第6回ごいた都道府県支部交流戦神奈川大会を終えて
どうも、ひげっちです。
昨日(10/19)は、第6回ごいた都道府県支部交流戦神奈川大会でした。総勢124名のごいた愛好家の方々に横浜にお越しいただき、大会・懇親会と楽しい時間を過ごすことができました。
能登ごいた保存会神奈川支部員として、運営のお手伝いをさせていただきましたが、参加者の皆さんが楽しんでくださり、また、「運営お疲れさま」といった労いの言葉をたくさんいただき、今までの準備が無駄にならず、無事に大会を終えられたことにまずはホッとしております。
大会に参加された皆さま、神奈川支部員のみんな、ペアを組んでくれたよち犬さん、本当にありがとうございました!&お疲れ様でした!
・・・と、一通りのご挨拶を終えたところで、個人的に感じたことを書きます。
まず、今回特に感じたのは「ごいた」と「ごいたをやっている方々」に出会えて本当に幸運だったということ。大げさに言えば、まずごいたのある日本という国に生まれていなければ、ごいたを知らずに一生を過ごす可能性が高かったわけですし、その中でボードゲームという趣味にハマって居なければ、ごいたを知る可能性もグッと下がっていたはずです。さらに言えば、自分の周りにたまたまごいた好きなボードゲーマーが居なければ、今でもごいたをプレイしたことがなかった可能性も大です。この時代のこの国のこの趣味の方々と繋がれて本当に良かったなあ、と思います。
ごいたの魅力は色々ありますが、一番は「人」なんじゃないかと最近思います。ゲーム自体がシンプルであるが故、子供からお年寄りまで遊べるし、駒を通した味方と敵方の思考の読み合いが濃密に楽しめ、プレイ時間も短い故に何度でも遊びたくなる。そして、相手やペアが変われば見える世界はどんどん変わるし、同じ人でもどんどん成長してゆくので、一度として同じゲームは無い。こんなに人と人を密接に繋げてくれるゲームもなかなか無いんじゃないでしょうか。
でも、やりたい人が皆、ごいたをできているわけではないです。ごいたを好きでも色々な事情で深くのめり込むのを断念している人も多いはず。例えば、家庭やパートナーを大事にしていたり、他の趣味との兼ね合いや、経済的事情、あるいは心理的なハードルが高かったりして、大会参加を諦めている人もいるでしょう。自分がごいたを打てているということが本当に多くの幸運と巡り合わせによるものなんだということは、忘れずにいたいです。
最後に、大会を終えて、全国のごいた打ちに一つだけお願いがあります。
また、ごいたしましょう!
(了)
雑誌『五行歌』2019年6月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
このブログをご覧の皆さま、台風19号の被害は大丈夫でしたでしょうか?
幸い、ひげっちの住む地域には大きな被害はありませんでしたが、
五行歌仲間の中には、甚大な被害を受けられた方々もおられることと思います。
お見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧を祈っております。
さて、すっかり更新が遅くなりましたが、
2019年6月号のお気に入り五行歌を紹介させていただきます。
今月はいつも以上に自分に「刺さる」お歌が多かった印象です。
結局
己と向き合うのが
一番飽きない
道楽である
極めて死のう
金沢詩乃
p.20
表現の根源をズバリと言い当ててくれる、気持ちの良いお歌。己と向き合い、出てきたモノを表現するというのは、突き詰めれば「道楽」であるという認識が素晴らしい。決して「生業」や「仕事」ではないのだ。何より自分が楽しむためにやっているのだと思うだけで、読んでいるこちらの気持ちも軽くなるような、力のあるお歌だ。「死のう」と言い放って終わるお歌なのに、ちっとも暗い印象は受けないところもいい。
どうやら私は
馬鹿ではないらしい
と思う程の
どうやら私は
馬鹿ではあるらしい
漂 彦龍
p.21
ややこしくて可笑しいお歌。きっと作者の心には、自己否定と自己肯定の薄い膜がミルフィーユみたいに交互に積み重ねられているに違いない。自分を「馬鹿じゃない」と思えるほど脳天気ではいられないが、心の底から「自分は馬鹿だ」と割り切れるほどプライドは低くない。不器用さ、生きづらさ、といった言葉が思い浮かぶ。しかし、作者はそんな自分自身を卑下することもなく、過信することもなく、ありのままの逡巡自体を表現として昇華してみせる。力みの無い凄味を感じるお歌。
はしっこで
文句を言ってる
気楽さよ
いつまでも私
弱者でいたい
王生令子
p.83
自分の狡さを指摘されたようでドキッとしたお歌。誰しもが思い当たる節のある指摘ではないだろうか。例えば、政治家や上司について文句を言うとき、文句を言えるのは責任が無い者の特権であるとも言える。自分が何か決断をして、物事を決めていかねばならない立場にあれば、誰からも文句を言われないようにするのは不可能であろう。狡さを認識したうえでなお、「弱者でいたい」と詠っているところが心憎い。
現実は
逃げられない
から
もう一つの世界で
遊ぶ
鮫島龍三郎
101p.
特集「病院日記」より。作者を存じ上げている身としては、ショッキングなお歌の数々であったが、特集の最後を締めるこのお歌に特に惹かれた。逃れようもない大変な現実からの逃避としての「もう一つの世界」。五行歌のような表現活動もその一つであろう。詠い込まれている想いは、決して軽いものではないはずだが、何かを達観したような軽やかな筆致が素晴らしい。
涸れながら
まだ
なまぐさい
月を
抱く
小沢 史
134-135p.
幻想的で官能的。独特の文体とリズム感をお持ちの方だとお見受けした。3~5行目の表現が好きだ。「月」が何の比喩なのかによって、解釈がだいぶ変わってくるお歌だと思うが、自分は何となく「月」は「小さな子供」や「みどりご」の比喩のような印象を受けた。水分が多く透明感のある肌をした幼子を「月」と表現したのではないか。全然違っていたらすみません。
40億年後も
逢えたら良いね
憶えていてね
よろしく
あいらぶゆう
牛乳瓶の底に残った
わずかばかりの
魂の破片
「死んではいないよ」
僕を見上げた
都築直美
143p.
319p.
自分の血肉を削り出しているかのような迫力と、どこか愛嬌のある、人を食ったような発想の面白さとが同居する、作者のお歌のファンである。1首目、最後の1行がよい。英語でもカタカナでもなく、ひらがな表記なのが絶妙。2首目、瓶の底に残る牛乳と、自分の魂に宿る生命力のようなものがリンクする。どちらもスケールが大きく力強いお歌だ。
「群れる」意識
よりも
「群れない」不安
に依って
我々は動かされている
甲斐原 梢
174p.
鋭い批評眼が光るお歌。集団意識のようなものを上手く捉えている。「集団に属したい」という積極的な意識より、「どこにも属していない」という不安の方が、多く場合、強烈だ。筆者も2年ほど前は無職でいた時期があったが、その時には確かにどこにも属していない心許なさを感じていたように思う。人間は社会的な動物であり、孤独・孤立は即、「死」に繋がる。そのため、根源的にそれらに恐怖を感じるようにインプットされているのだろう。
うまくいかない時に
感謝するのは難しい
人を
恨まないようにすることで
精一杯
樹実
176p.
これは本当にその通りだと思う。よく「どんなときでも感謝を忘れずに」などと、言う人がいるが、自分の心に余裕がないときに、他人に感謝をするのは並大抵のことではない。筆者などは、「うまくいかないのは誰かのせい、うまくいったときは自分のおかげ」をモットーに生きているが、作者はうまくいかないときでも、人に感謝しようという姿勢は持っており、それがすでに凄いと思う。さらに、感謝しようとしてもうまくできない自分の正直な気持ちを吐露しており、その衒いの無さも素晴らしい。読めば読むほど好きになるお歌だ。
ことだまを
ゆすってみる
もよら もよら
その よいんのなかに
たたずむ
柳瀬丈子
176p.
頭で理解するのではなく、心で感じるタイプのお歌だと思う。3行目、「もよら もよら」が何とも心地よい。5行全てがひらがな表記なのも相まって、お歌全体からリラックスを促すアルファ波が出ているかのよう。4、5行目がまさしくこのお歌の読後感を表していて、読み手は心地よい余韻をじっくりと味わうことができると思う。
いぢわるが
過ぎた日
つり銭は
募金箱に
投入する
芳川未朋
203p.
「いじわる」でなく、「いぢわる」なのが何とも可愛らしく、小憎たらしい。「いぢわる」はきっと、陰湿な嫌がらせのようなものではなく、愛情の裏返しのような微笑ましいものなのではないだろうか。自分でそれがちょっと行き過ぎだったなと自覚のあるような時に、埋め合わせのように小さな善事を行うところが、ますます可愛らしい。
失望をしても
しずかに別の道へ
方向転換するだけ
度を過ぎた期待は
していない
今井幸男
275p.
人間関係における気の持ちようとして、大いに共感する。他人への過度な期待は、たとえそれが恋人や肉親であっても、あまり良い結果を生まないように思う。相手への期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときに相手を責めてしまいがちだが、本当は誰も自分の期待に応えるためだけに生きているわけではない。作者はそのことを充分に解っているのだろう。
もっと人を信じろよ
もっと人を疑えよ
もっと考えろよ
もっとなにも考えないでいろよ
どっちなんだよ はっきりしろよ
伊藤雷静
290p.
「中学生の五行歌」より。作者にはもはや、○○中学校○年というような肩書きは必要ないだろう。すでに立派なうたびとだと思う。正直に告白すれば、4月号に載っていたお歌を読んだ時から作者のファンである。何を信じ、何を疑い、何を考えればいいのかわからない、焦燥感のような感情が上手く表現されている。一度作者と話がしてみたい。
ひくことも
こもることも
いつでもできる
しかしぼくは
できることはしないのだ
山川 進
319p.
人生においては、時には痛みや辛いことから逃げることも必要な時がある。おそらく作者もそれを承知の上で「ぼくは/できることはしないのだ」と詠う。この勇気に溢れた宣言に痺れる。私も色々なことから逃げて、逃げまくって、引きこもっていた時期が長かった。それらが全て無駄な時間だったとは思いたくないが「逃げ」は癖になり、また、逃げ続けていると、居場所はどんどん狭くなる。ならば、逃げるのは最後の手段に取っておき、できないこと、やったことのないことにどんどんチャレンジしていくことが、自分の人生を豊かにしてくれるだろう。勇気づけられたお歌。感服するしかない。
(了)
雑誌『五行歌』2019年5月号 お気に入り五行歌
どうも、ひげっちです。
今週に入り、季節の変わり目で体調を崩してしまいました。
ずっと部屋で引き籠もっていたので、
雑誌の読み進めが捗ったのが、不幸中の幸いです。
というわけで、雑誌『五行歌』2019年5月号のお気に入り作品をご紹介します。
ご一読いただければ幸いです。
違和感に蓋をして
口角あげて
背中で中指たててる
そんな自分に
ゾクゾクするわ
自分で自分を
騙している
自覚はちゃんとあるから
大丈夫
まだ冷静だ
稲本 英
22p.
228-229p.
どちらも「自分で自分を騙している」ことについて詠っているお歌だと思う。面白いのは、どちらも「自分を騙している自分」を「さらに客観視している自分」の目線で詠われていること。前者はそんな自分に恍惚としており、後者は少し正気を失いかけている様子が見て取れる。作者に自分を騙すことを強いている存在が何なのかまでは読み取れなかったが、独特の魅力を放つお歌達だ。
ほんとうに
よいことばは
たぶん
どこぞでだれぞが
すでにつことる
高原郁子(こうげんかぐわし)
38p.
確かにその通りだと思う。誰かの人生の糧になるような「本物の良い言葉」はもうすでに誰かが紡ぎ、残していることだろう。でも個人的には「誰かにとって必要となる言葉」というのは時代とともに変化していくものだと思う。だから、我々は、自分自身を含む、今を生きる人達に向けて、必死に言葉を紡ぐのだろう。結論ではなく前提として、大切なことを教えてくれたお歌。方言での表記も効いている。
暗黒の
未来に
なっちまったな
だが
それでいい
堀川士朗
127p.
どこかデカダンスを匂わせる、破滅的で毒のある作者の書く五行歌が大好きであったが、作者は今号限りで五行歌の会を退会されてしまった。わりと筆者と年齢も近く、共鳴する部分も多かっただけに、ショックが大きかった。ほんの一瞬ではあるが、私も会を退会することを真剣に考えたほどだ。今後は表現するジャンルは変わってしまうが、これからもお互いに刺激を与え合えるような存在でいたいと願う。暗黒の未来で祝杯をあげたい。
虐待 ネグレクト
私にだって
その芽は
潜んでいると思った
子育て時代
村松清美
164p.
児童虐待のニュースが流れるたび、多くの人は加害者の残虐非道さを責め立て、「信じられない」「理解できない」と自分とは関係ない問題として捉えてしまいがちだと思う。しかし、このお歌は自分にも加害者になる可能性があったことに正直に言及し、虐待・ネグレクトといった問題を、特別な事情を抱えた人だけの問題ではなく、自分自身に引き寄せて捉えているところに、勇気と潔さを感じた。
信じよう
お互いに
失ったものを
与えられた
仲なのだ
しん
175p.
「お互いに失ったものを与えられた仲」というのは色々な解釈ができそうだ。作者とその相手はわかりやすい関係性ではなく、色々あった仲なのだろう。それを具体的に説明することなく、簡潔な言葉で表現することで、読み手に想像の余地を残しているところに惹かれた。能動的な「信じよう」という一行で始まるところもいい。
悩む相手に
自分の古傷を
特効薬のごとく
語っている
ん、卑しいぞ
吉川敬子
189p.
これは私もよくやってしまいがちなことなので、大いに共感した。悩みは人それぞれのはずなのに、かつて悩んだ経験がある人は、自分自身の経験談が、今悩んでいる人へのヒントになるはずだ、と信じて疑わないところがある。これは、私も善意のつもりで知らず知らずのうちにやってしまうことがあるが、悩んでいる当人からしてみれば、自分の悩みを相談したはずが、いつの間にか相手の体験談にすり替わっているのだから、「きちんと自分の話を聴いてくれていない」と感じる可能性もあるだろう。作者の仰る通り、こうした行為は卑しいのかもしれない。今後は気を付けようと思った。
毎年の
梅の香を
くぐり抜け
父の匂いの消えた
家に入る
三隅美奈子
222p.
年月の巡りと、かつてそこに居た人の追憶とを「香り」と「匂い」とを用いて、非常に巧みに描かれている。まるで、良質の短編映画を観た後のような余韻が残る。お父上との別離からはある程度の年月が経ったことが伺え、感傷的でありながら、それでも季節がまた春に向かってゆくことの前向きさも感じられる。この塩梅がたまらない。
四百人の聴衆より
たった一人の暗闇へ
語りかける方が合っています
音訳再開
頑張れ自分
板東和代
233p.
「たった一人の暗闇に語りかける」という表現に惹かれた。音訳については知識が無かったので、ネット検索で少し調べて知ったのだが、目の不自由な方達向けに、活字の本などを読み上げて録音図書などにまとめる作業のことのようだ。「暗闇」とは文字通り目が不自由なことも指しているのだろうし、心の暗闇のことも指しているのであろう。こうした取り組みはもっと広がって欲しいと思うし、私も作者を陰ながら応援したくなった。
ついに来たか
老々看護の
二人三脚
助け合い行くぞよ
ゴールまで
堀内 力
272p.
社会問題ともなっている老々介護のことをあくまで、前向きに描いている点に惹かれた。「二人三脚」や「行くぞよ」という表現もいい。介護のゴールとは、すなわち人生の終わりに他ならないが、こういった達観した明るくて前向きな高齢の方の死生観に触れるにつけ、自分もこういう歳の取り方をしたいなあと思わされる。
貴方のせいだと花が言う
お前が悪いと風が言う
散らせる風も散りゆく花も
御互い引かれ合い縺れ合いながら
罪を背負ってこの世に生きる
辻 あい子
273p.
「花」が女性、「風」が男性の象徴であろうか。ちょっと演歌調な世界観にも思えて、不思議な読後感を覚えた。「花が散る」とは破局の暗示のことか。それでも、花も風も、引かれ合い、縺れ合いながら、「罪を背負ってこの世に生きる」という。一筋縄ではいかない、オトナの男女観という感じがする。今までの五行歌の世界ではあまり類を見ない感性をお持ちの方だとお見受けした。今後も注目してゆきたい。
いつも
新しいいのち
今日は
あなたに
会った
草壁焔太
274p.
何を言っても蛇足になってしまいそうな、流石と言うほかないお歌。そうなのだ。いのちは生きている限り、いつも今日が一番新しい。そのことを感じさせてくれるような「あなた」という存在が居て、その方に「会った」ということ。当たり前のようでいて、奇蹟のような巡り合わせ。ちいさな幸せを噛みしめて生きる様子が伝わってきて、あたたかい気持ちになる。
彼の身体は
礼拝堂であった。
深奥な喉から
高い鼻の塔を抜け
呼吸は歌になった。
マイコフ
276p.
作者については詳しく存じ上げないが、ちょっと日本人離れした感性の持ち主だと感じる。英詩の日本語訳を読んでいるような感覚にも陥る。句読点の使い方も効いている。構成も言葉選びも巧みで、荘厳なイメージを読む者に抱かせる。最後の「呼吸は歌になった。」という締め方も好み。
グリムスパンキー
「大人になったら」
久々に感じた
この衝撃
まさに私の青春
加藤温子
324p.
まさか雑誌『五行歌』でGLIM SPANKYの名前を見る日が来るとは!GLIM SPANKYとは、筆者もファンである二人組のロックユニットであるが、その中でも「大人になったら」という曲を選ぶあたりが、実にわかってらっしゃる、という感じ。筆者はもっとポップな「リアル鬼ごっこ」という曲が一番好きなのだが、「大人になったら」はスローテンポで過ぎ去りし青春を歌っている名曲だ。好きなアーティストのことをストレートに詠っているところがよく、アーティストを知っていると余計に共感できて二度美味しい。書いてくれてありがとうございます、と言いたくなるお歌。
※参考 GLIM SPANKY - 「大人になったら」
(了)
雑誌『五行歌』2019年4月号 お気に入り五行歌
ひげっちです。久しぶりの更新になりますが、雑誌『五行歌』2019年4月号のお気に入り作品をお届けします。おそらく過去最多、全19首になってしまいました。4月号は本当に名作揃いでした。分量は多いですが、ご覧いただけたら幸いです。
霞を食べる仙人を見習え刹那を食らう凡人たち
八方塞がりの壁が崩れたのは最後は死ねばいいんだと 立ち上がった時
ママとギクシャクし始めた女児10歳よしよし議論が対等に近づいたってことだ
たしなみを忘れない人の胸の奥には想うひとがきっといる
植える前に芽を出す球根寒さを教えなければ花は咲かない
けっして本物ではなかったのに一番本物らしかった初恋という恋
いつの間にか世界地図から消えてしまった事なかれ主義の国
聴きながら皆同じ顔 を思い浮かべてるハラスメント講習ご当人を除いて
幻想を常食する種族に生まれついたというけだるい呪い
ぼくはとべない鳥だみんなや家族はとべてぼくはとべないみんなはとべて
決して忘れているわけではない言葉にするのが困難なだけなのだ戦争は
おばあさんは散歩中の保育園児の群れに孤独をそっと置いてきます
ゴールしたいからスタートに就くのではないスタートしたいからスタートに就くのだ
嫌われる疎まれるあぁ歪んでいるから面白がられる愛される
しあわせを何かにたとえ人に嫌われよう
よく考えてみると僕は嘘ばかり事実は話せても本心は話せない自分にすら話せない
人と出会って成長した人は別れても成長出来るはずがんばれ!
ドローンAI遺伝子操作蒼い地球は涙袋幼い女の子一人救えない
失敗した人生であっても生きることにはなんの支障もない
雑誌『五行歌』2019年3月号 お気に入り五行歌
クジラがプランクトンを吸うように人を馬鹿にして生きている
謙虚に生きようと 決めたのに酒を飲めばいつのまにか自慢話
今日を 蹴り上げろ明日を でっち上げろ生きたけりゃ常識なんかじゃもう 駄目なんだよ
人生では底辺けれども五行歌では少し上を目ざしたい
自分がだれよりも苦しいという錯覚に恥じ入る
思うな考えるな動くな只管打坐思ったようになる
嫌いを遠ざけ好きばかりを追いかけ糖度の高い未来に朽ちてゆく
オリンピック?興味ないよ俺、出ないから・・・こんなおじさんにこそメダルを贈りたい
何拾い何捨ててきた右の手よ握手ができる友が残りし
白菜を漬けた重石は広辞苑、百科事典、聖書仕上がりは哲学の味
お別れは賑やかにやけに明るい一群もやがて無言で帰る丸い背(せな)
ぷっ とふくれてふにゃ ふにゃ におあとはあなたしだいよ
第四回文学フリマ岩手に参加してきました!
こんばんは、ひげっちです。
6/8~6/9に岩手県盛岡市に行き、6/9の第四回文学フリマ岩手へ参加してきました!
今回同じブースで出展させていただいた、中本速さんと東京駅で待ち合わせし、行き帰りの新幹線をご一緒しました。好きな映画や野球の話など、色々話せて楽しかったですね。中本さんがこの日のために「ガガリオ」という二人用のゲームを買ってきてくれて、これがまた良いゲームで白熱しました。行きは中本さんが、帰りは私が勝ち越しました。
盛岡に着いたのは、6/8の16時半くらい。
盛岡駅到着後は、駅直結のさわや書店フェザン店で行われていた文学フリマ岩手・前夜祭の様子をのぞいたあと、「白龍」というお店で、じゃじゃ麺を食べました。「大盛り・キュウリ抜き」を選択しましたが、大盛りと言いつつ特盛りくらいの量があるお店だったので、美味しかったけど、後半はちょっと味が単調で飽きました。
食事後は、中本さんと別れ、宮古の五行歌人・よしだ野々さんが取ってくれたホテルへ。想像以上に広くて綺麗な部屋で、びっくりしました。何より感動したのは、テレビでYouTubeが見られたこと。夜はコンビニでビールとおつまみを買い込んで、飲みながら大画面で中村佳穂や米津玄師を聴きつつ、雑誌『五行歌』を読んで過ごしました。我が家か。
明けて文学フリマ岩手の当日。暇すぎたので集合時間よりだいぶ早く会場入りしたら、設営のお手伝いが出来ました。単純作業だったけど、お役に立てたようで良かったです。10時前には中本さんと合流して、せっせとブースの準備。
11時から、文学フリマ岩手が開始。初めての出展でしたが、前になべとびすこさんの歌会でご一緒した国際ヒライデホン空港さんも隣のブースで、五行歌人の唯沢遙さんもお近くのブースで心強かったですね。始まると、どっと人が押し寄せることは無かったものの、常にブースの周りに誰かは通りがかるような、適度な混み具合。最初の1冊が売れたときは背中に電流が走るくらい嬉しかったです。あれはクセになる感覚ですね。目の前で歌集を読んで買ってくれるのも嬉しいし、どこで私の歌集を知ったのか、中身を見ずに「これください」と言ってくれる方もいて、嬉しすぎました。よしだ野々さんをはじめとした、岩手の五行歌人の方々がブースに来てくれたのも大変励みになりました。
結果的に当初の目標以上の冊数を買ってもらうことができて、大満足な一日でした。自由時間もあったので、他のブースを見て回り、色々と買うことも出来ました。今回入手できたのは以下の本です。
・『照らす』中本速
・『スピード』中本速
・『与えるために俺は生まれた』中本速
・『汽笛のふりをしている』平出奔
・『宇宙とわたし/星の細道』チカヨミ
・『傘寿までの半分』チカヨミ
・『ひっつみ本』いわて故郷文芸部ひっつみ
・『ひっつみ本2』いわて故郷文芸部ひっつみ
・『ひっつみ本3』いわて故郷文芸部ひっつみ
・『センター試験の役に立たない倫理問題集』三留七生
・『思い出語り』唯沢遙
閉会後は、新幹線の時間まで余裕があったので、よしだ野々さんの案内で、中本さん、唯沢さんも一緒に、プチ岩手観光。岩山展望台と小岩井農場を案内していただきました。駅前で夕飯もご一緒し、岩手名物の「ひっつみ」をいただきました。上品なお味で大変おいしゅうございました。
22時頃、東京駅に到着し、雨の中を心地よい疲れと共に帰宅。
今回のお誘いをくださった中本さん、色々とお世話になりっぱなしだったよしださん、文学フリマ大先輩の唯沢さんをはじめとして、多くの人にお世話になりました。Twitterでもつぶやきましたが、文学フリマは中毒性がありますね。読者と直にふれ合える機会というのは刺激的です。またどこかの文学フリマに出没したいと考えるのでありました。
(了)
第四回文学フリマ岩手に出展します!
どうも、ひげっちです。
今週末の6/9(日)に、文学フリマ岩手というイベントに出展参加させていただきます。
歌集『だらしのないぬくもり』を文学フリマ特別価格の500円にて販売する予定です。ブース名は「速書店(そくしょてん)」さん、詩人・中本速(なかもとそく)さんとの共同出展となります。
岩手近辺の方、お目にかかるのを楽しみにしております。こういった即売会のようなイベントは初めてなので緊張しておりますが、がんばりたいと思います。
【出展概要】
第四回文学フリマ岩手
開催日時:2019年06月09日(日) 11:00〜16:00
入場料:無料
会場:岩手県産業会館(サンビル) 7F大ホール
ブース名:「速書店」
ブース番号:「エ-07」
詳細: