の近しい誰かなのか、二通りの解釈ができそうなお歌だが、この歌の魅力はその解釈に左右されないところにある。つまり、どちらの解釈であろうと周り人たちへの惜しみない感謝が滲み出ているし、おそらくはゆっくりとしたペースで成長してきた主体のことを恥じることなく、慈しんでいることが伝わってくる。簡単な言葉でサラッと詠われているのに、読み手はしっかりとした満足感が味わえる。流石と言うしかない。

 

 

蝶々年取りゃなんになる
ボロボロ羽の蛾になるさ
蛾 年取りゃなんになる
悲しい瞳の夜鷹になるさ
夜鷹 年取りゃ石になり
ずっと黙ってそのまんま

 

三隅美奈子
63p.

 

 挑戦的で意欲的なお歌。読んでいて、着物を着た浪曲師が三味線で弾き語りをしている様子がイメージとして浮かんだ。蝶々が、蛾になり、夜鷹になり、最終的には石になるというのも普通ではありえないことなのに、寓話のような語り口と綺麗に揃えられた文字数のためか、何とも言えない説得力で読み手は納得させられてしまう。こういうお歌が発想できるのがまず素晴らしいし、文字数や行数にも試行錯誤の跡が伺える。評価されるべきお歌だと思う。

 

 

みんなの心が
ステーキのように
机に置かれているから
おいでよ
歌会へ

 

鳴川裕将
75p.

 

 歌会の魅力を絶妙な比喩で表現されていて惹かれた。「歌会へ行こう!」がテーマの五行歌コンテストがあったら、この歌が優勝作品ではないだろうか。歌会参加者の皆さんの心を、「ステーキ」というご馳走の代名詞のような料理に喩えられている点が好きだ。そうなのだ。歌会での皆さんの歌は、皆さんの心であり、読み手にとってはご馳走なのだ。4,5行目の呼びかけるような、標語のような、まとめ方も効果的。

 

 

さびしさを
病いの夫に話さず
枯れた茗荷の
茎を
抜く

 

小原淳子
128p.

 

 おそらくは実景を詠ったお歌であろう。作者はさびしさを抱えているが、それを話したい相手である夫は病いを抱えており、それを受け止める余裕がないことを知っている。そこで作者はさびしさに耐えながら、「枯れた茗荷の/茎を/抜く」のである。「枯れた」という形容詞が付いていることが、作者の抱える「さびしさ」、夫の抱える「病い」があまり軽いものではないこと暗示しているかのよう。4,5行目の改行も胸が詰まるさびしさを丁寧に噛みしめるかのような呼吸が伝わる。名作だと思う。

 

 

婿にも父親にも
大事にされる
甘え上手な娘
蹴り倒してやりたいと思う
瞬間がある

 

大本あゆみ
129p.

 

 娘さんが甘え上手であり、配偶者や父親に大事にされているというのは、決して悪いことではないだろうし、むしろ歓迎すべきことのようにも思えるが、4,5行目の書きっぷりがリアル。女性同士の目線の本音を見た気がした。かといって、この母娘の関係は決して険悪であるわけではないと思う。甘え上手な娘さんは、きっと作者である母親とも良い関係を築いているように想像する。「蹴り倒してやりたい」というのは、あくまでふと頭によぎる瞬間的な衝動であり、基本的には「上手いことやりやがって」という軽い嫉妬と頼もしさが綯い交ぜになった感情が娘さんに向けられているように感じた。

 

 

「私は生きていていいの」
愛情を受けなかった子が
一生抱える
深い闇のような
自問

 

岡田道程
162-163p.

 

 ずしん、と重いものが心に残るようなお歌だ。愛情というものが何たるかについては、私はまだ答えを持たない。ただ、40年あまり生きてきておぼろげに分かってきたことは、子供の頃に身近な人間から愛情を受けることが、その後のその人の成長において、とても大切であるということ。そして、愛情というものは、何をどれくらいをどのように与えればよいというような、具体的な目安があるものではなく、「受け手が満たされなければ充分とは言えない」という極めてあやふやで曖昧なものだと感じる。だから、みんな手探りで試行錯誤しながらやるしかないのだ。充分な愛情を与えられなかった親も、また充分な愛情を受けられなかった子供時代を過していたのかもしれない。深い闇のような連鎖を断ち切ることが出来るものは何なのか。自問を続けたい。

 

 

あり一匹一匹
協力してる
人間も
そうできたら
いいですね

 

川越市立高階中学校一年
山口晃太郞
230p.

 

 一生懸命協力して働く蟻たちを観察して書かれたお歌だろう。絶妙なシニカルさが感じられて、人間を信じたらいいのか、信じたらいけないのか、値踏みしているかのような感性に惹かれた。最近の研究では、働き蟻の中にも一定数、休憩を取っている「働かない蟻」が分かってきているとか。適度な休憩を取りながら、連携を取って協力して、一人一人が一生懸命に働く。本当に人間たちも、そうできたらいいですね。

 

 

つい、夫への愚痴を吐露した
無神経な私を
ご主人を亡くされた友は
にこやかに にこやかに
聴いてくれた

 

泉 倫子
273p.

 

 状況が容易に想像でき、うっかりと悪気なく失言してしまう場面にも共感を覚える。4行目の「にこやかに」のリフレインも効いている。穏やかなご友人の人となりがお歌から伝わってくる。作者はご友人のことを思い遣っているからこそ、自分を「無神経」と責めているのだし、ご友人もそういう性格の作者が相手だからこそ、愚痴をにこやかに聴くことができたのだろう。やさしさの連鎖のような、せつなくも温かいお歌だ。

 


(了)

【告知】ウイルスに負けるな!「第2回オンライン五行歌会」を開催します【参加者募集!】

 どうも、ひげっちです。

 

 5月4日(月・祝)に、
「第2回オンライン五行歌会」を開催します!!

 

 新型コロナウイルス(COVID-19)の影響が長期化する中、前回に引き続き楽しい会にできればと思っております。5月の大型連休中、何処にも出かけられないよ~、という方はぜひご参加ください。

 

 今回から、使用するアプリをZoomに変更し、歌会の形式としては、採点なしで、無記名の作品プリントを見ながら、コメントを言い合う形式に変えたいと思います。色々試行錯誤して、よりよい形式を見付けていければと思っております。

 

 

  • 参加要件
  1.  前日(5/3)の21時までに、自分の五行歌一首をご用意できる方。
    五行歌作品は、メールもしくはTwitterのDMにてお送りください。
    五行歌の経験・未経験は問いません。

  2.  開催時間にビデオ会議ソフト・Zoom(ズーム)をインストールしたPC・タブレットスマホ等を利用できる環境にある方。
    ※Zoomについて
    https://zoom.us/jp-jp/meetings.html
    ※Zoomは参加者の皆さんに自分の顔が見えるビデオ通話と、音声のみの通話が選べます。どちらを選ぶかは任意とします。
    ※参加者の皆さんへは当日10分前くらいにトークルームに接続するためのリンクを、TwitterのDMかメールにてお送りさせていただきます。

 

  • 開催要項

    日時:2020年5月4日(金)14時〜17時(予定)
    準備:開催時間になりましたら、Zoomに接続してお待ちください。プリントは当日の午前中を目途に、メールかTwitterのDMを通じて事前配布いたします。また、歌会中はZoomの画面共有の機能でプリントを共有する予定です。
    参加費:無料
    定員:10名(先着)
    申込み方法:
    Twitterアカウント(@hidgepaso)もしくは
    hidgepaso0713@gmail.com まで、
    参加希望の旨と、

    ①筆名(フリガナ)
    ②自作の五行歌一首

    を記載してご連絡ください。

    〆切は5月3日(日)21時までとさせてください。

    以上、よろしくお願いいたします!

 

【告知】みんなのオススメの曲教えて!「Zoom音楽鑑賞会」を開催します【参加者募集!】

 どうも、ひげっちです。

 

 5月1日(金)に「Zoom音楽鑑賞会」を開催したいと思います!

 

 ひげっちはカラオケで他の人の曲を聴いて、「こんな良い曲あるんだ~」「この歌詞いいな~」とか思ったりするのが大好きなのですが、なかなか誰かとカラオケにも行けないご時世。外出できないけど、音楽好きな人達と楽しい時間を共有したい、との思いから、また、Zoomに音声共有の機能があることを教えてもらったことから、この企画をやってみようと思いました。

 

  • どんなことをやるのか?

    現在のところ、以下のような流れで考えています。
  1.  事前準備
    参加者には事前に1人につき1曲、オススメの曲を用意してもらう。ジャンルは不問です。J-POP、洋楽、アニソン、JAZZ、演歌、クラシック・・・何でもアリです。

  2.  オンラインで集合
    当日時間になったら全員でZoomに接続。(ビデオのオン・オフは任意)

  3.  順番決め
    適当な方法でプレゼンの順番を決める。

  4.  事前プレゼン
    その楽曲の基本情報や、ネタバレにならない範囲で自分が好きなところについて語ってください。目安は一人5分くらいかな。とりあえず一回目は時間制限を設けずにやってみます。

  5.  楽曲の視聴
    実際に音声共有でみんなでオススメされた楽曲を視聴します。視聴中はマイクをミュート推奨です。

  6.  事後プレゼン
    楽曲の視聴後、あとのせサクサク的な感じで、歌詞に言及したり、裏話等を紹介したり、楽曲の魅力をより具体的に語ってください。事前プレゼンだけでよい人はやらなくても結構です。

  7.  雑談タイム
    楽曲とプレゼンを受けて、みんなで感想や質問などを言い合いましょう。好みは人それぞれですので、過度な批判や頭ごなしの否定はお控えください。

  8.  くり返し
    4.~7.を人数分くり返して、おしまい。全部で2時間くらいを予定しています。

  • 参加要件
  1.  当日(5/1)までに、オススメの楽曲を1曲ご用意できる方。
    ※当方、音楽のサブスクリプションサービスの「Apple Music」を利用しています。「Apple Music」内か「YouTube」で無料で視聴できる楽曲であると助かります。基本的に、音声共有はホストである私のPCから行おうと思いますが、ご自分のPC・タブレットスマホ等から、音声共有を希望される方はお申し付けください。
    ※あまりに演奏時間が長い楽曲は、みんなの集中力がもたないので、お控えください。目安としては演奏時間が10分以内の楽曲であると助かります。

  2.  開催時間にビデオ会議ソフト・Zoom(ズーム)をインストールしたPC・タブレットスマホ等を利用できる環境にある方。
    ※Zoomについて
    https://zoom.us/jp-jp/meetings.html

  • 開催要項

    日時:2020年5月1日(金)21時〜23時(予定)
    準備:開催時間になりましたら、Zoomに接続してお待ちください。
    参加費:無料
    定員:6名(先着)
    申込み方法
    Twitterアカウント(@hidgepaso)もしくは
    hidgepaso0713@gmail.com まで、

    参加希望の旨と、
    ①お名前(フリガナ)
    を記載してご連絡ください。

    以上、よろしくお願いいたします。

    初めての試みなので、ドキドキですが、楽しい集いになることを願っています!

雑誌『五行歌』2019年10月号 お気に入り五行歌

 どうも、ひげっちです。
 
 最近、紙上歌会やオンライン歌会に出まくっているので、歌のストックが底をつきつつあります。引きこもりまくりで、時間はあるのですが、ひらめき不足で、なかなか新しい歌ができません。でも、〆切に追われる日々というのも未体験で、少しワクワクする気持ちもあり、心細くもありますが、楽しいです。
 
 2019年10月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。
 
 
創りながら
壊している
ほんとうの姿が
まだ
見えないから
 
永田和美
8p.
 

 

 大いに共感し、また勇気付けられたお歌。作者ほどの方でも、まだ自分のほんとうの姿というものは見えないのだな、と素直に感動した。創りながら壊すというのは、表現活動の基本である試行錯誤を指しているのだと読ませていただいた。私から見れば、すでに作者は確固たる作風を確立されているように思えるが、現状に満足することなく創作に向かう姿勢が、大きな刺激になった。
 
 
 
 
遺書にすら
検閲のあった
あの時代
特攻隊員の本音は
潮騒の中
 
いぶやん
18p.

 

 筆者は、特攻隊のことを取り上げたテレビ番組か何かで、年端もいかない少年達による「お国のために死んできます」というような立派な遺書が紹介されているのを見て、素直に「すごい」と思ってしまったが、よく考えてみればこのお歌の通り、遺書にさえ検閲のあった時代であったのだ。彼らの遺書の言葉を額面通りに受け取って、特攻隊を美談にするような行為は危険だと感じた。本当は「怖い」「逃げたい」「帰りたい」といった本音を抱えていたかもしれない彼らを、英霊ではなく、ひとりひとりの人間として認識することで、改めて平和の尊さが真に感じられるように思う。
 
 
 
 
の娘 の妻
の母 の祖母という
ペルソナ取れば
カオナシの私の
眠る真夜中
 
三隅美奈子
20p.

 

 人間は、各々の社会的役割を拠り所にして生きる動物であるということに男女差はないと思われるが、女性の場合、家庭内での役割が男性に比べてより重要視されやすいという現実があるのだろう。そのペルソナと自分を切り離したときに、作者は自分のことを「カオナシ」と詠う。これは、筆者がそれだけ家庭の中での役割を懸命に果たしてきたことの証左だと思う。同時に、自分本来の願望・想い・価値観などを必死に我慢し、抑えてきた悲哀も感じる。作者の境遇と重なる部分は多くはないが、歌を通じて作者の想いが想像できる。名歌とはこういう歌を言うのだろう。
 
 
 
 
友が
死んだ
ぐんぐん ぐんぐん
炎天を
歩く
 
秋山果南
23p.

 

 3行目の「ぐんぐん ぐんぐん」が秀逸。友が亡くなって、打ちのめされそうになる気持ちを必死で堪えようと、せめて歩調だけは力強くあろうという感情が伝わってくる。左右対称の形も綺麗で好み。友が自分にとってどういう存在であったかの描写はないものの、故人が大切な存在であったことが読み手に伝わる。
 
 
 
 
そのままに
在ればいい
歌一首
逃げ隠れできない
自分なのだから
 
酒井映子
42p.

 

 

 

 圧倒的な説得力。なかなかこのお歌の境地には達することができないので、色々と小手先で何とかしようとしたり、自分を取り繕ったりしてしまうが、歌には嘘はつけないということだろう。作者の歌を読むと、いつも「歌は背骨である」と思わされる。生き様というか、生きる姿勢が書く歌に表出するものだと感じる。大切にしまっておいて、時々読み返したくなるようなお歌だ。
 
 
 
学校でのイジメ
会社でのパワハラ
介護施設での虐待
イバラの道の日本人
 
110p.

 

 イジメやパワハラや虐待は、何も日本人だけに限ったことではないだろうが、何となく日本ではそういった行為が陰湿化しやすいイメージがある。村社会の処世術が染み付いているせいか、自分が標的にされないために、あるいは自分達のストレスの捌け口のために、イジメやパワハラや虐待をどこかで容認してしまっている人も多いだろう。ニュースで見る他人事ならともかく、実際の現場にいたときに声を上げてこれらに「NO」を言える勇気がある人がどれだけ居るか。少なくとも私にはその勇気はない。そっと見て見ぬふりをする自信がある。5行目のまとめ方に、現実に対する諦観や憤怒とはまた違う、作者ならではの視点が感じられて惹かれる。
 
 
 
 
人気のタピオカドリンクに
三時間並ぶ少女たちの
知らない所で
水汲むために八時間も
砂漠を歩く少女がいる
 
嵐太
128p.

 

 タピオカドリンクという流行り物を取り入れた対比がお見事。事実のみを冷静に伝えて、何を感じるかは読み手に委ねるような淡々とした筆致が効果的だと思う。頭ごなしにタピオカ好きの少女達を否定していないところが好きだ。正しいこと、立派なことを述べる時には、その言い方・伝え方に注意しなければならないとつくづく感じている。相手の痛いところを突くような指摘は、あくまで丁寧に、高圧的にならないように伝えないと、相手の反発を招きかねない。その点、このお歌のスタンスは理想的ではないか。そっと事実を伝えて、読み手の気付きを促す。作者の人間性が伝わるお歌だ。
 
 
 
 
生を死が呑み込む前に
命は 命を
命に 手渡す
個体には死が
命には永遠が
 
岡田道程
145p.

 

 少々難解なお歌である。特に2,3行目の解釈が分れるところだろう。親から子、子から孫へと遺伝子やDNAを繋いでゆく、といった意味合いであるようにも取れるし、あるいはもっと観念的な意味合いで、命の神秘さについてのお歌のようにも思える。つまり、肉体というのは生命にとってあくまで容れ物に過ぎず、個体が肉体的な死を迎えても、命そのもの(あるいは魂のようなもの)は、新たな肉体へと受け渡されていき、生命自体は永遠と呼ぶべきものなのかもしれない。輪廻転生という言葉があるが、そういった世界観を連想した。完全に理解できたとは到底思えないが、とても惹かれるお歌だ。
 
 
 
 
一瞬で
ふきこぼれる
素麺に
集中力を
試されている
 
玉井チヨ子
217p.

 

 何気ない日常を切り取った描写が鮮やかで、非常に魅力を感じる。麺類の中でも短い時間で茹で上がる素麺は手軽で美味しいので、筆者も一人暮らしの時にはよく食べていた。沸騰したお湯の中に素麺を投入すると、一瞬、沸騰が静まるものの、このお歌の通り、ちょっと油断するとあっという間に吹きこぼれるのだ。まさに4,5行目の通り、集中力が試される場面だ。共感を覚えるとともに、些細な家事もきちんとこなそうとする姿勢に敬意を覚えた。
 
 
 
 
『あなたって
  そういう人よね』
はい
そういう人には
そういう人です
 
つるばみ
306p.

 

 「そういう人」が3回もリフレインされる、面白い歌。そういう人が具体的にどういう人であるかの説明はないものの、「そういう人」という言葉自体が持つどちらかと言えば否定的な「含み」のようなニュアンスと、お歌の文脈から、読み手はこの会話を交わしている二人がお互いにあまり好意的なイメージを抱いていないことを感じ取れる。人付き合いは鏡のようなもの、とよく言われるが、こちらが相手に悪意を抱いていると、それが相手に伝わり悪意を返されることが多い。もちろん、逆もまた真なりである。4,5行目のサバサバとした物言いが心地よく、痛快。
 
 
(了)
 

雑誌『五行歌』2019年9月号 お気に入り五行歌

 こんにちは、ひげっちです。
 
 新型コロナウイルス (COVID-19)の影響が日常生活を侵食している今日この頃です。学校に行けない、行きつけのお店に行けない、いつものあいつらに会えない、プロ野球もJリーグも見られない日々にストレスを感じている方も多いと思います。
 
 人々が集う歌会も各地で中止になっていますが、紙上歌会やオンライン歌会などの取り組みも行われているようです。私もここぞとばかりに各地の紙上歌会に参加表明をしました。利用できるものは全部利用して、楽しく愉快に引きこもりたいものです。
 
 どうか、詩歌をやっている方々も、いい歌いっぱい読んで、いい歌いっぱい書いて、乗り切って参りましょう。乗り越えた先で、また笑い合えることを信じております。
 
 前置きが長くなりましたが、2019年9月号のお気に入り五行歌を紹介します。
 
 
 
納得のいく
たった
ひとつの
ことを
しよう
 
詩流久
88p.
 読んでいるこちらの背筋を正されるような、気持ちの良いお歌。日常を生きていると、時に簡単に答えの出ない複雑な問題に直面することもあるが、そんな時でも作者はきっと「自分が納得できるかどうか」を基準にスパッと判断を下されるのでは。格好良さに憧れてしまうと同時に、見習いたいと思わされる。
 
 
小さくて
大きな事業
伴侶を愛し
生涯
守り抜くこと
 
吾木香 俊
119p.
 未婚の私にはとっては、平伏すしかないお歌。パートナーを大切にすることを、「事業」と表現されたのが斬新で惹かれた。大切な伴侶と添い遂げることは、結婚した誰もが目指すところではあろうが、時に多くの困難がつきまとうことでもあろう。「事業」という言葉を決して大げさと感じさせない説得力が、このお歌にはある。
 
 
ぼくはみかん
はこのなか
みんなだんだん腐っていく
でもぼくは
ぜったい腐らないぞ
 
北里英昭
125p.
 一読するとユーモラスで可愛らしいお歌であるが、単なるみかんのお歌では無いだろう。社会詠であると読ませていただいた。みかん箱はモラルの低下した現代日本のメタファーであり、みかんはそこに住む人々のことを指しているのではないか。こんな時代でも、周りに影響されて腐ってなるものか、という作者(みかん)の心意気が伝わってくる。
 
 
心の真芯に
沁み込んで
鈴を鳴らすような
歌が
ある
 
高樹郷子
138p.
 歌とは、楽曲のことか、詩歌のことかは断定できないが、とにかく惹かれてしまうお歌。完璧と言っていいほどの完成度ではないか。まず、使われている言葉が悉く美しい。1~3行目の「心の真芯」や「鈴を鳴らす」という表現がお見事。4、5行目の思い切ったまとめ方もビシッと決まっている。文句の付けようがない名作。
 
 
愚かだと
誰もが解っていて
戦争は
なくならない
私も誰かを嫌っている
 
酒井映子
140p.
 なんと言ってもこれは5行目に尽きるだろう。告白じみた本音を堂々と詠まれているところに感心する。綺麗事や建前に依ることなく、人間と自身の本質を鋭く見つめる作者の視点は見事としか言いようがない。聞き心地の良い言葉ばかりを並べた方が、他人には好かれるかもしれないが、そもそも他人に好かれようとして詩作をしているのではない、という気概と覚悟が伝わってくるお歌だ。
 
 
もうすぐ
残照も消えて
黒い海は
波音だけ
吐く
 
パンとあこがれ
145p.
 日暮れ時の海辺の情景が浮かぶ。簡潔な言葉で情景描写をしているだけなのに、不思議と心に響く。「残照」「黒い海」といった言葉がどことなく寂しげなイメージを想起させるためだろうか。作者は元々海のそばに住んでいる方なのか、旅先の海なのか。作者はお一人で海を見ているのか、誰かと黙って海を見つめているのか。情報量が少ないために、かえって色々と想像が膨らむ。
 
 
豊かさ 貧しさ
恥じるのなら前者
たいがいは
自分以外の汗で
造られたものだから
 
村岡 遊
146p.
 自分の中に漠然とあった想いを、よくぞ巧く言語化してくださったというお歌。筆者は一人暮らしをしていた大学生時代はそれなりに貧乏だったが、幸いなことに食べるのに困るような本当の貧しさというものを体験したことは無い。日本という比較的豊かな国の、比較的豊かな家庭に生まれ、比較的豊かな生活をしてきた。それら全ては自分の力で獲得したものでは無く、単なる幸運によるものと言っていい。そうした「用意された豊かさ」に対する、罪悪感やコンプレックスのようなものを一時期よく感じていたものだ。もちろん自分自身で苦労して掴んだ豊かさは誇るべきであろうが、人の価値は「何をしてもらったか」ではなく、「何をしてあげられたか」で決まるのではないか。
 
 
絶交した
小姑と
和解する
夢を見た
不吉だ
 
島田綺友
158p.
 これも5行目が見事なお歌。4行目まで読み進めると、読んでいる方は「夢が正夢になるのかな」などと淡い期待を抱くが、それを一発で打ち砕くまとめ方が切れ味抜群。小姑さんのことを絶対に許さないという固い決意が伝わる。お二人の間に何があったのか想像が掻き立てられてしまう。酒井さんのお歌と同じく、決して自分のことを美化しない点に惹かれる。
 
 
こてんぱに
された帰り道
満月は
慰めてくれないから
一番苦いビールを買う
 
かおる
176p.
 「こてんぱん」じゃなくて「こてんぱ」なところがカワイイ。何かに打ちのめされた時、負けた時のお歌であろうが、不思議と敗北感ではなく、爽快感を感じるところが好きだ。確かに「こてんぱ」にされたものの、それは苦いビールを飲んで忘れてしまえる程度のことであり、そこから立ち直れる自分のことを信じて疑わない余裕が感じられる。「一番苦いビール」という表現も面白い。何となく第3のビール発泡酒ではなく、プレミアムなビールを選んでいるような気がする。気分の落ち込みにかこつけてプチ贅沢をしていることもまた可笑しい。味わい深いお歌だ。
 
 
嫁も正論
姑も正論
どうしようもない
平行線
嫁が姑に変化するまで
 
302p.
 ものすごく好きなお歌。ひとつの真実を詠っているお歌だと思う。育ってきた世代も環境も違う、嫁と姑という存在。どちらかが間違っているわけではなく、お互いの言うことはどちらも正論であり、ちょうどいい距離を保つことはできても、決して交わることはできないという様を平行線に例えた4行目までが秀逸。これだけでも充分に素晴らしいお歌だと思うが、最後の5行目がさらにこのお歌を特別なものにしている。ご自身の立場が嫁から姑に変化することによって、かつての姑の立場や気持ちを理解できるようになったということだろうか。交わらないと思っていた平行線に交点は生まれるのか。そうした時の流れが愛おしく感じるとともに、かすかな希望を感じさせる。見事としか言いようがない。
 
 
夕方の街
人々は学生ではなくなって
会社員でもなくなって
ゆっくり
街に溶け込んでいく
 
中山まさこ
316p.
 夕暮れ時の人々が行き交う街の情景が浮かぶ。一日の務めを終えた人々が、家路を急ぐ、あるいはどこか楽しい時間を過ごしに行くところであろうか。そうした人々のどこか開放的で温かな雰囲気が伝わってくる。5行目の「溶け込んでいく」という表現が素晴らしい。会社や学校などにいる公的な時間ではなく、アフター5の私的な時間に「街に溶け込む」わけであるから、この「街」は繁華街あるいは住宅街ということであろう。断定はできないが、このお歌から感じる温かさからするに、ガヤガヤと騒がしい繁華街より、落ち着いた住宅街を想像した。
 
 
母の知らない
世界を見た
父の否定した
世界で生きた
覚悟に悔いなし
 
数かえる
323p.
 ご両親との確執、自分の道を生きた気概。そこはかとない寂しさと、現状を肯定する力強さが同居するお歌だ。自分の人生を生きるとき、両親のサポートが有るのと無いのとでは、だいぶ難易度が違う。物質的な援助はもちろん、精神的な援助が貰えないという点で、両親の否定する生き方を貫くのは並大抵のことではなかったはずだ。そうしたご苦労を経てなお、「悔いなし」と言い切る潔さに惹かれる。
 
 
 
 
(了)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

写真で五行歌、はじめました。

どうも、ひげっちです。

 

 先日のオンライン歌会には9名ものご参加をいただきありがとうございました。日本各地+バンコクと色んな場所から色んな方々のお歌が集まって、とても楽しく刺激的な時間を過ごすことができました。

 

 ただ、Skype環境が整っていない方や、オンライン通話に抵抗があるという意見もチラホラ聞きましたので、そういった方も気軽に参加できる五行歌の遊びはないものか、とぼんやり考えていました。

 

 そんな中、とある五行歌人の方がTwitter上でとても素敵な写真をアップされていて、直感的に「あ、この写真をもとに五行歌を書いてみたい」という気持ちになりました。写真と五行歌を組み合わせてSNSにアップすることは私もよくやっていましたが、大喜利の「写真で一言」みたいに、写真からインスピレーションを受けて五行歌を作り、それを歌会みたいにしてオンライン上で採点し合ったら面白いんじゃないか、というアイディアを思い付きました。

 

 「思い付いたら、とりあえずやってみよう」が信条なので、私の観測範囲で一番五行歌人が多い印象のあるFacebookで「写真で五行歌(仮)」というグループを作ってみました。

 

・写真で五行歌(仮)※閲覧するにはFacebookへのログインが必要です。

www.facebook.com

 

とりあえず第1回の写真詠の作品を募集中です。

ご興味がありましたら、ご参加いただけましたら幸いです。

 

 

(了)